備忘録ー純正律・平均律と調性の関係

2020/09/07: 自分用の備忘録です。

「調性による響きの違い」あるいはそれに至るまでのプロセスって「平均律・純正律」と関係があるのでは?という説。そしてその音律などの基準ってどうして成立したんだろうか?という話。

「調性」=ここでは、ハ長調(Cメジャー)、ニ短調(Dマイナー)など、平たくいうと、楽曲ごとの「キー」

昔から、「調性」ごとに響きや雰囲気の違いがあると言われている。一般には、長調=明るい、短調=暗い、といったイメージのほか、ハ長調、ヘ長調など、調号(シャープやフラット)が少ない調ほど素朴で明快な響き、調号の多いロ長調(Bメジャー)や変ト長調(Gフラットメジャー)などはより複雑な響き、と言われている。これに関しては個人の感覚にもよるところもあるだろう。

http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2009/07/post-68e5.html 


この「調性」という考えは、ルネサンス以降音楽が複雑化し、17世紀ごろに生まれた「調性音楽」という概念の中にあるものである。同じく17世紀ごろのバロック音楽を皮切りに現代の私たちがイメージするいわゆるクラシック音楽が発達。


加えて「平均律」という現代の音楽では当たり前となったルール(音律)がクラシック音楽の中で一つの基準として認知されていたのもこの頃(この時期であっても、その他の音律を用いる試みはバッハやモーツァルトを筆頭に長い間行われている)。


これに対して「純正律」という考え方がある(「平均律」は純正律など他の音律のデメリットを修正・妥協した上で成り立ったものである)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%94%E6%AD%A3%E5%BE%8B

「純正律」はドの音を基準に「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド」を一番綺麗な響きになるようにしたもの調で言えばハ長調)。

純正律(じゅんせいりつ Just intonation)は、周波数の比が単純な整数比である純正音程のみを用いて規定される音律である。例えば純正律による長調の全音階は、純正完全5度(3/2)と純正長3度(5/4)を用いて各音が決定される。 すなわち、Cを基準とした場合、Cの3度上がE、5度上がG、次にGの3度上がB、5度上がD、さらにCの5度下がF、Fの3度上がAとなり、これらを1オクターヴ内に配列することでハ長調の全音階が得られる。

中でも、 ド・ミ・ソファ・ラ・ドソ・シ・レの3種類の3和音が最も綺麗に響く形となる。

純正律のデメリットとしては、「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド」の中では極めて綺麗な響きになるが他の音が使えない(ほど響きが悪くなる)=転調ができない点、せいぜい2〜3和音までの響きしか想定されていない点で、これらの点は以降の発展した音楽にはそぐわなかった(=承前:純正律のデメリット)。

平均律は純正律を基準に作られたものだが、純正律の段階から「ド」を基準とする考え方があった。これはどちらも同じ。

・・・・・・・

ここで最初の話に戻る。ここまでで考えたこととしては、

◎調性による複雑さは、平均律における純正律からのズレの大きさによって感じられるのではないか?

→平均律における12音のそれぞれは、ド以外「純正音程」から一定のズレがある(高い場合も低い場合もある)。各調においてどの音を使っているか=音程のズレの絶対値が大きければ大きいほど、純正律・平均律の基準である「ドレミファソラシド」からのズレが大きく、聴く者にとって、「聴き慣れない感」を与えるのではないか?

*なお、調号が多ければ多いほど複雑、という点に関して、基準となるハ長調から遠いことも一因ではないか、と考えたが、長3度(ミ)、長6度(ラ)、長7度(シ)は、ハ長調の構成音である一方平均律の中でも比較的ズレが大きいため、一概にそうとは考えられない。

そして、そもそも平均律や純正律はどういう考えの上に成り立っているのか、という点について

◎ハ長調など調号のない / 少ない調を綺麗とする考え方が一般的とされている

◎なぜ他の調や音ではなく「ドレミファソラシド」?

 →(1)人間の身体的な特徴?(調号が少ない=シンプルというのは体感的にわかるのか?)

これに関しては別のデータが必要

 →(2)純正律・平均律を基準とした音楽の発展により長い年月をかけ育まれた感覚?

この疑問に関しては、「ピアノ」の普及や発展が関係しているのではないだろうか?

