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唐突にはじまる物語

これは現実のことを綴った日記のようなものかもしれないし、作られた物語かもしれない。そんな曖昧な物語。


ヤモリが「絶っっ対に劇場で観るべき映画だ」と言う作品を観たのは3週間くらい前のことだ。

こと映画と小説と漫画に関しては、ヤモリの「絶対」もしくは「絶っっ対」にハズレなしを今のところ順調に更新している。あれは確かに大スクリーンで観るべき作品だ。そろそろ上映も終わる。もう一度スクリーンで観たいが間に合うか。はて。

ヤモリは観た映画、読んだ本を几帳面にログとして残しており、頼んでもいないのに今月のベスト3だったり、今年のベスト5だったりを報告してくれる。ある意味ヤツなりの生存確認なのかもしれない。気が向いたら手に取り、三行程度の感想を送るが、十倍以上の返事が返ってくる。暇人か。


あのシリーズは「なんとかロードショー」的なもので放映されているのを、流し見程度には見ている。アクション映画は好きな方だが、あのシリーズに関しては主人公のモテっぷりと、任務遂行の雑さが目に余る。お前は某課長かとツッコんだのは一度や二度じゃない。今は相談役か。

それはヤモリも同様だったようだが「自称映画好きとしては、食わず嫌いはポリシーに反する」と言って、DVDで一作目から順に観たそうだ。律儀か。

「結構、鼻持ちならない男だね。キザったらしい。」というのが感想だった。「今見るとスパイアイテムが結構トホホだよね。」とも言っていた。それはわからなくもない。時代のなせる技なので多めに見ようではないか。

十五年ぐらい前だろうか。主役が交代したのは。主役交代はたしなみ程度には知っていた。だからといって、ストーリーが今までとうって変わるとは思っていないし、期待もしていなかった。せいぜいなんとかロードショーでタイミングがあえば程度に思っていた。正直、映画館で映画を観られるほど余裕がなかったのも事実だ。


主役が交代し三作目だったか。四作目だったか。そのシリーズの、当時の新作と知らず劇場で観たヤモリは、「失敗した。あのシリーズは断然、一からスクリーンで見るべきだった。」そうつぶやいていた。主役を演じる俳優が「好みの顔をしている」ともつぶやいていた。笑うと目元がくしゃっとする顔に弱いらしい。「大変スマートで、色気があって、体のキレがよくて、ほぼパーフェクト。あとやたらと女にヤニ下がらないのは好感がもてる。」ともつぶやいていた。確かに歴代の主人公に比べるとスマートではある。細マッチョとでもいうのか。

今年、その主役の最後の作品が劇場公開するというのはヤモリのつぶやきで知った。はりきって前売りを予約したこともつぶやいていた。公開当日に観に行くことはかなわなかったが、劇場で観ることができたともつぶやいていた。その上で冒頭の「絶っっ対に劇場で観るべき映画だ」と、これはつぶやきではなく直メールだった。


最後の作品というのは、往々にして力が入りすぎて駄作になるか、お祭り騒ぎがすぎて駄作になるか。とどのつまり駄作になる傾向は否めない。「最後の」と銘打つからそうなるのではないかと個人的に思っているが、このシリーズに関して言えば、過去作品からの連作性をもたせて、かつ、オマージュも交え、丁寧に作られているように思える。駄作とまでは言わないが、たいへんよく頑張りました。二重丸ぐらいだ。何様か。


盛り込みすぎという印象は少なからずある。冒頭の湖畔のセーフハウスのくだりは、サイコサスペンス風が強すぎたし、時間をかけすぎた印象もある。俺はなんの映画を見せられているんだと正直、腰をうかせかけた。ジャパニーズホラーにしては湿度が足りていないが、ニュアンスとしては近いものがある。幼い子供に植え付けた恐怖という意味ではインパクトと大だが、あの能面男が、幼い彼女を助けた理由というのはいまだに納得はいっていない。何があの男の琴線に触れたのか。


主人公の彼はとても紳士だ。どんな時でも彼女に対して、フェアであろうとしていた。内心、腹がたっていて、彼女の胸ぐらをつかんででも白状させたいぐらいに怒っていただろう。それでも、助手席にのせる際にはエスコートするし、荒っぽい運転をしながら怒りをこらえている様は大変紳士であった。紳士の国の男性はそれはそれで窮屈なのかもしれないし、だからこそ紳士の国の人なのかもしれない。

