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足りないのは自己愛

あるツインレイについて発信をしている人の
文章が目に止まった


そこには
「私たちが一緒になるにはまだ修行が足りない」
と書いてあった


修行が足りないから一緒になれない…??


その考え方事態がもう思い込みというか…
昭和というか…
土の時代の概念だよね…


だから
ツインレイとか好きなんだろうなって
ツインレイと思われる人と一緒になりたいより
ツインレイごっこしてる方が
好きなんだろうなって


その意識でカウンセリングとかしてる
てことはクライアントにも
「あなたはまだ修行が足りません…」とか
言ってるのかな??w


親が子を守るために自分の命をかけて助ける
これは無償の愛ですよね


ツインレイの相手におけるお試しは
この無償の愛とはちょっと違って


ツインレイとの接触でひどく傷つけられたり
ツライ思いをすることがあった時


A.自己犠牲を払ってでも相手を許す❌
B.自分を大切にする選択をする⭕️


ここを試される


Aは相手の愛が欲しくて取る行動
=分離からくる行動


分離してるから「愛されたい」が出る


ここを履き違えて
Aが正解だとして動いてしまう
ツインレイごっこちゃん


“どんなに傷つけられても無償の愛を送れるか
それを試されてる”
と受け取ってしまうんですね
(この発想ツインレイの概念を知らない人に
あるのかな?)


だから「修行が足りない」
という解釈になってしまう


片割れを通して
自分が自己犠牲を選んで来ていることに
気づかせてくれてるのです


まずは自分への無償の愛
それが大前提で
彼を使ってそこを試してくる


足りないのは
修行ではなく自己愛
自分への無償の愛


自己愛の先
愛の柱の中に片割れは居ます


この自己統合なしにして
片割れとの統合は起きません


自己犠牲
これはツインレイに限らず


特に団塊の世代に育てられた
40代前後以上の人はあるあるの考え方


コントロールされ
レールを引かれて
頑張ったら褒めて貰える
従ったら愛が貰える


何でも難しくするのが好き
簡単に幸せになれるわけがない
自分だけ幸せになったらいけない


自分を優先してたらバチが当たる
人に尽くしていたら
いつか幸せが返って来るんでしょ?
だから自己犠牲してまで相手に尽くす


スピリチュアルやツインレイという言葉に
やたら敏感に反応してるのも
この世代の人が多い


他人軸で生きてきたから
愛の柱からズレて生きてる
だから愛が欲しくて外に求める


真ん中に戻るだけ
自分軸に戻るだけなのに


分離した状態で
スピリチュアルにすがり続ける


目覚めとは
洗脳や呪縛から目覚め
地に足を着けて
本当の自分(自分軸)で生きること


自分の真ん中
本当の自分
自分軸
愛の柱


自分軸=愛の柱
(大いなる宇宙の源ソースエネルギーと
繋がる柱と言えばわかりやすいかな?)

愛の柱=エネルギー体の自分

エネルギー体の自分=目に見えない世界

目に見えない世界=精神世界

精神世界=スピリチュアル

スピリチュアル=魂

魂=本当の自分

本当の自分=自分軸

って書いたらわかりやすいかな?…



ここを履き違えてる人がものすごく多いなって
自分軸すっ飛ばして
スピリチュアル(という概念)にハマることが
スピリチュアルなことをすることが
目覚め(覚醒)だと思い込んでいる


自己統合すっとばして
片割れとの統合ばかりに意識を向けてる
だから進まない
それを修行が足りないと思ってるw


私が見て来たふわスピで生きている人は
二極化とかスピ的な知識は何年も前から
めちゃくちゃ頭に入っているけど
目覚めより眠りを選んでいる人が多い


自分犠牲は分離


ふわスピの人は
自分軸に戻ること(自己統合)から逃げて
何かあったら直ぐにヒーラーや
スピリチュアルを生業にしてる人に頼りだす
答えを外に探して
人に癒してもらって
また同じ所へ戻るを繰り返す


