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ブルアカ苗字考その⑧ ~消滅の危機にある苗字~ (推定5世帯以下)

いよいよ本企画はラストスパートへ。前回に引き続き情報の少なさゆえに推測でものを語ることも多くなるだろう。ゆえに情報について不備や手違いなどあれば遠慮なく指摘して頂きたい。



黒舘

推定5世帯以下・10人
読み:くろだて

黒舘ハルナ

茨城県鹿嶋市や岩手県北上市にごく少数見られる。同義のものに「黒館」あり。
由来はそのまま「黒い館」から。この黒い館が具体的にどの場所を示すのかは不明だが、戦国時代の居城のことを「館」とも言った。代表的なものに甲斐武田氏が構えていた躑躅ヶ崎館などがある。舘ひろしなどで有名な苗字「舘(館)」もここから来ている。
ちなみにこの時代における「城」と「館」の違いは恐らくだがない。ただし中世頃の蝦夷地では同じく「館」の字を書いて「たて」と読み、独自に城の機能を果たしていた時期もあった。特に津軽安藤氏の配下であった蠣崎氏が14世紀後半以降にコシャマインの戦いを制すると、渡島半島の沿岸部に12の館を置いたため、これらは「道南十二館」と呼ばれている。
そして現在我々に最も身近な館の名残として、北海道南部の地名「函館」が挙げられる。1454年に津軽から蝦夷へ進出した豪族の河野政通がそこへ館を築き、館の形が箱のようであったことからそう呼ばれたのが起源であるという。


狐坂

推定5世帯以下・10人
読み:こさか

狐坂ワカモ

如何にも創作のような苗字だが和歌山県橋本市や大阪府の一部などで実在する。恐らくは「小坂」の異形だと思われるが、何故「狐」を使ったのかは判然としない。
「狐」のつく苗字は意外にも多く、最も多いのは「狐塚(こづか/きつねづかなど)」で500世帯ほどもいる。その下となるとおよそ1/10以下の世帯数となる「狐崎(こざき/きつねざき)」「東狐(とっこ/とうこ)」などがあるが、どれも地名由来である。
その地名の由来にも遡りたいところだが、残念ながらあまり情報がなかった。平安時代頃から日本の古書にもよく出てくる生物なので、何か化かされた伝承でもあれば面白かったのだが……。
ちなみに狐とセットの印象がある狸がつく苗字に関しては、「狸塚(たぬきづか/まみづか)」「狸原(たぬきはら)」の2種しかないものと思われる。やはり女に化けたりする気高いイメージの狐と違い、狸はどうも俗っぽいから苗字、ひいては地名として相応しくないのだろうか。


月雪

推定5世帯以下・10人
読み:つきゆき

月雪ミヤコ

僅か2文字に日本の風情を詰め込んだ素敵な苗字。元来四季折々の象徴として語られる「雪月花」から2つもの要素が入っており、由来も字面そのまま月と雪からだ。
神奈川県小田原市などに実在。下に貼ってある表札はその小田原市の世帯のものだが、ストリートビューでこれが観測できなければ危うく電話帳以外で調べがつかないところであった。
上の欄では「狐」「狸」がつく苗字を紹介したが、では、RABBIT小隊の「兎」はどうだろうか。
最も多いのは「兎沢(とざわ/うざわなど)」で300世帯ほど。これは秋田県鹿角市に非常に集中している。文字通り兎のいる沢が由来のようだ。他にも多いものでは「兎本(うもと/うのもと)」「兎洞(うどう)」などがあるが、より希少な苗字だと「兎払(うさぎばらい/とばらいなど)」「鹿伏兎(かぶと)」「兎毛成(ともなり)」などインパクトの強いものが多い。
「兎払」は文字通り兎を追い払う行為から、「鹿伏兎」「兎毛成」はそれぞれ「加太」「友斉」の異形と言われている。


