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ブルアカ苗字考その⑦ ~存続が危ぶまれる苗字~ (推定10世帯以下)

非実在苗字の解説を含めても残すところあと3パート。ここからはあまりにも情報が少ないので、数字に関してはあくまで希少性の目安程度に見て頂けると幸いである。



静山

推定10世帯以下・30人
読み:しずやま

静山マシロ

兵庫県淡路市、佐賀県佐賀市、奄美大島など。それぞれ由来が違うようなので3つ列記する。

①兵庫県淡路市
字面通り静かな山から。それがどの山を指すのかまでは分からなかった。もしかしたら「鎮める」にも通じて何かを祀っていたのかもしれない(「鎮山」という苗字も存在)。
②佐賀県佐賀市
同市にある正伝寺の僧侶による明治新姓。山号が安静山であったことから。
③奄美大島
既に同地に存在した苗字「静(しずか)」に「山」を一字加えたもの。「静」はあまり馴染みがないかもしれないが500世帯弱は存在する苗字。奄美大島のほか群馬県に多く、源義経の妾であった静御前から取ったとされる伝承がある。

個人的には③が興味深い。なぜ山/をつけたのかは釈然としなかったが、創賜姓(新たに創姓した上で身分が下の者に賜った苗字)であることから離島特有の文化が根差しているのかもしれない。同じ苗字でも三者三葉の考察の余地があるのだ。


錠前

推定10世帯以下・30人
読み:じょうまえ

錠前サオリ

並みいる生徒たちの中でも幸せを願われているニヒリスト。度々口にしている"Vanitas vanitatum et omnia vanitas."は旧約聖書から抜き出した言葉であり、簡単に言えば「全ては虚しいもの」という諦観に沿ったものとなっている。転じて虚無・虚栄を根幹に置いた静物画を指すこともあるのだが、前回の記事のセイアといい、運営には絵画に造詣のある人間でもいるのだろうか。
話が逸れたが苗字はほぼ岩手県にのみ存在。当然鍵を扱っていた者が名乗った苗字……と思いきや由来はそれだけではないようで、城の前に住んでいたことから「城前」が変化して生まれたものもあるという。「城前」は青森県などで100世帯ほど存在。
他に「錠」のつく苗字には「碇」の異形と見られる「錠(いかり)」や、神社の鍵を守る職業からつけられたという「錠者(じょうじゃ)」などがある。

余談ではあるが上の「中野渡」は青森を代表する苗字。


小鳥遊

推定10人以下・30人
読み:たかなし

小鳥遊ホシノ

難読ながら最早読み方を知らない者はいないであろう創作における代表的な苗字。よって由来も割愛。その数たるや創作のキャラが実在の人間をとうに凌いでいると言われているのも有名な話で、実際に見たことがある人はまずいないものと思われる。
もちろん世帯数が少ないこともそうなのだが、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町という限界集落に固まって存在しているのも原因ではないかと推測。そのため今回取り上げている苗字の中でもかなりの絶滅の危機に瀕していると言えよう。
ちなみに創作における「小鳥遊」のパイオニアは森博嗣ではないかと言われている。それが彼の2作目となった『Vシリーズ』に登場する小鳥遊練無(-ねりな)という人物。少林寺拳法の心得がある一方女装癖があるという男で、何とも時代を先取りしたような設定となっている。
同作を昔読んだことがあるのだが、森博嗣らしい軽快な推理劇が目を引いた。冷静沈着な探偵兼便利屋の主人公である保呂草潤平が、自称科学者の探偵・瀬在丸紅子や周りの友人たちを含め遭遇した事件を回顧するという形式をとっている。こうした登場人物の性質は後の『S&Mシリーズ』に通じるところもあるが、あまりサイバネティクスやガジェットといった同作を象徴する理系を押し出した面は見受けられず、その分僕でも読みやすかった気もする。
全く関係ない話になってしまったが、「小鳥遊」だけでなく「保呂草(ほろくさ)」「瀬在丸(せざいまる)」はともに実在する苗字、と書いておくことで着地点を設けておく。最近は隠居したい雰囲気を隠していないが、森博嗣は苗字にも精通していたのだろうか?


