見出し画像

自分って何?

こんにちは、百華です。
2つ目のnote、正直何を書けばいいのかわかりません。
でも、ずっとモヤモヤしていることがあるので、それについてちょっとずつ考えていこうと思います。



精神科に通い始めて以来、何度も言われていることがあります。
「自分のことを知って、症状が出るきっかけや兆候を把握しよう」
これ、とても難しいなと感じています。

セオリーに従って、これまでにもいろんな方法を試してみました。
行動記録をつけてみたり、過去の自分を振り返ってみたり、感情や気分に点数をつけてみたり。

でも、そこから得られるものがはっきりわかりません。
気分の波を左右する法則は見つからない。
自分が過去にモチベーション高くやっていたことが、今の自分にとってもそうとは限らない。
数値で可視化しようとしても基準がないから、同じ気分でもその時々の状況によって差が出てしまっている。

結果を眺めたり、分析したり、いろいろ考えたりはするけれど、自分が何者なのか、結局どうしたらいいのか、肝心なことがわからない。


思い返してみれば、自分を知るという作業をしたことって、人生でほぼないんですよね。

親に勧められるまま習い事をして、成績に見合った学校を受験して、なんとなく学生生活を過ごして、声をかけてもらえたところに飛びつくように就職して。

自分の意思で決めるというよりは、周りの人によって敷かれたレールの上を落ちないように歩いてきた感じ。

その結果、誰かの期待や要望に応えるだけのロボットみたいな「私」ができあがってしまいました。
つまり、知ろうにも「自分」っていうものがないんです。きっと。


自分の心を知るために、何も縛りのなかった小学生の自分を思い出してみよう、とすすめられたこともあります。
でも、どうして小学生のころに縛りがなかったと決めつけるの?

みんなに認めてもらうためにそれなりにいい成績を維持して。
親の期待に応えるためにクラブ活動を諦めて習い事に時間を割いて。
先生に気に入ってもらえるように学級委員を務めて、
委員会活動やボランティアにも積極的に参加して。
同級生や周りの大人に嫌われないように必死で愛想を振りまいて、
できるけれど嫌味じゃない子として振るまって。


そんな私が唯一幸せだと思えたのが、何も考えずに本を一人で読んでいる時間でした。

私自身は本の世界に没頭して周りを気にしなくていいので気楽です。
親は「一人で静かに過ごしてくれる手のかからない子」と安心します。
先生や大人は「自ら知識を求めて吸収していく好奇心旺盛な子」と評価します。
友達は「この子は本が好きなんだな」と一緒に遊ばなくても納得します。

自分の好きを満たしながら、誰にとっても「いい子」でいられる方法であることを、無意識に感じ取っていたのでしょうか。


研究の道を選んだのも、小さな結果を出したときに周りが喜んでくれて、「研究者に向いている」と言われたことがずっと頭に残っていたからだと思います。

あぁ、期待されているんだな。
この世界に残って何をしたら、どんな結果を出したら喜んでもらえるんだろうと一生懸命考えました。
応えられるように人一倍数をこなして、自分なりに考察して結果を出して。

でもどうだろう。
自分のペースで進めたいように進められる作業は楽しかったです。
純粋に自分の力を試せる場所だったし、自分で見つけてくる嬉しさも味わっていました。
きっと好きだったんです。この仕事。


ただし。

期待を裏切りたくない。
期待してもらうためには、必要とされる自分でいなくてはならない。

評価に見合う人間でなくてはならない。
一定の評価をされたら、それ以上の結果や能力を提供しなければ自分の価値はなくなってしまう。

知らないうちに、そんな恐怖と戦うことが日常になっていたのかもしれません。


なんでこうなっちゃったのかな。
自分を知って、やりたいことや楽しいと思えることを理解できれば、もっと気楽に生きられるのかな。

そんなことを思いながら、今日も答えの出ない問いと向き合っています。


百華

いいなと思ったら応援しよう!