桑上

推定5世帯以下・10人
読み:くわがみ、くわかみ、くわうえ

桑上カホ

一見珍しいようには見えないが、長崎県佐世保市に僅かに存在するのみ。読みについては今一つ不明瞭な部分もあり、須﨑氏のサイトでは「くわうえ」のみ、日本姓氏語源辞典では「くわがみ」のみとなっている。
つまるところカホの苗字の正しい読み方である「くわ"か"み」はどちらにも載っていないのだが、経験則上清濁の違い程度でさして問題ないことが多いのでここに掲載することにした。なお漢字表記自体は存在するものの、読み方がほぼ確実に存在しないであろうと思われる苗字が1つあり、それについては次回の記事で取り上げる予定である。
いずれにせよ「桑上」は桑の上に住居などが位置していたことが由来と思われる。ちなみに「桑下」の方が世帯数が多い(60世帯ほど存在)。
日本には「桑原」「桑田」を筆頭に「桑」のつく苗字がかなり多いが、その理由としては養蚕業において蚕の餌であったことが挙げられる。その歴史は弥生時代まで遡り、地図記号にもなるほど日本の原風景としてよく見られるものであった。この地図記号はアルファベットの「Y」の右側に横線を足したようなものであり、諸君らは見覚えがあるかもしれないが、2013年を最後に地理院地図などでは廃止されているそうだ。


角楯

推定5世帯以下・10人
読み:かくだて

角楯カリン

滋賀県東近江市佐野町に存在。恐らくだが「角館(かくだて/かくのだて)」の異形と思われる。角館といえば武家屋敷通りでお馴染みの秋田県仙北市の地名を思い出すユーザーも多いかもしれないが、事実そこから来ているようだ。ただし秋田ではなく岩手県に多い。
ちなみに防具の「タテ」といえば「楯」「盾」と2通りの字が存在するが、苗字で言えば木へんのつく「楯」の方が圧倒的に多い。これは恐らく「楯」の方がかつては広く使われ、明治以降の漢字の簡略化に伴い木へんが省略された「盾」が使われだしたという背景にあると思われる。
いずれにせよ、「角楯」のように「館」や「立」の異形として使われているケースが大半を占めるようだ。
ただし変わり種もある。「楯」のつく苗字で一番多いのはそのものずばりの「楯(たて)」で600世帯ほどいるのだが、中には源義仲の家臣が武具の楯から名付けたという伝承のものもある。それが根井行親の六男であった楯親忠という人物であり、この2人に今井兼平と樋口兼光(おそらくこの2人の方が有名)を加えた4人は「義仲四天王」と呼ばれた。

よく見ると「角」の7画目である縦棒が突き出ているが、これが表札による意図的なものなのか、
あるいは本当の異体字なのかは不明。


里浜

推定5世帯以下・10人
読み:さとはま
※2024/3/24 追加

里浜ウミカ

百鬼夜行の海の家イベントで初登場しているのも手伝ってか、名前に「海」が入っており、苗字もそれに見合ったものとなっている。由来もそのまま「里」と「浜」からで、また生活に根差した身近な浜辺のことを里浜という。これは里山とともに国土交通省によって定義が定められており、住んでいる場所に近しいものから苗字が生まれやすいということの証左にもなるのではないだろうか。「山田」や「田中」のような、いわゆる地形から生まれた苗字と考えれば分かりやすいだろう。
苗字としての「里浜」は徳島県板野郡松茂町や和歌山県東牟婁郡那智勝浦町に分布しており、上述の由来に沿っているかのようにどちらの地域も海に広く面した土地である。特に松茂町については月見ヶ丘海浜公園なるスポットもあるようで、古くから人々の生活や娯楽の場として使われてきたのだろう。また那智勝浦町については、前回の記事でも触れた有名な難読苗字「小鳥遊」が分布している地域としても紹介している。


和楽

推定3世帯以下・10人
読み:わらく

和楽チセ

石川県小松市などにごく少数ながら実在する。「和」「楽」ともに好字と推定され、その小松市にある行善寺の僧侶による明治新姓とのこと。陰陽部なだけあっていかにも和風の苗字だが、僧侶姓であれば納得せざるを得ない。
しかし日本姓氏語源辞典によれば、同県加賀市弓波町にある忌浪神社の神主だった際に称していた姓に代えて復姓した、という逸話が行善寺に伝わると書かれており、「和楽」を名乗るに至った経緯は釈然としない。
よっていつもの如く推定になるのだが、廃仏毀釈運動が関係していると考えてみる。廃仏毀釈については前回の記事でも触れているし、それに恐らく義務教育の範疇だと思うので割愛するが、少なからず寺院としての活動が非常に難しくなったということは想像できる。そこで神社由来の苗字に復姓することで、神仏習合の意識を高め、仏教のみが目立たないようにしたのではないだろうか。全く確証は持てないのだが。


小鈎

推定3世帯以下・10人
読み:おまがり、おづる?