空崎

推定10世帯以下・30人
読み:そらさき、そらざき

空崎ヒナ

香川県は小豆島に分布。同地はオリーブ栽培の先駆的場所としても知られるほか、小豆島が故郷である作家・壷井栄が書いた『二十四の瞳』の舞台となったこともあり全国的に有名な島である。
由来は高所にある突き出た土地からであり、高所であることから「空」に例え、また突き出た土地であることから急峻な場所を意味する「崎」と分かりやすい。特に「空」の意味に関しては以前触れた「空井」「奥空」と同じである。要するにブルアカには「空」のつく苗字が3つもある。確かに透明感の象徴たる言葉ではあるが。
ちなみに小豆島の苗字TOP3はといえば「山本」「高橋」「岡田」と実にありふれているが、TOP30まで行くと「炭山」「久留島」「須佐美」など地域特有の苗字が出てくる。このほか自治体ごとの苗字を調べるとかなり特徴的な地域もあったりするので、調べてみるのもまた一興である。


丹花

推定10世帯以下・30人
読み:たんが
※2024/1/21 追加

丹花イブキ

ゲヘナのパンデモニウムに所属し、生徒会長のマコトを筆頭に愛月撤灯されている幼女。苗字は三原市を筆頭に東広島市、尾道市と殆ど広島県にのみ存在。
日本姓氏語源辞典では「推定では赤土と花から」とあるが、その意味が示す通り丹とは赤色を表す。特に流化水銀からなる辰砂という鉱物を丹と呼称し、転じて辰砂から加工された顔料や赤色のことも指すようになった。このことから古来から日本では赤色を表す際に用いられてきており、例えば頭頂部が赤いことから名付けられたツル科の鳥・タンチョウ(丹鳥)や、園芸用としてもお馴染みの花・ボタン(牡丹)などに今でもその名残が残る。
加えて苗字としても「丹」を含むものは多く存在する。愛知県を始め東海四県に集中する「丹羽(にわ/たんばなど)」を筆頭に、「丹野(たんの)」「伊丹(いたみ)」「丹下(たんげ)」などそれなりに数が保証されている苗字が多くあり、今でこそ馴染みが少ない漢字だが歴史に根差してきたことが窺い知れよう。
ここからは「丹花」にかこつけた完全なる余談だが、「ピ"タンガ"」というフトモモ科に属するブラジル原産の植物がある。地元では果実酒やジャムに加工されている小さなカボチャのような形をした植物で、ゲーム『ポケットモンスター』シリーズに登場するきのみ・タンガのみのモデルでもある。そしてこのピタンガという植物、トゥピ語で「赤い」を意味する「pi'tãg」が名の由来とのことで、偶然にも響きが似ている「丹花」とその名の由来が一致している。稀に「道路」と「road」のように日本語と英語で響きも意味も似通っている言葉が取り沙汰されることがあるが、地球の裏側にもこうした偶然が存在するのである。


荒槇(荒槙)

推定10世帯以下・20人
読み:あらまき
※2023/8/27 追加

荒槇ヤクモ

レッドウィンター連邦学園出版部部長。苗字は「荒槙」も含まれるケースがあるため実際には30世帯前後いる可能性もあり。いずれも広島県広島市に分布。「荒れた牧場」を意味する「荒牧」から派生した他、合略姓とも。
合略とはいわば本来の姓名を省略したり2つの異なる姓名を複合させる苗字のこと。例えば自民党幹事長で有名な二階俊博の苗字「二階(にかい)」の由来の一つは、「二階堂(にかいどう)」からの省略である。またフィギュアスケーターの紀平梨花の苗字「紀平(きひら)」は三重県津市に非常に集中するが、古くからの名門貴族である紀氏と平氏から1字ずつ取って苗字にした複合姓と言われる。
そして肝心の「荒槇」なのだがこれは前者、即ち略姓と見られ、「荒谷(あらたに)」の略と推定される……のだが、こちらからしてみれば寧ろ書く手間が増えているように見える。だとすれば何故略したのだろうか? 残念ながらこの件に関しては調べてもいまいち判明しなかったため真相は藪の中だ。
よって推定にはなるが一つ考えられるものとしては、墨字で書いた時の書きやすさである。
諸君は合略仮名をご存じだろうか。これは手間を省くために複数の仮名を組み合わせて文字としたもので、つまるところ平仮名の合字である。特に有名なのが「より」の合字「ゟ」で、ご覧の通りUnicodeにも対応している。かつてはスペースの関係上文字が入らないときに新聞などに使用されていたようだ。その他にも時代は遡るが、「こと」「なりけり」「まいらせ候」などの合字は古典を読むときに散見されるなど使用例がある。
即ち、「荒槇」も平仮名で書いたときに「荒谷」よりも書きやすかったのでは?ということである。的外れな気がしないでもないが、僕にはこのぐらいしか思いつかない。

