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好きな街で生きること


長野でのサッカー観戦を終えて、さあ今夜の宿に向かおうとスマホのメールを見返して心臓が止まった。
楽天の予約日は明日の日付になっている。
そこからは祈るような気持ちで宿に電話をかけた。電話口でこちらの事情を話すと、今夜も空きがあると言う。
胸をなでおろし、何度もお礼を言って宿に向かった。

「今年で9年目なんだけど、実質稼働6年かな。」
宿の女主人は笑いながら言った。
今夜の宿もゲストハウス。この女主人はこの場所が好きでわざわざ県内の別の場所から移り住んできた方。
築120年の絹糸などの商家だったここを、最初に見つけたときは“これはいい物件が出たと”思ったそうだが、借りてみると、傷みが想像以上で、一応の片付けが終わるまで1年近くかかったのだそうだ。
「天井もね、もともとあそこまでの高さだったんだけど板を抜いたのね。自分で。」
確かに黒い柱の天井ぐらいの高さに、横に2cm程の厚みの切込みが白く入っている。
「そしたら信じられないぐらいホコリが降ってきて、もう前が見えないの。」120年分の埃塗れになったという。

「コロナの時はね。経営的には補助金がでたからね、そんなにきつくなかったの。でも本当にキツかったのはね、気持ちっていうかね。心のほうかな。」
2ヶ月ほど宿を閉めていて、鍵を開けた瞬間に中が驚くほど埃にまみれていて、
「もう呆然としちゃって。掃除をするとかそういう気持ちになれなかったのよ。もう無理かと思ったもん。」
そこでなんとか気持ちを立て直し、それからは営業していなくても宿に通い続けたんだそうだ。

「いい街なのよ。昔は市内よりこっちのほうが中心だったんだけどね。でもそのときのまま栄えてたらこのあたりもビルばっかりになってたかもしれないし、それはそれでイヤよね。」
門と石垣と堀だけが残る城趾を中心に藩校や藩主の菩提寺、資料館などがコンパクトに並び、散歩にはもってこいの街。
まだ雪が残る山々の景色もいい。

「温泉好きならこっちは源泉かけ流しですごく効くけど湯治場だから洗い場がないの。こっちは最近オープンしたとこで沸かしてるんだけど、のんびりできるスペースとかご飯も食べられる。」
「夕飯食べに行くなら長芋が名物だからここの“とろろ芋コロッケ”もいいけど、こっちの店は海鮮丼とタイ料理が食べられるの。奥さんがタイの人だから。」
「あ、あそこのおやき屋さん、朝8時からやってるから朝ご飯はそれにしたら?」
この街のスポークスマンは情熱に溢れている。

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