小鈎ハレ

三重県伊勢市にごく少数存在する。須﨑氏のサイトでは「おづる」の表記しかなかったのだが、調べる限りでは寧ろこちらの方が存在するか怪しく、恐らく「おまがり」と読むのが一般的であろう(推定10人ほどしかいない苗字に一般的も何もないのだが)。
発祥は三重県伊勢市下野町にある小字「小釣(こまがり)」から。「釣」に「まがり」という読みはないが、一方で「鈎」は「ま-がる」という訓読みをするため変遷したものと思われる。例えば歴史上甲賀忍者が最初に活躍したとされる長享・延徳の乱は、同所に「鈎(まがり)」という地名があったことから「鈎の陣」とも呼ばれた。裏を返せば「釣」を「まがり」と呼んだのも「鈎」からではないだろうか。
ちなみに「鈎」とほぼ同じ意味の漢字に「鉤」がある。どちらも異体字として扱われるが、「鉤十字」「鉤爪」や足袋に使用する留め具「小鉤(こはぜ)」などといった用例があり、多くはこちらの方が使われる。
また「鈎」「鉤」ともにこの字をそのまま用いた「まがり」という苗字も存在し、そのほか希少ではあるが「鉤流(つりゅう)」「鉤巻(つりまき)」など「釣り」を連想させるものもある。先程の小字「小釣」も大方これと同じように混同したものだろう。加えて富山県射水市や兵庫県姫路市などには同じく一字姓「釣(つり/つるなど)」が500世帯ほど存在する。


剣先(釼先)

推定3世帯以下・10人
読みけんざき、けんさき

剣先ツルギ

「釼先」も含む分布なので実際にはもう少し多い可能性あり。とはいっても10世帯いるかいないかくらいだろうが。
東京都や神奈川県の一部に存在。由来は文字通り剣の先っぽ、或いは仮面ライダー界隈ではお馴染みの苗字であるケンジャキ……ではなかった「剣崎」の異形であろう。
「剣」のつく苗字で最も多いのは「剣持(けんもち/けんもつなど)」で、静岡県静岡市に多い。同市民として言わせてもらうが結構なご当地苗字である。「剣」の他に異体字も「釼」「劔」「劒」「劍」などかなり多いのも特徴の一つ。全て合わせれば3,000世帯ほどがいると思われる。
その由来としてはヤマトタケルの東征に同行した家臣が剣を持っていたという伝承も残るが、多くは「監物(けんもつ)」の異形とされている。監物とは律令制の時代に中務省に属し、財政を司った役職の一つで、現在の財務省に近い役回りであった。


愛清

推定3世帯以下・10人
読み:あいきよ

愛清フウカ

ゲヘナの良心らしい透明感あふれる苗字は、福井県福井市などにごくわずかに存在。由来は釈然としないが、「愛甲(あいこう)」との関連が疑われる。
同苗字は薩摩川内市を始めとした鹿児島県に多いが、発祥は神奈川県厚木市の地名から。鎌倉時代には同地名を発祥とする愛甲氏が武家として定着し、鎌倉時代には御家人に列せられる。とりわけ源頼朝に仕えた季隆(きよたか)は弓の名手として名を馳せ、後の2代将軍源頼家の弓の師でもあったほか、後に大隅へ向かった分家が存在し、これが現在鹿児島県に多い理由となっている。
「愛」のつく苗字で最も多いのはこの「愛甲」で1,000世帯ほど。次点で「愛沢(愛澤)」「愛川」「愛知」と300世帯ほどのものが続く。
中でも特に変わり種として知られるのが「愛新覚羅(あいしんかくら)」である。愛新覚羅といえばラストエンペラーこと溥儀で有名な清王朝を引く一族だが、まさしくその血を引いている。要は、帰化苗字なのである。
この愛新覚羅氏の現在の「当主」であるところの人物は現在眼科を営んでおり、京浜東北線の大井町駅に貼り出している看板がツイッターで拡散されると大きな話題となった。