もはやスピリチュアルが二極化してる

 
自己統合から逃げて
スピの概念にすがり続けて
いわゆるふわスピになるのか


目に見えない世界(スピ)と
コンタクトを取りながら
恐怖に立ち向かって超えて行くのか


二極化とは
ここで分かれてくると思います


違いがわかりづらいかもしれないけど


スピリチュアルにすがり続ける人は
自分の人生を人に委ねてる
委ねてるから上手くいかない


自分軸で生きるには
今までの選択や
集合意識からかけ離れた選択をする必要がある


その選択をする時に
もの凄い恐れが出て来る


それが修行のように感じるのかもしれないけど
必要のない修行を自分で作って
自分を傷めつけて
自己犠牲をして生きて


その苦しさから
さらにスピリチュアルにすがりだす


極論
二極化はとっくに終わってる…


目覚め眠りのどちらで生きるかは
生まれる前に決めてきてる
と私は思っています


私は職業柄
仕事でもプライベートでも
たくさんの人とセッションしてきました


目覚めて行く人は
スピリチュアルな人では全くなくても
ちょっとのアドバイスで
バツんと自分軸にハマって
ピューーーん!!と巣立って行きます
本来の魂はそういうものなんです
成長し続けてるから
同じ場所(次元)にずっと留まってるのは
エネルギーが下がる

 

眠る人生を選んでいる人は
どんなに人に助けを求めても
一瞬目覚めたように感じても
やっぱり眠る方へと(同じ場所に)
自分から戻っていくんですよね


そこがリアルに目の前で別れていくのを見て


結局、自分は自分でしか変えられない
というのを目の当たりにしてきました


目覚めて統合していく魂は
一つの分離も見逃さない


その目覚めていく段階で起こる
分離から統合へ向かう時の
得体の知れない恐怖からも逃げない


逃げられないように
八方塞がりにされます


おかしなと思ってたんです
自己統合から逃げて
眠りの人生に戻る人達を見ていて


え?私は逃げられなかったぞ!って
何で逃げられるの??って


自分だけ凄い試練の中にいるように感じて
私しか世界に存在していないような孤独を
何度も味わいました


でも、それは
私を統合へと導く宇宙からの愛で
結局眠りではなく
愛の柱へと戻る為の試練だった


試練って言葉も本当は使いたくないな…


試練というか
バームクーヘン剥がれ現象


例えば
「自分を優先すると家族に迷惑がかかる」
という思い込みがあるとします


それで自分を優先する(自己愛)選択を始めた時
家族にめちゃくちゃ迷惑がかかってしまうような
現実が具現化したりします
(しない場合もあるよ)


やっぱり…
迷惑かけてしまった…
だからもう
この生き方はやめた方がいいんだ
私は間違っている…


そうやって結局眠りの人生へと戻りそうになる
これが何度も起こりました


でもこれは
その思い込みの概念の
バームクーヘンが剥がれただけ


剥がれた(過去のエネルギーが具現化した)
ということは
終わったということ


これをお試しと言ったり
より戻しと言ったり
ホメオスタスシスと言ったりする


次元上昇の邪魔をする家族のエネルギー
と言う人もいると思う


それは育ってきた環境の中で
無意識に出来た呪縛で


大きく変わる前こそ
このバームクーヘン剥がれ現象が
めちゃくちゃ大きく起こる


だから大好転の前は
どん底に落ちたような状態に感じる


眠りを選んでいる人は
ここから逃げます
失敗しないようにしないように
頭で考えて動きます


目覚めを選んだ人は
現実がどうであれ
結果自分の感覚に従って動きます


なので逃げられない人は
元々目覚めの人生を生きると
決めてきている人


この統合期で感じたのは
人間にとって自分の全てを愛し尽くすこと
これが一番難しいことなのかもしれない


分離から統合されてく時
その恐れから逃げて
また自己犠牲をして
それを環境や人のせいにして
文句言い続けて生きてる方が
一見楽に思える


でもその先は違う
その自分を愛す選択をし続けるという
試練を乗り越えたら
本当に幸せな波動の世界がある


だから自分だけ置いてかれてるような
孤独になってしまったような
自分の選択は間違ってしまったような
そんな感覚になることが結構あると思うけど


大丈夫ですよ
それは自分を愛し
本当の自分で生きることを決めて
自分のエゴから抜ける為に
立ち向かってる証拠


全ては本当の自分へと戻る為
愛の柱へと戻す為に起こっている







(ここ数ヶ月、同じような内容の記事ばかり書いてる気がする…これが今私にずっと降りて来てるから、きっと必要としている人が居るんだろうな…お読みいただきありがとうございます♡)


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