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バガヴァッド・ヨーガー<レッスン③>

何年ぶりの全力疾走だっけ、桃子は必死に走りながらも懐かしいこの光景を楽しんでいた。ダッシュの甲斐もあり、なんとかスタジオに滑り込み、レッスンにも間に合った。


仕事は、定時で終わったのだが、職場を出たところで同期の同僚に会い、上司の悪口に花を咲かせていたのが原因だ。鼻息荒く、お互いが言いたいこと言えてスッキリしたのも事実だが。

桃子は、都内の大きい税理士事務所に務めるOL。仕事にも慣れきて、何か趣味でもと思ってヨガを始めた。

(あぁ~あぁ~、きょうは端っこの場所でもしょうがないかぁ~)
ギリギリにスタジオに入ってしまったので、体をできるだけ小さくして、存在感を最大限に薄めて、スタジオの端っこを目指した。

ゆうき「桃~、こっちこっち」
桃子「ん? ごめ~ん、ありがとう~」

大学時代のサークル仲間であるゆうきが桃子の場所を確保してくれていたみたいだ。
このヨガスタジオには、桃子が先に通い出し、気持ち良さを親友にも味わってほしくて、ゆうきを誘ったのだった。

桃子「ごめん、ありがとう」

ゆうき「ううん、全然大丈夫だよ。きょうは大好きなEmi先生のレッスンだから絶対来ると思って取っといたの。なかなか来ないから心配しちゃった」

桃子「うん。仕事終わりに、上司の悪口で盛り上がっちゃって」

水をゴクゴクと勢いよく飲んで喉を潤した。

桃子「ぷはぁ~、あぁ~水最高!」

ゆうき「ちょっと~、女性しかいないからって、おじさんみたいな飲み方やめてよ。Emi先生もう来るよ」

桃子「ごめんごめん、あまりにもダッシュし過ぎて、喉渇きまくっちゃったから」

噂してたらなんとやら、2人の憧れの女性、Emi先生がスタジオに入ってきた。
ホワイトのタンクトップにブラックのレギンス。シンプルすぎて、努力を怠っている2人には真似できないごまかしの効かないスタイルで、当然しっかり着こなしていた。

Emi先生「みなさんこんばんは。毎週会ってる方から、お久しぶりの方まで、平日なのに多くの方に参加いただいてありがとうございます。」

Emi先生は隅から隅まで、1人1人に話しかけるように話をするタイプの先生で、突然質問をしてくる時もあるので、みんな集中して話を聞いている。

Emi先生「きょうのレッスンも、難易度の高いポーズをピークポーズに持ってきて、ビシバシしごいていきます・・・、と思っていたのですが、きょうは呼吸をメインにしたレッスンをしていきます」

この時、生徒たちの顔には、「こきゅう?」という文字が書かれていたと思う。

Emi先生「自分のことを追い込もうと思ってきょうのレッスンに参加した人、がっかりするのはまだ早いですよ~。呼吸は、とってもとっても大事なもので、呼吸1つで自分の感情や体調をコントロールすることができます」

きょうのレッスン参加人数は20人弱、大きいスタジオではないので、マットをキレイに並べないと入り切らない人数だ。全員がEmi先生の話をじっくり聞いていて、メモをしている人もいる。

Emi先生「例えば、上司の愚痴を話していて、だんだんボルテージが上がってきて、話し始めた時は怒ってなかったのに、怒りの感情が徐々に出てくる時ってありますよね。私も時々あります・・・。
この時の呼吸を観察してみてください、きっと鼻息荒く、呼吸のペースがとっても速くなっていると思います」

桃子は思い当たることがありすぎて、顔を下に向けたい気持ちになったが、なんとかEmi先生に顔を向け続けていた。

Emi先生「この時に、あえてゆっくり、丁寧に呼吸をするように意識してみるとどうなると思いますか?」

みんな質問が来ると思って身構えたが、そのまま話は続いた。

Emi先生「呼吸をゆっくり、丁寧におこなうと怒りの感情というのは鎮まります。そして、冷静で的確な状況判断を下せる状態に自分をもっていくことができます」

みんな頷きながら話を聞いている。

Emi先生「きょうのレッスンでは、呼吸をゆっくり、丁寧にすることを意識してみてください。難しいポーズや苦手なポーズになった時、自分がどう向き合うのか。冷静で的確な状況判断を下せる状態にあるので、きっと最善の道を進むことができるでしょう。それではレッスンスタートします。
まずは、自分の一番楽な姿勢で目を閉じて、呼吸を整えていきます」


きょうのレッスンが始まった。呼吸をゆっくり、丁寧にをしながら桃子は、きょうのレッスンは上手くいきそうだと確信していた。


ひとり~の小さな手~♬なにもできないけど~♬それでもみんなの手と手を合わせれば♬何かできる♪何かできる♪