全体的にパートが一つずつ冗長に感じた。冒頭の彼女の過去のパート、主人公と彼女のハネムーンパート、悪役である彼らの略奪パートetc。もっとコンパクトにまとめることもできたであろうに。評論家ではないので多くは語るまい。ただ、前半の冗長なエピソードがあのシリーズらしさを削ってしまった印象は否めない。主人公だけではなく、彼女にも、悪役である彼らにも、なんらかの事情があり、それを掘り下げるために必要だと理解はしているが、フェアであることイコール「らしさ」とは限らない。CIAの彼がなぜ裏切ったのか、冒頭で主役の彼を追っかけ回していた組織のそこそこの役職であったであろう彼がなぜこっちの組織にしれっと鞍替えしてるのか、そこをもっと詳しくと思ったのは俺だけか。

中盤から後半の流れは悪くなかった。悪くなかったというのは、自分の好みにあっていたとも言いかえることができるし、あのシリーズらしいテンポのよいアクションであったり、美的センスだったりを感じた。ロケーションセンスはず抜けている。どこまでが実物の風景で、どこまでが加工しているかはわからないが、絶景が広がる雄大な自然も、人工物ひしめく都市であっても、世界はこんなにも美しく、壮大なのかと胸を突かれる。


音の作り方が際立っていた。主役の彼に寄せた音響効果はうまいと思った。爆破シーン直後の鼓膜がやられたであろうぼんやりとした音の出し方は、共感するわけで、生々しく感じることができた。昨今の映画はともかく、エンジン音一つとっても、銃撃シーン一つとっても、そうは鳴らないだろうと興が醒めがちだが、そういう嘘臭さは感じなかったのはよかった。

個人的には、主役の彼のボス、局長的な彼が好ましい。執務室は重厚で威厳があり、その部屋にいる彼は、その部屋に相応しい人のように見えるが、彼が立てた計画は割とお粗末な結果に結びついてしまった。「こんなはずじゃなかった」と苦悩する姿は、色気があっていい役者ではないかと場違いなことを思ってしまったのはここだけの話だ。
字幕では彼のことを役職というかコードネームのようなもので呼んでいる体裁だが、実際は「Sir」と呼ばれていて、日本であれば「局長」ぐらいのニュアンスなのだろう。主役の彼は「Sir」と呼ぶこともあるし、はっきりと名前を呼ぶ瞬間があって、関係性や怒りや立場を感じさせる。問題児である主役の彼だが、最後になんとかしてくれるのも彼だということをあの組織の面々は知っていて、頼りにしている。それは主役の彼にとっては荷が重いかもしれないし、嬉しいかもしれないし、居場所であるという心の拠り所でもあるのかもしれない。天邪鬼なところがある彼の本心を図るのはなかなか難しい。


全体的に主役の彼はスーパーヒーローがすぎて、未来から送られてきたキリングマシーンに見えたのはここだけの話だ。走り方が液体金属のボディをもつキリングマシーンに似ているんだ。確実に撃たれて怪我しているのを忘れてましたよね?と突っ込みたくなる箇所があったが、それはあれだ、アドレナリンがですぎて麻痺しているのだろうと好意的な解釈ができなくもない。


惜しむらくは、彼のトレードマークとも言えるカクテルとタキシードの扱いがおざなりだったことだろうか。CIAのお姉ちゃんはSoCuteで、これぞ!なシーンを忘れずにいれてくれたことには感謝だ。美女との大立ち回りはなくてはならないし、それなくして何をあのシリーズというのか。


色々と雑感を書き殴ってみたものの、最後の作品にふさわしいテーマと終わり方だったとは思う。主役の彼は、諜報員であるがゆえに、家族を持つことを許されない。彼の持っているライセンスが、人を愛することを許さない。明確に提示されているのかどうか、そもそもの彼のコンセプトが不明なため、多くを語れないが、彼はそんな役回りを押し付けられているように思える。一言で言えば「孤独な男」。

一作目が作られた時代と、今作が作られた時代とでは、価値観もだいぶ代わり、悪役が悪役として世界を脅かそうとしている目的や手段だって、同じとはいかない。
一人の男が諜報員として生きるのと、仕事をまっとうするのと、誰かを愛することと、別々のものである時代は終わりに近づいているように思える。


一つのコンテンツとして、このシリーズの賞味期限がきれかけているようにも思える。俺はまだこの主役の彼を好意的な目で観ることはできるが、今の十代の子たちはどうだろうか。主役の彼は凄腕エージェントである一方で、人の話を聞かない、組織のルールを破るし、備品を拝借することもあり、傍若無人な一面もある。兵器開発担当の彼の家に押しかけ、勝手にワインをあけるデリカシーのない一面もある。それが受け入れられるのだろうか。
愛されるコンテンツではあるが、愛している人々の世代交代はできているとは思い難いし、そもそも世代交代をする必要はなく、ひっそりと幕を閉じるべきコンテンツなのではないだろうか。

そうは言っても新たな主役が決まれば、作品のできあがりを楽しみにしてしまうだろう。俺らにとっては、まだ、彼の名前は世界を救うヒーローなのだ。


#小説のようなもの

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