※追記
その他に考えられるものとして、由来となった荒谷氏(現在の広島県呉市付近を統治)の後裔が「荒」の1字のみを残したとあるため、後の時代に「槙」が付加した結果生まれたものとも捉えられる。即ち「荒」の1字のみを残した時点では合略だったのではないか、ということだ。その場合後に「槙」が付け加えられた理由もまた判然としないが、大方「槙が周囲に生育していた」などといったようなよくある地形由来の事由と推測できる。


池倉

推定10世帯以下・20人
読み:いけくら

池倉マリナ

ブルアカでは数少ない男装の麗人のような佇まいはしているが、中身は陸八魔アルと遜色ない疑惑がある。
苗字の方は一見とてもありふれていそうに見えるが、北海道江別市や神奈川県茅ヶ崎市などごく一部に存在するのみ。由来もそのまま池の傍に倉があったことと考えられ(ただし以前の記事で書いたように「倉」が「崖」に通じる例あり)、この辺りは話を膨らませるのは難しい。
ううむ……そうだ、こちらも少数だが「池倉」に対して「倉池」という苗字もある。このように、文字が入れ替わっても存在している苗字は枚挙に暇がない。では、例えば「田中」と「中田」では何が違うか考えたことがあるだろうか? この違いに関して、名字研究家の高信幸男はこう語っている。

「平地の田んぼの真ん中に住んでいる人がつけたのが『田中』で、高低差のある田んぼのうち真ん中に住んでいたのが『中田』である」
――2018年2月6日放送 TV番組『この差って何ですか?』より

これだけでは分かりにくいだろうし、もう少し嚙み砕いて説明しよう。
まず「田中」に関しては字面の通り、「田んぼの真ん中に住んでいたから」である。ビンゴカードに例えると数字の部分が辺り一面田んぼであり、フリースペースの辺りに家を構えていたということである。
そして中田に関してだが、これは「高低」を「上下」に置き換えると分かりやすいのではないか。要は土地が上の方にあるか、下の方にあるかだ。上の方にあると「上田」、下の方にあると「下田」となる。つまり「中田」は高くも低くもない場所にある田んぼ付近に住んでいたからつけられたのだ。
このように、文字が入れ替わっただけで苗字の意味は多く変わってくる。もちろんすべてがそうだとは限らないが、日本の苗字ならではの意図を読み取ることによる面白さは伝わっただろうか。


秋泉

推定10世帯以下・20人
読み:あきいずみ

秋泉モミジ

レッドウィンター連邦学園の「知識解放戦線」なる図書委員相当。よくコミケに出ているらしい。
長崎県雲仙市などに実在。由来は調べた限りではそのまま地形由来で秋に泉が湧いていたからだという。
なお「春」のつく苗字で最も多いのは「春日(5,500世帯ほど)」、「夏」は「夏目(4,500世帯ほど)」、「冬」に至っては「冬木(250世帯ほど)」なのだが、「秋」は「秋山(35,000世帯ほど)」を筆頭に「秋元」「秋田」など1万世帯近いポピュラーな苗字も存在。ここに何故「秋」のつく苗字だけ抜きんでて多いのか? という疑問が残るが、残念ながら調べてもそれらしい情報が見当たらなかったので推測してみる。
恐らく、農業に関連した苗字が多いからではないだろうか? 秋といえば農業従事者が収穫を迎える季節。それこそ「秋田」なぞ米の収穫としてお誂え向きの時期だからついたのではないかと考えている。


阿慈谷

推定10世帯以下・20人
読み:あじたに

阿慈谷ヒフミ

広島県に実在。発祥は同県の安芸郡にある坂上寺阿慈谷坊から。本尊は薬師如来、即ち病を治す仏として古くから信仰されており、「阿弥陀の慈悲」が転じたものとされる。
ヒフミの所属である「トリニティ」といえば元来三位一体に通じキリスト教の教えであるので、これを踏まえればこの苗字は宗教観が混在しているとも言える。そもそも見る限りではブルアカ自体がかなり各地の神話や宗教の意匠を取り入れ、人類学の坩堝のような状態にもなっている。ゆえに2つの主要宗教を掛け合わせたものが意図的であり、深い意味が込められている苗字なのかどうかはこれから個人的に注目していきたいと思う。


竜華(龍華)

