The First Episode: 僕の人生と英語学習を振り返る旅(誰かの英語学習のヒントになれ!)
僕は英語ができませんでした。
初めましてJustinです。英語を教えたり、通訳をしています。
年齢は28歳で、どこにでもいる日本人男性です。
英語の教員、講師を経て、今の仕事をしています。もっと多くの人に英語を楽しく学んでほしい、たくさんの文化や価値観に触れて人生をより良くしてほしい。
そんな想いから、このnoteを始めました。
自分の過去の英語とのストーリーです。少し長いので、お時間ある時に読んでみてください。
中学校までは、なんとなくしか分からなかったけれどALTのリー先生が話してくれるのが好きでした。テストでは100点は取れなかったけど、アメリカに行ってみたい。いつかニューヨークっていうところへ行ってみたい。
他人の目を気にすることなく、自分の思いを伝えて、人を喜ばせるようなアメリカ人になりたいと思っていました。
リー先生は本当に人を尊重するのが上手な人で、ティーネイジャーの僕の意見を素晴らしいと褒めてくれました。
絶対アメリカに行く!
僕は決心しながら、分からないなりにも黙々と勉強を続けていきました。
高校に進学後、英語が苦手になりました。
この文章は第3文型で…
仮定法というのは、現実とは異なる願望を指していて…
時制の一致は…
慣用表現はある暗記をしないと…
こういった授業ばかり受けてきて、何が何だかわからなくなってしまったのでした。
頭の中にあったのは、
「この文法いつ使うの?」
「本当にアメリカ人はこんなこと考えて話してるの?」
「本当に役に立つの?」
という勉強する気さえなくなる疑問ばかり。
気がつけばどこにでもいる英語嫌いの生徒になっていました。
ある日学校の講演会である先生が来てくれました。
一億人の英文法を書いた大西泰斗先生でした。
特別授業をしてくださり、be動詞の感覚、形容詞(そのときの授業はbrilliantについて)の感覚について教えてくださいました。
「丸暗記に頼っちゃダメ。英語ってのは後ろから説明する感覚が必要なんだ」
「いいかい。brilliantにはこんなイメージがあるんだ」
温かみのある授業に僕は英語の才能がないんじゃない、コツを知らないだけだ。そう思わせてくれる素敵な授業でした。
授業後の質問コーナーでは1番に手を挙げたのを覚えています。
「先生、アメリカに留学したいです!どうしたらいいですか?」
今考えるともう少し具体的な質問をしろよと自分に言い聞かせたくなるのですが、先生は丁寧に答えてくれました。
「語学を勉強するのに留学は反対だな。君は遊学って言葉を知ってるかい?留学しても話せない日本人はたくさんいるんだ。日本でも英語の勉強はちゃんとできるよ。それなら、大学生になったときニューヨークとか大きな街へ行ってスターバックスでアメリカ人と話しなさい。1ヶ月朝から晩までやれば、十分だよ」
僕は頭をハンマーで殴られた気がしました。
すごいと思った反面、なんで留学を反対するんだ!と少しイライラも感じました。
でも今になって思います。
あの話は正しかった。
海の向こうでしか学べないもののために留学するのは価値がある。けれど、国内でも十分にバイリンガルになれる。
大学生になった私は、言語学を専攻し、留学したい夢を密かに実現しようと計画していました。授業をしっかりと受けて、学校の交換留学の切符を手にしたのでした。
ずっと心に描いてきたアメリカではなかったのですが、学費の安いヨーロッパの交換留学のチャンスを得ました。しかも英語で授業が受けられる!そして、成績が優秀であればオックスフォード大学で3ヶ月から半年移籍できる!というチャンスまでもらいました。
そんな矢先。
シリア内戦などによってヨーロッパ目指す移民問題が発生。
治安を危惧した家族や大学から反対され、留学を断念しました。
今コロナ禍で留学に行けなかった学生たちの思いが本当によくわかります。
やっとのことで、手にしたチャンスがスルスルと抜け落ちていきました。2、3週間授業に出る気力もなく、部屋に閉じこもっていました。
そんなある日大学の図書館で本を返しに行こうとすると、出会ったことのないブロンドヘアーの留学生がいました。たまたま通りすがりに、Hiと声をかけました。なぜ声をかけたのかはっきりと覚えていません。
この出会いが僕の人生を大きく変えることになるとは、思いもよりませんでした。
名前はロザ。スロベニアから1週間前に来た留学生で、なんと6カ国語を操るマルチリンガルだったのです。
なぜか意気投合し、ロザに日本語を教える代わりに、ロザは語学の勉強法を教えてくれました。
留学には行けなかったけど、ストリートで僕はバイリンガルを目指す!若さを無駄にしない!
その勢いのまま、世界中の言語交換サイトで僕の実情を書き、英語の勉強を手伝ってくれる人を集め、夏休みには京都で外国人の案内をボランティアで行いました。
そして、大学生最後の春休み。
僕はデトロイト空港に立っていました。
ウィンドストームのせいで、ニューヨーク行きの便がキャンセルになってしまい、空港で夜を明かしました。次の便がいつか分からないと言われ、お金もそんなにない学生の自分は絶望しました。
自分の夢まであと少し…なんでこう自分の人生はうまくいかないんだろう。あと少しでニューヨークなのに。
すると朝方マクドナルドの近くのベンチに1人の黒人のおばあちゃんが座ってきました。
「どうしたの?なんて悲しい顔をしてるじゃない」
「僕はニューヨークに行くのが夢だった、でもずっと失敗ばかりなんだ。もう終わりだよ」
僕は夢中で今までの経緯を伝えました。日本の息苦しさ、訳が分からなくなった英語の授業、留学を断念したこと、もちろん周りから無理だとか夢を見過ぎとか言われ続けたことも…。
「あなた留学していないの?もう充分じゃない。あなたはどこでもやっていけるわ。アメリカにようこそ!」
あまりの嬉しさに僕は涙が止まりませんでした。
おばあちゃんの言葉に救われたのでした。
なんとか夕方一便だけ飛ぶとのことで、あわてて手続きをし、深夜2時にニューヨークに辿り着きました。
そこから毎日スタバに行き、いろんな人に声をかけ、お金をぼられたり、奢ってもらったり…。不思議な3週間を過ごしました。
気がつけば何事もなく、人と話すことができていました。
英語は人生を変えてくれます。きっと1つの言語しか話せなかったら、こんな冒険もできなかったと思います。海外の大学に留学するエリートコースも素敵だと思います。でも波瀾万丈の英語学習だったからこそ、世界中のたくさんの人に出会い、たくさんの人に支えてもらって、国内でバイリンガルになれました。
次は僕が返していく番です。
もし中学校や高校で心が折れた人がいれば、それはあなたができないからじゃありません。やり方が違っただけです。どうか流行りの資格試験や受験のためじゃなくて、人と関わるために英語を学びませんか。
ぜひお手伝いさせてください。
Love,
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