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ゆくえしれずつれづれ - Requiem 最速レビュー

ゆくえしれずつれづれ最期の楽曲 "Requiem"

先ほど、2時間限定公開されました





こういう節目の楽曲で色々御託を並べるのも無粋かと思いますが、

思い立ったので、聴いて感じたことの要点をなんとなくまとめてみます

2時間聴いた後にまとめただけなので色々とラフだと思いますが。

(一番下に限定公開時の制作陣のツイートも貼っておきます)







まずは楽曲の細々した話をつらつらと書きます


まず特筆すべきは「重さ」ー世界観や歌詞の重苦しさ、サウンドのヘヴィさ、どちらの面でも、これまでで随一です。




今作は全編を通してドロップA(多分)。「Phantom Kiss」や「行方不知ズ徒然」、「VERITAS」のようにブレイクダウン部分で一時的にチューニングが下がる楽曲は過去にもあれど、全編を通してのチューニングとしては史上最低音です。

それよりも、何より一聴してまず耳につくのは、鬼気迫るスクリーム、そして凶悪なベースのサウンドの二つでしょう。




スクリームに関しては、ここまでにも、今年の夏にドロップされたフルアルバム「paradox soar」でその進化ぶりを群青に知らしめんとしました。

そしてその数ヶ月後...

最期の作品ともあってか、今まで私たちが耳にしてきたそれとは比べ物にならないくらい、切迫した、深い、荒い、粗い、小手先の歌唱法では語れない、文字通りの"叫び"が、この楽曲には乗せられていました。




そしてベースのサウンド。ゆくえしれずつれづれは楽曲によって、ベースのアグレッシブな音作りを前面に押し出すこともありました。「unison ash」や「行方不知ズ徒然」などがその例に挙げられます(違うグループですが、制作陣を同じくするKAQRIYOTERROR「Drying Party?」なんかも良い例ですね)。そのどれもが、楽曲に合わせて良い具合に主張してくる、といった塩梅であるように感じます。

しかし、限定公開をお聴きになった方ならお分かりいただけるでしょう。こと「Requiem」に関しては、これまでの楽曲の比じゃないくらい、その存在感はボーカルにさえ並ぶほど、ベースの金属的な音がガンガン前に出てきています




ベース=縁の下の力持ち、などという概念、つゆ知らず。

なんですが、これこそハードコアの文脈的にはかなり正統なベースサウンドのあり方(の一つ)なんです。

周りの楽器も、果てはボーカルさえも食うレベルで、攻撃的、かつ派手な音作り。

(そして何より個人的に大好きなサウンドです。ベース単体の音が好きというより、この楽曲に対してこのベースサウンドがあてがわれている、というのがとにかく最高にかっこいいですね!!スピーカーやヘッドホンで聴いた時は垂涎モノでした)

手前味噌ですが、何個か例を出してみます。






Disembodied

下の方でゴリッゴリいってますね


Varials

序盤からベース単体が鳴ってます

じゃりっじゃりですね


In Other Climes

ギターもかき消す金属音



Bloodbather

行くとこまで行くとこうなります




とまあ、

ここで例示したバンドはボーカル全編スクリームなわけですが

「Requiem」はしっかり歌メロのある楽曲なんですよね

その中で、こういう例にも匹敵するレベルの凶悪なサウンドメイキングが施されているわけです

しかしこれは、こういったサウンドのルーツからしても、作品における強い感情を表現する手段としても、とても強い意味を持っているといえます。





加えて、CD単位などではなく、この曲だけがこういった音作りであることから、

この1曲にどれだけ強い信念が乗せられているかということは、一聴してわかるほどで、想像に難くありません。







次に楽曲全体としては

前述のような、ハードコアー特に、所謂"叙情派ニュースクールハードコア"とも呼ばれるようなサウンドを汲み取った、激しくも、どこか繊細かつ壮大な世界観。

そして、叙情派ニュースクールと隆盛の時期を同じくした、Midwest EMOからの派生で生まれたスクリーモ/ポストハードコア的なリードギターのフレージングも特徴的。

特に以下に挙げるTakenは、楽曲の世界観をはじめ、リードギターのフレーズ、前述のようなベースの激しい音作りなど、「Requiem」に限らず、ゆくえしれずつれづれと近しい部分も数多く見つけることができます。


余談ですが、彼女たちの代表曲「Doppelgänger」を、こちら「Arrested Impulse」と聴き比べていただけると、こうしたサウンドに対するゆくえしれずつれづれ制作陣の多大なるリスペクトが垣間見えるかと思います。





そして、スクリームについて前述したように、「Requiem」には、流麗なだけでは終わらず、悲痛な激しさも備わっているのです。


超代表的ニュースクールハードコアArkangelをご紹介します。


「Requiem」の中盤と終盤の重いブレイクダウンパート、そして、感情が剥き出しとなったスクリーム。

小手先の技術に拘らない良い意味での粗削り感は、Arkangelのような初期のニュースクールハードコアと強く共鳴する要素だと感じます。





スクリームの質感・世界観でいえば、Suis La LuneやØjneといった激情ハードコアも想起されます。


音楽的なごちゃごちゃした話はこの辺にします










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ゆくえしれずつれづれの生を全うせんとする、史上最高に攻撃的で、激しく、重く、尖った一曲である「Requiem」。