朱城

推定3世帯以下・10人
読み:あけしろ
※2023/5/20 追加

朱城ルミ

山海経高級中学校の商人の連合組織「玄武商会」の会長。今までNPCとして何度か登場していたが、今回の実装で苗字が明らかとなった。
静岡県下田市・三島市に恐らく1世帯ずつ存在する希少姓。その正体はこれまでにもいくつか登場した帰化苗字であり、朝鮮系の苗字「朱(シュ)」に「城」の1文字を付け加えたものとされる。
なお、日本の苗字が約15-20万種と言われるのに対し、韓国の苗字は300種類もない。最も多いのが「金(キム)」、次いで5位まで「李(リ)」「朴(パク)」「崔(チェ)」「鄭(チョン)」といった具合で、ここまでで実に全体の5割近くを占める。その分名前には陰陽五行説に基づいた取り決めがあるのだが、複雑なのでここでは割愛。
そしてなぜ少ないのかと言えば、中世より庶民にまで苗字に当たるものが付与された日本と違い、朝鮮には貴族など特定層にしか「氏」が与えられなかったからである。つまりこれは中世日本で言うところの「源」「平」「藤原」など名門の苗字のみしかないに等しく、それでは当然苗字の数は増えないわけである。


七度

推定3世帯以下・10人
読み:しちど
※2023/7/19 追加

七度ユキノ

FOX小隊の隊長であり、小隊4人の中では一番初めに苗字が明かされた。
発祥と思しき愛媛県喜多郡内子町と神奈川県横浜市青葉区に1世帯ずつ存在するようだが、前者は当主が2013年頃に亡くなっているため世継ぎがいない場合横浜市の1世帯のみになっている可能性がある。
日本姓氏語源辞典ではその由来を「推定では七回から」と書いていたが、一体何が七回なのかさっぱり分からない。ので、近しい苗字で調べたところ長崎県西彼杵郡などに「八度(やつど)」が存在。その由来は「八回の行為から」とのこと。行為とは、要するに性行為のことで良いのだろうか? 違っていた場合筆者の頭はコハルということになるが、名乗るに至った経緯が非常に気になるところである。
また「数字+度」で形成される苗字は他にも「渡」を分解したとも推測される「三度(さんど)」、「志度」の異形である「四度(しど)」、多くの回数を表すと思われる「百度(ひゃくど)」「万度(まんど)」などの実在が確認できる。よって「七度」がこの中のどれに当てはまるのか、はたまたどの由来でもないかは釈然としない。
また、落語に「七度狐」という演目がある。これは2人の旅人が「一度恨みを買うと7回も仕返しをしてくる」という狐の恨みを買ってしまい、その化される様子を面白おかしく描いたいわゆる滑稽噺に相当するものなのだが、言うまでもなく狐耳で"FOX"小隊に所属するユキノには何かしら元ネタを含めた関係があるものだと思われる。実際の苗字も「七度狐」との関連はあるのだろうか?


霞沢(霞澤)

推定3世帯以下・10人
読み:かすみざわ

霞沢ミユ

恐らく埼玉県熊谷市に「霞沢」、埼玉県東松山市に「霞澤」それぞれが1世帯ずつ実在するのみ。また共に病院を営んでいるため親族の可能性が高い。
文字通り地形由来のものと思われる。沢に水が流れている時、飛沫で霞みがかることから生まれたものではないだろうか。
雨かんむりの漢字が入る苗字はあまり身近ではないが、多くの場合実在するのでかいつまんで6つほど紹介してみる(雲・雪・霜などはそこそこいるので省略)。


上記の「霞沢」を含め少なくとも10種類以上が存在。最も多いのはそのまま「霞」で300世帯以上もいる。修験者の勢力範囲のことを霞割・霞場などといい、そこから来ているようだ。

神奈川県相模原市に多い「霧生(きりう/きりゅう)」が筆頭。「桐生」の異形と思われる。次いで「朝霧」が存在。岡山県美作市では戦国時代に朝霧氏が居住した記録が残る。 →朝霧スオウ

岩手県に分布する「雫石(しずくいし/しずくせきなど)」が代表格。鎌倉時代には「滴石」と表記がある地名由来の苗字で、現在も雫石町として残る。同地は1971年に全日空の旅客機と自衛隊の戦闘機が衝突する事故が起きた場所としても有名。

「雷(かみなり/いかづちなど)」が存在。勿論自然現象の雷から来ており、そのほか雷+窪地から「雷久保(らいくぼ)」、雷+坂道から「雷坂(らいさか)」などが希少ながら確認できる。
霊(靈)
どれも希少だが「霊山(よしやま/たまやま)」を筆頭にそれなりに種類は多い。「霊山」は釈迦が説法を行ったとされるインドにある霊鷲山(りょうじゅせん)という山から来ており、もちろん仏教に由来し僧侶が名付けた苗字。
筆者のネットの知り合いに寺院の出がいるのだが、彼の苗字がこれだそうだ。

