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雨の香り(エッセイ)

思いきり息を吐きだしてしまったから、ツンとした雨の匂いがダイレクトに鼻に入ってきてしまった。
むせてしまって咳き込む。

それでも娘は泣き止まない。
傘の向こうに見える雪に変わりそうな暗い空をちらっとみて、抱っこひもの中で泣き続ける娘に巻き付けた毛布をぎゅっと巻き付きなおした。
肩にくいこむバッグの中身は、日に日に増えている。
いつでも家を飛び出してもいいようにと考えているうちに、お泊りバッグくらい大きくなってしまった。

あやしても、ゆすっても泣き止まない。
真っ赤な顔で小さな顔が小さなはずの口に侵略されている。
可愛いおめめはどこいったのかな~なんてふざけながら、家のまわりを歩く。

娘はなんでこんなに泣くのか。
何が嫌なのか。本当にわからない。
口ばかりに目が行ってしまう娘の顔を見ているうち、ふっと友人の泣き顔を思い出した。

あの日も同じような重苦しい雲の日だった。
ツンとする冷えた空気の香りが呼吸するたびに入ってきた中学校からの帰り道、私は友人と二人で帰っていた。
その別れ際、友人は声をあげて泣いた。どうしたのかと、私は尋ねたけれど明確な答えは返ってこなかったように記憶している。
クールなほうだったと思う友人が声をあげて泣いたのがすごく強烈だったからはっきり覚えている。
途中から雨が降り出し、友人へ傘を差しだしたが断られ、私もなんとなく傘を閉じた。雨は全部同化させてくれた。
まわりの目線を気にする必要がなくなった気がして私は安心して、ただ友人の隣に立っていた。

友人はなぜ泣いたのだろう。
考えているうちに、やっとちいさな寝息が聞こえてきた。
友人が泣き止む瞬間も覚えていないが、次の日はいつもと変わらない友人だったと思う。
でも、その日からなんとなく友人を近く感じるようになった。
空気が合わさったというか、気兼ねなく話せるようになったし、話してくれるようになった。

あの日のことは聞かなかったが。

人前で思いきり泣くとういうことは、治療だと思う。
傷をさらけ出し、消毒して保護する。
中学生のころなど、思い返すだけで恥ずかしいことがたくさんある。
良くも悪くも身に着ける大人の鎧をまだ纏いきれず生身で戦に挑んでいる。
繕いきれない傷は隠しても隠し切れないから、膿む。
痛すぎて、痛すぎて限界がきたのが、友人のあの日だったのかと思う。
娘はこの世に出されてまだ数か月。
ささいな出来事も刺激で、痛みも痛みとわからず泣くのだろうか。
この泣く、そばにいる、という治療を重ねるうちに、
この子に私は信頼されるのかもしれない。
いや、信頼されているから泣いてくれているのだ。

そうも思う。

私はまだ耐えられるのだろうか。
もう痛みを痛みとはっきり認識している。

いつの間にか雪に変わった空を見上げた。
さらに冷たくなったツンとした空気に、鼻が痛む。
目頭がじんわり温かい。

まだだ。

私は目頭をぬぐって、家と反対側にある駅を目指した。
娘の治療する場所は私も治療してもらえる場所でありたい。

いつの日か、子どものように泣ける日を目指して。


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