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ずっとあったのに気づかなかったもの

 私は毎日、車で通勤している。通勤途中、橋の上まで来ると、川の向こう左手に延々と山脈が広がっているのが見える。冬の晴れた早朝などは、パキッとした濃紺の青空と、白い雪化粧をほどこした薄水色の山脈のコントラストが一斉にぱあっと目に飛び込んでくる。その色合いは絶妙で、感動的に美しい。冬の朝、8時頃が美しさのピークである。少し時間が経つと、空の青がどんどん白みがかっていき、美しいコントラストが見れなくなってしまう。だから毎朝の通勤時間帯は、一番美しい青・白・水色が見れる私の「ご褒美時間」だ。

 その美しい色合いと造形美を見ていると、「こんな美しい世界を創ってくれて "Thank God" (神様、ありがとう)」と、創造主への感謝の気持が湧いてくる。車中で「うわーっ・・!すっごい!」とニヤニヤが止まらない。

 車を停めて写真を撮りたくなるのだが、残念ながら朝の通勤ラッシュでそれは出来ない。しかも目で見た景色の美しさが、写真にはうまく現れないこともある。私は1人妄想する。SF映画のように目がシャッターになって、目を軽く閉じると「カシャ」とシャッターが押されて、目で見た景色が写真になって出てくるシステムを作ってくれたらいいのに・・・。(笑)

 さらに進むと、道の進行方向のど真ん中にデーンと巨大パノラマで山が迫ってくる。これもまた絶景である。こんな景色を毎日見れるなんて、なんて贅沢なんだろう。私は本当に幸せ者だ。このあたりに住んでいる人は毎日幸せに違いない・・と1人ブツブツつぶやいている。

 ところが、不思議なことに、この美しい風景に気づいたのは、ごく最近なのだ。何年も通勤していて、山は動かずいつもそこにあったはずである。にもかかわらず、全く気づかず素通りしていたなんて!なんてもったいない!当時の自分は何と心に余裕がなかったのだろうと・・昔の自分を憐れんだ。

 ずうっと、そこにあったのに気づかなかった「大切なもの」や「大切な人」や「大切な価値観」。気づけない時は、自分の心が何かに縛られて余裕をなくしている時だろう。そう考えると、今の自分は、当時よりも心に余裕が生まれているのだろう。

 慌ただしい日常の中で、深呼吸して、首をクルリと回して、普段見ていない方向に視線を向けてみよう。そうすると驚くような発見があるかも知れない。ちゃんとそこにあったのに、長年気づけなかった美しい景色は、すでにある幸せに気づかず、不平不満に嘆いている自分自身への警鐘だ。だから、自分自身に向けてつぶやいてみる。

 私はすでに持っている。私はすでに満たされている。答え(幸せ)は既に自分の中にある・・と。

 悩んだり、苦しんだりするのも、命があるからだ。生きているからこそ苦しいと感じ、美しいものに心を動かされる。私の人生の残り時間は、あとどのくらいあるかわからないが、今、生かされていることに感謝し、生きている喜びを周りの人々と分かち合いたい。今生きている時間が人生で1番若い。今、目が見えるうちに、今、歩けるうちに、この世界の美しさを堪能したい。それが出来ている今に感謝。周りの人々にも感謝しかない。ありがとうございます。私は幸せです。 



 

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