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”黒人侍”弥助、殿になる?ー宣教師の記録にあることとないこと

こちらの続き。
せっかくの興味深い対象なので、弥助に関して実際の記録にあることとないことを調べた結果の備忘録。今回は弥助が殿になるという噂?について。

参考にしたのは、コインブラ大学のデジタルリポジトリにて閲覧できるManoel de Lyraが宣教師達からの報告をまとめた書籍(1598, タイトルは長いので省略, 以下原文)と、国立国会図書館デジタルコレクションにて閲覧可能なこの本の日本語訳、村上直次郎「耶蘇会の日本年報」(1943, 以下日本語訳)です。

弥助、殿になると噂される?

宣教師は何と書いたか

「信長は弥助を殿にしようとしていた」とか、「ゆくゆくは殿にするつもりなのではないかと噂さになっていた」とか、ひどいものだと「一国一城の主となるプランもあったという」とか書いてあることにされがちな宣教師の記録ですが、実際には該当する記述はこれだけです。たった5単語。

dizem que o fará Tono.

1581/10/8 Lorenzo Mesiaの報告

それぞれの単語の意味は、dizemはdizer(言う)の3人称複数現在、queは関係代名詞、oはここではhimあるいはit相当の代名詞、faráはfazer(~する/~にする)の3人称単数未来になります。動詞が人称で変化する分、主語が省略されてしまっていますが、補って直訳すると、「(彼らは)言った、(彼が)彼を殿にする、と」あたりでしょうか。いまいち文法的に得心がいかないのですが多分。

ここで「殿にする」に使われる未来形についてですが、例えば「明日雨が降る」などにも使われるような、単に今この場の話ではなく先の話、程度の軽い意味であって、未来に実行する意思を表すようなものではありません。

ところが日本語に訳するときに、日本語にはない未来形であるということをちゃんと強調するために「将来」とか「ゆくゆくは」とかが付け加えられ、さらにそれを読んだ人の超解釈で「プランもあった」とかに代わってしまったものと思われます。伝言ゲームって怖いですね。

殿にする話を言ったのは誰?

原文のdizem queは英語でいうthey say thatのようなものなので、「彼ら」が特定されなければ「噂がある」のように訳されることも多いです。
日本語訳で少し前から見てみると、

信長は大いに喜んでこれを庇護し、人を附けて市内を巡らせた。彼を殿Tonoとするであらうと言ふ者もある。

村上直次郎「耶蘇会の日本年報」 一五八一年十月八日ロレンソ・メシアの書簡より

殿の話は独立した文なので、主語が特定されない噂のような話と思ってよさそうに見えますが、よく見ると市内を巡らせた話とあまりに繋がりが無く、話が唐突すぎる気もします。
確認のため、対応する部分を原文で見ると以下の通り。

de que elle muito gostava, agora o favorece tanto que o mandou por toda a cidade com hem homem seu muito privado pera que todos soubessem que elle o amava: dizem que o fará Tono.

1581/10/8 Lorenzo Mesiaの報告

最後の方、殿の話と前の市内を巡らせた話はコロンでつながっており、同じひと続きのエピソードと考えてよさそうです。とすると殿の話をした「彼ら」は噂をしている不特定の誰かではなく、市内を巡らせた話と関係がありそうです。
それにしても殿の話に比べ、市内を巡らせた話は原文の長さに比べて日本語訳が短すぎるように見えます。日本語訳で殿の話が唐突に感じられるのはこの辺りに原因がありそうです。