「大山霰(おおやまあられ)」のみが存在。一見かなり突飛な印象を受ける苗字だが、鳥取県に聳える大山に霰が降ったことが由来と思われ、事実同地に居を構えている。


調月

推定3世帯以下・10人
読み:つかつき

調月リオ

ミレニアムを束ねる生徒会長としてのエゴイズムをよく表した苗字とも言えるが、その字面に違わず非常に希少である。和歌山県海草郡紀美野町にごくわずかに確認できるのみで、過疎集落ということも相俟って調べる限りでは1世帯しか存在しない可能性が高い。現在の当主は教職を営んでいるようだ。
和歌山県紀の川市桃山町に調月という地名があったことが発祥と言われる。
同地には大歳神社(おおとし-)という神社があり、厩戸皇子、即ち聖徳太子が陣を張った後に建てられたようで、587年に蘇我馬子と物部守屋の宗教観の違いが引き金となって巻き起こった丁未の乱と密接に関わっている。蘇我軍が物部軍を調伏(仏教の力を借りて障害に打ち勝つこと)をした際の言葉が元になって「調月」の字を当てたとされ、その後この地を収めた馬子の家臣・紀男麻呂(きの・おまろ)は「紀男麻呂宿禰調月」と名乗った。
ちなみに彼、紀男麻呂は白村江の戦いが起きる1世紀前に任那一帯を滅ぼした新羅と干戈を交えており、大将軍として派遣されていた記録が残る。その後の丁未の乱では蘇我氏に従い武功を挙げると、再び任那を再興するべく大将軍に就き朝鮮半島に近い筑紫まで出兵。しかし、これを命じた崇峻天皇が前代未聞の天皇暗殺事件により薨去したため、推古天皇の時代になると都に帰還したという。


杏山

推定3世帯以下・10人
読み:きょうやま、あんずやま?

杏山カズサ

今回調査した中では唯一電話帳以外の生きた存在証明を発見できなかった苗字。しかしながら日本姓氏語源辞典に記載があることに加え、とある事情からほぼ存在は確実視されているので掲載。
というのも、韓国系の帰化苗字だからである。日本姓氏語源辞典によれば1986年に福岡県福岡市で帰化した記録が残り、現在は同県の嘉穂郡桂川町に移り住んでいるものと思われる。元の苗字は「朴(パク)」。韓国の苗字は先述のように300種類もないと言われているが、その中で「朴」は3番目に多く、日本では代表的な帰化苗字としてこの一字をばらした「木下」が挙げられる(全体の「木下」の約3%程と言われる)。
ちなみにカズサを演じている声優の夏吉ゆうこの苗字「夏吉」も、本名であれば10世帯以下と思しき非常に珍しい苗字。福岡県田川市には同名の地名が残り、日本書紀の伝説に由来する。
神夏磯姫(かむなつそひめ)というこの地一帯を治めていた女性酋長がいた。彼女は神功皇后に従い辺り一帯の敵勢力を平定したのだが、活躍に反して恩賞がなかった。これに不満を持ったのが神夏磯姫の一族で土蜘蛛の女王・田油津媛(たぶらつひめ)とその兄・夏羽(なつは)で、彼女らは神功皇后の暗殺を企てる。しかしほどなくして計画は露見し、田油津媛は誅殺され、夏羽は館に火をかけられ焼き殺されてしまった。このことに由来してその村は「夏羽焼村」と呼ばれ、やがて「夏焼村」→「夏吉村」と呼ぶようになったという。
ところで「夏焼」といえば苗字としても存在し、元Berryz工房のメンバー夏焼雅が有名だが、こちらは発祥は青森の方で、焼畑農業が多く行われていたのが由来のようだ。
さて、ここまでいくつか帰化苗字を紹介しているが、次項は一風変わった帰化苗字が主役である。


