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【うつと私】過去の記憶についての考察

認知的な心理学の勉強にて、長期記憶について学んだ。
その中で気になる部分があったので、書き留め+考察していきたいと思う。

〈学んだこと〉
・記憶の抑圧説:自我を脅かす記憶や自分にとって不都合な記憶は、無意識に押し込めて再び意識に上らないようにする機能。防衛機制とも呼ばれる。
・人間は、楽しいときには楽しい記憶を、悲しいときには悲しい記憶を想起しやすい(同じ気持ちの時に記憶を想起する)
・うつ傾向の人は嫌な記憶を想起しやすいため、嫌な出来事を再体験すると気分がさらに落ち込み、またうつ傾向になり、嫌な記憶を想起…というループに陥りやすい
・また、ほんとにつらい記憶については防衛機制が働くことで、記憶が曖昧となり、漠然としか想起出来なくなり、詳細な記憶を思い出さないようになり、気分を落ち込ませずに済むようになる。結果記憶力の低下が起こり、「憶えていない・思い出せない」という状況になる


〈考察〉
私は大学進学と共に実家を出て、県外にて独り暮らしを始めた。
その時から、実家にいる時の記憶がすごく曖昧となったことを感じていた。
事実はなんとなく思い出せるのだが、「そのとき自分がどう感じていたか」や、細かい情報、また悲しかったことやつらかったことばかりを思い出す。
実際は少しぐらい楽しかったり安心したこともあるはずなのに。
また、すごく特徴的なのは、過去の自分が俯瞰して見える。
一歩引いて自分の姿を見ているような記憶なのだ。
他人の記憶をのぞき込んでみているように感じる。

これにはいつも困惑していた。
大学に入って初対面の人と話すと、だいたい最初は地元についてとか、高校とか家族の話になるのだが、なんだかうまく話せない。
基本的に自分のことを話したくない、また思い出せないため、相手に逆に話を振ってしゃべらせたりして、自分の情報を出さないようにしている。
(その結果、「きりしまさんは話しやすいのに自分のことをしゃべらない不思議な人」という印象になるらしいのだが)

私は昔からおそらく抑うつ傾向というか、精神的に疲れてしまう行動があったと思う。
はっきりしてなくても希死念慮的なものはあったし(「消えてしまいたい」という感情)
自分をすごく卑下する癖があった(先生に「謙虚」と呼ばれていた)
みんなが嫌がることを「私がやらなきゃ」となぜか無理してやったり
学校もあんまり好きじゃなくて、自分がいつもわからなかった。
親にも先生にも友達にも、自分で自分のこともわからず、「本当の自分」というものを見せたことがない、と思っていた。
自分がわからなくて、自分が欠陥品だと思っていた。

たぶん、過去のことが思い出せないのは、
「過去が自分にとってつらいものだったから」
なのだと思う。

過去の私は、自分らしくなかった。
楽しくなかったし、辛かった経験がたぶん圧倒的に多かった。
学校でも、家でも
たぶん、自分で、それをいつの間にか抑圧していたのだと思う。
辛くないように、思い出すことをやめたのだと思う。
現に、今のほうが昔よりも生きやすく、心地よい気がする。

それがいいことなのか悪いことなのかはわからないけれど、
それに気が付けたことは、褒めようと思った。

辛かったね、自分。
よく生きたね、自分。

毎日のコーヒー代に。