その重さ、激しさは、文字通り命を削るが如く、「ゆくえしれずつれづれ」の寿命の切迫を示す断末魔。

それとは対照的な、優しいメロディや息遣いは、仲間や群青を包み込む慈愛、そして、ここまでの軌跡を、しかと一人一人の耳元で伝えるかのように、語りかけるように紡がれる。





母国語とは、表現者が一番感情をこめられる伝え方。

英語は、少し速くて、少し断片的。伝わりすぎない。



メロディは、耳と心に沁み渡る。

叫びは、歪で露骨。だけど正直。



激しさも、切なさも、普遍性も、全ては、伝えるべき表現を伝えるため。



変に奇を衒った訳でも、媚びた訳でもない。


リスナーを驚かせるとか楽しませるとか、そういう単純な動機で作られた楽曲ではなく

"最期"に際して


ゆくえしれずつれづれは、この一曲

否、

それどころか

歌にしても楽器にしても

その一節一節、ただ真摯に、最も相応しい伝え方を選んだだけのこと。


全ての表現方法に意味がある。








限定公開期間中、Twitter上では数々の感動のレビューが投稿されていました。


群青とはどんな人たちかといえば、老若男女、実に様々。

もちろんそのルーツも十人十色。

ラウドロック/邦ロックリスナー、ましてや海外バンドリスナーばかりでは決してありません。激しい音楽は他に全然聴かないという人だって大勢います。


人それぞれ多様な趣味を持つ人たちが、ゆくえしれずつれづれの音楽性、それもこれだけ尖った表現に共鳴している。

その様子を、あえて語弊を恐れず言うならば、

ゆくえしれずつれづれは、彼女たちの伝えんとする表現をオーディエンスに"正しく"伝えることができている。

これがどれほどに偉大であることか。








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少し脱線。

個人的な見解ですが、ハードコアは、ジャンルやサウンドというよりも、思想のアウトプットの形だと思っています。


分かりやすいものならヴィーガンストレートエッジ。他にはFワードを散りばめた歌詞を歌うバンドもいますね。テーマも千差万別。権力への反逆。メディアへの批判。朝までパーティー。仲間や家族や地元の歌。宗教的な世界観。いろいろあります。


それから中盤で少し触れた激情ハードコアですが、他のハードコアが英語で歌うことが多い一方、こちらはそれぞれの母国語で歌うケースがかなり多いです。イタリア語、ロシア語、日本語、フランス語、などなど。こちらに関しては、より個人の思想のアウトプットという側面が強く感じられると思います。歌唱法に関しても強く拘らず、ただ感情的にこみあげたものを叫ぶような歌い方が一般的です。

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以上、与太話でしたが、とかくハードコアは、個人の思想や出自を音楽にそのままアウトプットするという文化が昔も今も強いものです。





翻って「Requiem」はどうでしょう。






楽曲の制作陣は今までと同じ。この点は一貫しています。

そして、演奏に際して。楽曲のルーツ(ジャンルの先駆けの参照)と演者のルーツ、両方をフルに出しつつ、それを目の前の表現のために効果的に使っている。つまり楽曲のためのルーツと制作陣自身のルーツがうまく掛け合わさっているのです。以下、続きます。







そもそもスクリーム/シャウト自体、あまり多くの人には受け入れられない表現方法です。


それに、重い/激しい音楽+感動という組み合わせも、おそらくあまり一般的ではないと思います(筆者自身、この感性に本格的に開けたのはゆくえしれずつれづれとの出会いがあってからです)。



それでも、彼女たちの作品を成立させる上で、「重さ/激しさ」+「感動」という手法にはとても強い一貫性があります(楽曲やライブに触れている方ならお分かりでしょう、「ゆくえしれずつれづれの伝えんとする表現」の真髄はここにあると筆者は考えています。こうしたあまり一般的ではない表現手法を、リスナーの出自や趣味嗜好にかかわらず"正しく"伝えているのですから)。




そして、邦楽、及び母国語=日本語という、彼女たちにとって極めて馴染み深いルーツが、ゆくえしれずつれづれにおける表現の主要な武器となっているのです。

インプットからアウトプットに至るまで、偽りも齟齬もない、高純度でありながらオリジナルの組合わせ。


もちろん、これまでの作品でも、こうしたゆくえしれずつれづれのスタンスは存分に披露されてきました。







しかし、最期を目の前にした今、


最も歪で、最も粗く、最も美しく、最も普遍的、


そして何より、最もゆくえしれずつれづれらしい、


そんな作品こそが、


最期に発表された1曲「Requiem」だったのではないでしょうか。













2020年1月2日

解散のその時まで

思いを馳せながら

最期まで愛して逝きましょう





それでは!








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