聖園

推定3世帯以下・10人
読み:みその

聖園ミカ

実装後から鯖を落とし、ロールケーキ、セミと順調にミームを獲得し今や非常に人気が高いミカ。その苗字「聖園」は、上述した通り帰化姓ではあるのだが実在する。
しかし帰化と言ってもこれまで紹介してきた中韓のものではない。ドイツである。
1890年にドイツ・ヴェストファーレン州で生まれた彼女は出生名をテレジア・イレルハウスといった。やがてシスターとなると、キリスト教布教のため来日。とりわけ秋田県で多く救済事業を行い、1927年に秋田県知事から表彰。その際に帰化し、名を「聖園テレジア」と改めたのである。
ミカ自身もその名前が手伝って聖書に登場する大天使ミカエルが元ネタではないかと言われており、開発側の苗字に対する深い造詣を勝手ながら感じている。
ちなみに、比較的日本名に溶け込んだ中韓のものと違い、欧米圏など他圏の帰化苗字は特徴的なものが多いためよく取り沙汰される。
特にに有名なのが力士だ。親方となって日本に滞在することが多い関係上、著名な力士が帰化して四股名をそのまま戸籍上の苗字にするケースは多い。代表的なものに「時天空」「小錦」「武蔵丸」など。
そして基本的に帰化苗字は自由に決められるため、突飛なものになるケースもまま見受けられる。その最たるものとして度々話題に上るのが「辺銀(ぺんぎん)」である。
父が中国人、母がモンゴル人であった崔暁峰という人物が結婚後の2002年に帰化し、好きな動物から名付けたのだという。彼ら夫婦は現在石垣島で食堂を営んでおり、「食べるラー油」ブームの火付け役となったことでも有名。
さらに2018年には、あの架空の苗字の代表格が帰化によってついに現世に顕現した。
それが「涼宮(すずみや)」だ。中国人が2018年に東京都板橋区で帰化して誕生と推定されている(色々と込み入った事情があるので詳しくはここを参照)。勿論由来は『涼宮ハルヒの憂鬱』からのようである。
「涼宮」はその苗字として違和感のない字面からいつの間にか複数のキャラ名に使われ、まるでマンデラ・エフェクトのように長らく日本に以前から実在するものと考えられてきた風潮があったように思う。初めて創作において「涼宮」が使われたのは、確証はないのだが美少女ゲーム『君が望む永遠』の涼宮遙ではないかと推測している。


尾刃

推定3世帯以下・10人
読み:おがた

尾刃カンナ

「尾形」「尾方」などの異形と思われる。「刃」に「がた」という読み方はないが、「刀」の読み方が転じたものだろう。先述の「小鈎」でも触れているが、通常ではないはずの読み方が似た見た目や意味の漢字に引っ張られて誤読したものが定着するのは何ら珍しくない。
この苗字に関しては情報が非常に少なく、きちんと調べるまでは存在しないものだと思い込んでいた。というのは、これまで調査の中で散々頼ってきた日本姓氏語源辞典に掲載がないからだ。この時点でかなり実在を疑ったのだが、にも拘らず意見を翻したのには2つ理由がある。
1つは、ストリートビューで表札が確認できたことである。電話帳を頼り場所を特定したところ埼玉県上尾市に確かにあったため、その表札はいつものように項目の最後尾に載せておく。非常に見づらく誤認もしやすそうだが、よくよく見てみれば「刃」に見えないこともない。
しかしながら説としてはこれでは弱い。理由はやはり視認がしづらく、かつよく似た苗字に「尾刀(おがた)」があるからである(わざわざこちらではなく読みづらい「尾刃」の方を選んだ辺りに今回の企画のモチベーションがある)。
そこで改めて表札を見てみると、「刃」の3画目にしては他の文字の線に比べて不鮮明であり、どちらかと言えば「刀」に見えないだろうか。
つまるところこれだけでは電話帳の誤記とも考えられ、実在を決定づける十分な証拠には至らなかった。機会があれば現地調査もしてみたいところだが、ここでもう一つの理由を紹介しよう。
先述の通り、日本には現在約15-20万種の苗字があると言われている。当然これらを全て調べ切れるわけもなく、いくら研究に費やそうが単純計算だと全体の2%も調べられずに一生を終える。
しかし、裏を返せば1つの都道府県であれば生涯の中での調査は不可能ではないということでもある。
埼玉県に茂木和平(もてぎ・わへい)という学者がいる。彼は中学生の頃に苗字に興味を持ってからというものの、埼玉県のほぼすべての自治体を訪問し、延べ40年以上に渡って県内の苗字を由来を含めてくまなく調査している。その後はそれを2004年から2008年にかけて『埼玉苗字辞典』として計4巻を刊行、更に2022年には関東甲信越を拠点とした武士の苗字を5巻に渡りまとめた『埼玉苗字辞典 関東甲信越』を自費出版で刊行するという、知名度こそないが確かに郷土研究に大きな影響を及ぼした人物だ。
そしてこの辞典はありがたいことにニフティサーブの彼のページで閲覧することができる。
そう、2つ目の理由とは『埼玉苗字辞典』に「尾刃」の記載があることだ。上記のリンクから「尾刃」の項目を辿ってみると確かにあり、「大宮に存す」と書かれている。実際に大宮に存在するかどうかは確認できなかったが、信頼できる情報筋ではないだろうか。