原文と日本語訳を比べてみる

上記の市内を巡らせた話から殿の噂部分まで、原文と日本語訳との対応をいくつかのパートに区切って比較してみます。

ロレンソ・メシアの書簡 弥助の殿の噂部分 葡-日比較

こうしてみると、D., E.の部分は殆ど訳されずに日本語訳から欠落していることがわかります。

まずD.の部分、「homem」が「人」に対応する単語なのですが、その前についている「hem」が曲者で、ポルトガル語に辞書を引いても「えいっ」といったような間投詞等しか出てこず、意味が通りません。ここの日本語訳がとんでもなく省略されている理由も、ひょっとするとこの訳に困ってしまったからかもしれません。
ということでひとまずこの「hem」は16世紀ポルトガル語特有の現代にはない表現であるとか、ロレンソさんが書き損じたか、マヌエルさんがタイプミスしたか何かと勝手に考えて、なかったことにして訳してみます。すると文法としてもシンプルで、「homem:人」を後ろの単語群が形容していると見れますので、直訳すると、「彼(信長)の非常にプライベートな人」になります。信長の側に仕えていた小姓のような近習を指すと考えればよいでしょうか。

次にE.の部分、こちらも冒頭の「pera」が曲者で、ポルトガル語の辞書を引いても「梨(英語だと綴りも近いpear)」等しか出てこず、意味が通りません。ここの日本語訳がとんでもなく省略されて…以下D.と同じ。
なお、こちらの場合は「pera」ではなく「para」と考えると、「para que ~(~するために)」となって非常に意味の通りがよくなるので、勝手に綴り違いとして訳してみます。するとここの内容は、「彼が彼を寵愛していることを皆に知らしめるために」のような意味になります。

最後に、日本語訳ではA.B.とをつなげて「信長は大いに喜んでこれを庇護し、」としていますが、原文ではA.B.とはコンマで区切られており、B.以降はE.のコロンまで区切り文字がありません。ですのでここは、「信長は大いに喜んで、彼をとても気に入ったので~」とB.の内容はC.以降に繋ぐように訳した方が元の意味に近いかと思います。

結局どういう意味だったのか

以上をまとめて日本語にすると、「信長は大いに喜び、弥助をとても気に入ったので彼への寵愛を皆に知らしめるために自分の近習を付けて街中を巡らせたところ、これを見た人々は(信長が弥助を)殿にするようだ、と言った。」といったところでしょうか。
あとはどう解釈するかの問題ですが、結局のところ殿云々というのは珍しい物好きの信長が嬉しくなってお気に入りを見せびらかしたことに対する都の人達の感想で、その手段として普段なら信長に付き従う近習を弥助につけたために弥助が殿のように見えた、ということではないかと思います。記録通りなら弥助は背も高く立派に見えたでしょうから尚の事。
なお、都の人達がこういった感想を持つことの背景として、これが天正9年2月23日の出来事だ、という点も重要かもしれません。なにせこの5日後には信長による一大見せびらかし大会である御馬揃えが行われることになっており、信長麾下の”殿”たちが都に集結しているタイミングでもありました。

まとめ

  • 宣教師(ロレンソ・メシア)の記録に、「(信長が弥助を)殿にする」と言った人がいるような表現があることは一応事実。

  • ただし殿にするというのは信長の意志や計画としてではない。

  • 功を立てた等、殿にする理由がどこかに記録されているわけでもない。

  • 街でそのような噂が広がっていたというわけでもない。

  • おそらく殿の話は信長が弥助に人を付けて市内を巡らせたのを見た人の感想。

  • 普段は信長の側にいる近習を弥助に付けたため、さらには馬揃えの直前というタイミングもあり、そのような感想になったのではないかと思われる。(ここは想像)


おまけ

  • 「homem(人)」の前の「hem」という語の意味が分からない、ということを書きましたが、実はルイスフロイスの方の弥助に関する記録でも、「homem」の前に意味が分からない「hum」があったりします。本当に何なんだろう?

  • 「tanto」を上記では「とても」と訳していますが、日本語の「たんとお食べ」とかの「たんと」の語源という説もあるらしい。ほんまかいな。

  • 手っ取り早くgoogle翻訳やchat-GPTに訳させてみると、こいつらもわからない単語があるとその周りをしれっとなかったことにしてもっともらしい訳を返す傾向があるのでいまいち信用ならない。これが噂のハルシネーションってやつか?


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