推定10世帯以下・20人
読み:りゅうげ、たちばな
※2023/5/25 追加

竜華キサキ

会長を務めている玄龍門から1字を取り、かつ山海経の元ネタである中国要素も感じさせるよくできた苗字だが、実在する。実際には「龍華」も含むためもう少し多い可能性あり。表札を確認する限りでも意図的に字体を変えているケースが見受けられた。余談だが個人的にはこの人を思い浮かべる。
滋賀県守山市の周囲などに分布。由来は古くから名門である「橘」からである。一見何の接点もないように見えるが、「竜華」を訓読みしてみるとなるほど確かに「たつ・はな」と読める。これに発想を飛ばした愛知県愛西市にある常徳寺の僧侶が明治新姓として創姓したそうだ。加えて同寺の山号は「龍華山(りゅうげざん)」である。他にも調べる限りでは各地で住職の苗字になっているようだ。
「龍」「竜」は先述したように旧字体・新字体の関係でありそれぞれを識別するのは困難というか、同一視しても問題ないとは思うのだが、もう一つ龍を表す漢字として「辰」が挙げられる。この字を用いた苗字の代表例が「辰巳(辰己とも。いずれも読みは『たつみ』)」で、旧暦として使われた十二支による方角では南東を意味する。詳しくは後述する「乙花」の項目を参照。
加えて「辰巳」の異形として「巽」があるのだが、これは中国の易経による占い・八卦に由来する。これは文字通り8つの基本からなり、乾(けん)、兌(だ)、離(り)、震(しん)、巽(そん)、坎(かん)、艮(ごん)、坤(こん)からなる。このうち巽は八卦では南東の方角を表すため、後に日本では十二支の方位、即ちここでいう「辰巳」に当てはめられそう読むようになった。


薬子

推定10世帯以下・20人
読み:やくし

薬子サヤ

マッドサイエンティスト田村ゆかり。
苗字は石川県小松市など。同じく石川県に多い「薬師」の異形と思われ、同苗字は仏教の薬師如来から来ている。左手に薬壺を持っていることからその名で呼ばれ、古くより病気平癒の対象として祈願されてきた。つまるところ偶然にも先に触れたばかりの「阿慈谷」に通じる苗字となる。
著名な仏のためか「薬師」のつく苗字は想像以上に多く、「薬師寺」を筆頭に「薬師神」「薬師川」などがある。また『セーラー服と機関銃』でお馴染み薬師丸ひろ子の苗字「薬師丸」は希少姓でもある。
サヤは山海経高級中学校の所属であるが、元ネタとなった中国の奇書『山海経』には耳鼠(じそ)という生き物が登場する。これはイタチにネズミの耳がついたような見た目をしており、サヤのデザインの発案元になったものと思われる。ちなみに鼠(鼡)のつく苗字はどれも希少だが幾つかあり、「鼠谷(よめたに/ねずみだになど)」「鼠家(ねずみや)」などがある。


小塗

推定10世帯以下・20人
読み:こぬり

小塗マキ

赤髪シニョン、そしてCV三上枝織ということでどうしても赤座あかりを思い出す。
苗字は福島県福島市入江町などに存在。「日本姓氏語源辞典」によると「小さな塗る場所」からとのことだが、そもそも小さな塗る場所とは一体何を指すのだろうか。情報が少なくて詳しい由来が不明な気がする。ので、これまでそうしてきたように僭越ながら勝手に由来を推測してみる。

①「塗」がつく苗字で一番多いのは「塗木(ぬるき/ぬりきなど)」。これは鹿児島県南九州市、それも旧知覧町の区画に非常に集中しており、同町には「塗木門」という門があった。また「塗木」とはウルシ科に属する樹木ヌルデ(白膠木)のこと。更に江戸時代の薩摩藩では門割制度と呼ばれた土地の仕組みがあり、1つの農民団体を「門(かど)」と呼んでいた。
②江戸時代以前より「塗師(ぬし)」という職業があった。これは何を塗るかといえば漆を塗る職業のことで、転じて石川県などに存在する苗字ともなっている。
③「塗塀(ぬりべ/ぬりへい)」という苗字がある。これはもう読んで字の如く、塀を塗っていたからだ。ちなみに似たようなものに妖怪を彷彿とさせる「塗壁(ぬりかべ)」という苗字もある。

同じ塗ることを主体とした苗字でも比較してみるとてんで「塗る」の対象が変わってくるわけだが、「小塗」のように「少し塗る」のなら③が由来に相応しいように思う。諸君らはいかがだろうか。