……とここまでもったいぶって書いてきたのだが、かなり手を広げたところ札幌のとある病院の広報誌でこの苗字が確認できた。これも先の表札と併せて掲載しておくことにしよう。
発見できたのにも拘らずむざむざこんなまどろっこしい過程を辿ったのは、ひとえに茂木和平という人物を紹介したかったからである。彼のような郷土に根差した学者が多く現れることを祈りたいところだ。


勘解由小路

推定3世帯以下・10人
読み:かでのこうじ
※2023/11/5 追加

勘解由小路ユカリ

苗字界隈では言わずと知れた、現在日本で2種類しかない5文字の苗字のうちのひとつ。また便宜上「推定3世帯以下・10人」と書いているが、ほぼ間違いなく1世帯、若しくはその1世帯直属の家系しか存在しないものと思われる。
そして恐らくその家系の現在の当主は最後部の画像にも記した雄一氏。また彼の先代当主である※資淳(すけあつ)氏はWikipediaにも記事があり、登記簿謄本から2019年頃に亡くなったと推測されている。

※ここではこのサイトの情報に基づいて雄一氏の先代当主を資淳氏と表記しているが、父子の関係としてはあまりにも年が離れているため、雄一氏の父が婿入りした可能性もあるが現状は不明。

この資淳氏の母・松村好子(-いつこ)の妹・康子(さだこ)は文豪として知られる志賀直哉の夫人でもあるほか、資淳氏自身もこちらも文豪として名高い武者小路実篤の養子に親戚の縁で一時入るなど、歴史に足跡を残している。それもそのはず、勘解由小路家は非常に由緒正しい一家なのである。
その苗字の発祥は1644年京都、藤原北家の嫡流である烏丸資忠(からすまる・すけただ)によるもの。烏丸という苗字が示す通りこちらも格式高く、現在京都に残る地名・烏丸とも縁が深い。そして勘解由小路もまた京都の地名であった勘解由小路から名付けられたものと思われ、こちらも現在上京区付近に勘解由小路町(かげゆこうじ-)として残っている。
ちなみに地名としての勘解由小路の由来を辿ると、律令制が行われた9世紀の頃の役職・勘解由使(かげゆし)に行きつく。これは地方を監査するために設けられた。苗字ではこのうち「かげゆ」の発音が訛り、「かでの」という難読なものになったのではないだろうか。
そんな京都に縁が深い勘解由小路家だったが、恐らく明治維新に伴い国事に従事するため東京に居を移したものと思われ、最終的には資淳氏が養子になる前の松村家の本拠である山口に移動したものと推測される。
また資淳氏は山口県の山陽小野田市に居住していたのだが、山陽小野田市は漢字のみで表記される日本の市名において最も長い。即ち、「日本で最も長い市名に住む、日本で最も長い苗字の人」でもあったのだ。

冒頭では日本で5文字の苗字は2種類しかないと言ったが、そのうちもうひとつは「左衛門三郎(さえもんさぶろう)」という。「左衛門」「三郎」はともに男性名だが、このうち「左衛門」は左の門を警備するさまも表した。また、鎌倉時代後期に平頼綱(-よりつな)という武将が名乗っていたとされ、『吾妻鏡』には「平新左衛門三郎」という名前が見られる。こちらは埼玉県さいたま市に実在すると言われているが、「勘解由小路」と違って特別格式高い家でもないため2023年時点で現存の確認が取れていない。今のところ確認できる最新の情報はここに載っている2017年の宅建の名簿だが、リンク元は見られない状態となっている。


以上で、苗字が明らかになっているキヴォトスの生徒のなかで、実在する全員の紹介を終えた。
次回が最後となるが、そもそも架空の苗字だと話を膨らませようがないことも多そうなのであまり書くことはないかもしれない。それでもよければ、最後までお付き合い頂けると幸いである。
あとがきは次の記事で書きたいので今回は手短に。


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