守月

推定10世帯以下・20人
読み:もりづき、もりつき

守月スズミ

高知県幡多郡や静岡県周智郡など。月を守るとは何とも雅な苗字だが、幡多郡にある月山神社の神主が、当時の名称であった南照寺の山号・守月山(しゅげつざん)から名付けたとのこと。
「神社なのに寺?」という疑問が残るかもしれないが、これには月山神社の歴史が関わっている。
神仏分離令という言葉を聞いたことくらいはあるだろう。その名の通り神道と仏教を別々にしようという動きで、平田篤胤が提唱していた国学論に端を発し、明治維新の際に行われた動きだ。そしてこれ自体に「仏教を否定する」という意図はなかったものの、やがて仏教を廃そうという廃仏毀釈運動にも繋がってしまうこととなる。
つまり、それ以前の江戸時代には本地垂迹説の動きこそ弱まっていたものの、神仏習合の寺社は何ら珍しくなかったのである。しかし廃仏毀釈により仏教の側面での活動が難しくなったため、「南照寺」に代わって「月山神社」の名称を使用するようになったのだ。
またかねてよりの遍路信仰も受けており、現在でも四国八十八カ所における番外札所として観光地となっている。


連河

推定10世帯以下・20人
読み:れんかわ

連河チェリノ

熊本県天草市などに存在。「連川(つれかわ)」の異形とされ、文字通り川が連なっている様から名付けられたという。
また関連姓として「喜連川(きれかわ/きつれがわなど)」が挙げられる。これは栃木県さくら市にある喜連川(きつれがわ)という地名に由来しており、江戸時代には同名の藩があった。この喜連川藩というのがまた面白い。
僅か5000石しかない超小規模な藩であり、財政には常に窮していたという。なので奥州街道沿いにある宿場町に位置していたことを生かし、仙台藩などの大規模な藩が参勤交代を行う際に無理にでも藩内の宿場に止まらせて金を稼いでいたそうだ。
加えて豊臣秀吉が小田原征伐の際に足利氏の断絶を惜しんで領地を与えたことを起源とした位の高い藩であったということもあり、財政状況も相俟って参勤交代を免除する「国勝手」という特例があったという非常に珍しい藩である。


由良木

推定10世帯以下・20人
読み:ゆらき、ゆらぎ

由良木モモカ

兵庫県洲本市・宝塚市に分布。洲本市にある小字・由良木山が発祥のようだ。
「由良」といえば軽巡洋艦の名前にもなるなど各地でも見られる地名だが、大抵は「揺らぐ」から来ており、風や波で砂が舞っている(揺らいでいる)海岸を指すという。この苗字及び由良木山が位置している洲本市にも由良という地名があり(旧由良町)、また同地の沖合には成ヶ島という島もあるため、特徴的な砂州が伸びているためこのような光景を想像するのは難くない。
そのような自然環境に加え瀬戸内海気候であることも手伝い、同地は漁業やミカンの栽培などで栄え、景勝地としての観光スポットともなっている。また瀬戸内海をぐるりと囲む瀬戸内海国立公園の一部にもなっている。


乙花

推定10世帯以下・20人
読み:おとはな

乙花スミレ

滋賀県東近江市や大阪府北部などに存在。
「乙」には色々な意味があるが、これは十干(じっかん)の乙を指すものと思われる。十干とは甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種からなる集合のことで、古代中国の陰陽五行説に基づいた区分けが日本にも伝わった。とりわけ五行である木・火・土・金・水はそれぞれ十干の2種類ずつに区分けされており、例えば木に属する「甲」「乙」は甲を「木の兄(きのえ)」、乙を「木の弟(きのと)」と呼んだりもする。
そしてこれにお馴染み十二支を合わせたものが所謂「干支」と呼ばれるものだ。先の「木の兄」「木の弟」の「兄弟」の読み方を合わせて「えと」と読むため、干支の読み方の由来となっている。
この干支は単に現在の我々に紀年法として機能しているだけでなく、明治の初めごろまでは「不定時法」と呼ばれる時刻の確認方法として使われてきた。これは一日の長さを24等分して図る、所謂現在使われている「定時法」と違い、一日を昼夜に分けて区分するため、時期によって時刻が変わったのである。よく深夜のことを「丑の刻」「丑三つ時」などと言ったりするが、これは不定時法の名残なのだ。
そして時刻を示すと同様に干支は方角を示す際にも使われてきた。定時法でも船乗りがよく「12時の方角」などと言ったりするが、それと同じようなものだ。また現在でも使われる干支を用いた代表的な名称には子午線がある。
ここでようやく本題に戻るが、「乙花」の「乙」とはこの方角のことを指しているのではないかと思われる。干支の乙が差す方角は東南東だ。即ち、東南東の方面に花が咲いていたことからつけられた苗字ではないか、ということになる。


今回はここまでとなるが、苗字と同様に歴史についてもここまで多く語ってきている。正直ネタ切れと言われても文句は言えないのだが、とりわけ希少姓には日本特有の歴史的な背景があるケースが多いように思う。
次回は実在する苗字を取り上げる中では最後の記事になるが、可能な限り自分の知っている情報を書いていきたい所存だ。

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