前述した調性音楽や平均律、クラシック音楽等の発展は主に17世紀以降に盛んになった。

そして、ピアノの祖先とされる楽器は1700年=17〜18世期あるいはそれ以前にあったとされる。

つまり、ピアノの本格的な発展と調性音楽などの概念の発展は時を同じくしていた可能性がある。

クラシック音楽でもピアノは非常にポピュラーな楽器だったが、これはメロディと伴奏、あるいはリズム的奏法が同時に1台で行えることが大きな理由の一つだろう。ルネサンス音楽以降ポリフォニーな楽曲構成が当たり前となったため普及・発展に至ったのだと思われる。

そして、ピアノ(あるいはそれに準ずる鍵盤楽器)はハ長調(白鍵の音)が最も綺麗に鳴るように作られていた。この点は純正律・平均律のハ長調を基準とする考え方と一致する。

*ホルンなどオーケストラでよく使われる移調楽器もB♭などC(ハ長調)から近い調のものが親しまれている。バロック音楽以降のクラシック音楽における調も同様。

ピアノと調性音楽、この二つが合わさったことにより、「ドレミファソラシド」が現代の人にとって馴染みのある響きであるという感覚が、長い時間をかけて構成されていったのではないだろうか?

<<以下、思考プロセス、レファレンス参考文献等>>

・同じ音でも聴感上違うように聴こえる、というのは、平均律における許容範囲内では合っているが純正律的あるいは相対音感的に見た「響き」としてズレているのではないか?=平均律が「ズレ」の上で成り立っていることの証左?


"平均律というが、この本来の意味は、平均的に音を狂わせてあるとい
う意味である。"

"純正律などというと、むずかしそうだが、そんなことはない。単純によくハモる ことであって、ウィーン少年合唱団の天使の歌声を思い出してみればよく分かる。"

合唱など平均律といった基準が必ずしも当てはまらない音楽では響きを重視するため、その完成にあたって自ずと純正律的な響きを選択しているのではないか?

・そして、純正律は必ずしも良いところばかりではない。

・ウェーバー『音楽社会学』でも音律についての言及がある。


・どんな音楽でもグルーヴが大事。

"音程には絶対的な基準などない。あなたがもともと持っている音程感を磨き、独奏でも合奏でも美しい旋律、美しい響きを奏でられるようになることが演奏の一つの目標なのだ。決して機械を手本にしてはならない。"


http://xn--39st4yqoc.jp/?p=172

・当時の音楽家の楽譜は残っていてもどんな調律だったかまではいまだにわかっていない。そういった意味で、当時のクラシック楽曲の「完全再現」は不可能。音律によって響きは異なるため現代の私たちには想像もつかない響きだった可能性がある。

・メロディには純正律は不向きなこともある

"『純正律』の世界でミが低いまま歌ってもソロには向かない。(中略)
——たまたま第三音にメロディが来たら?
玉木「そこはピタゴラス音律で高くとっていいんです。(中略)バックが『純正律』で、ソロが『ピタゴラス音律』というのは、対比がくっきりして大変美しい。」"(*純正律では平均律よりもミの音が低い)

・A=440Hz、A=442Hz等の考えは19世紀末期に出てきた。

・6cのグレゴリオ聖歌(単旋律無伴奏)等から始まりポリフォニー音楽まで複雑化を伴う発展が続いた結果、ちゃんとした基準みたいなものを作って考えようとした(→調性音楽)。それと共に器楽(移調楽器)やクラシックが発達していった。

・いかなる音律も調性音楽の考え方に基づいてて、移調楽器もクラシック音楽も教会音楽も、現代で演奏するにあたっては調整音楽や平均律に基づいた考えや演奏しかできないので、当時の音楽を音律まで含め完全に再現することは難しい。

・今回の考察も、体感的な感想としては、自分自身に染み付いている調性音楽や平均律に基づいた体感でしか計り知れない。

今回示したような理論的な部分以上突っ込んだ部分は人間の体感的なものなのかもしれない(そこに体系的な名前や基準を設けというだけで)。人が体感的に落ち着く綺麗な調性や主音は自然とハ長調付近に収斂するのかもしれない。

*純正律はI, IV, Vの響きによって定義
*純正律が有用なのはせいぜい三和音程度
*音律は全体ではなく楽器単体の話
*純正律を用いたとしても楽器それぞれの主音や倍音は異なる
*平たく言えばピッチ感は演奏者や指揮者それぞれの感覚にもよる(→平均律が前提でない場合楽譜だけでは再現できない)
*音律は楽器や演奏者単体の指標にすぎず、それだけでは(楽譜をもってしても)アンサンブルの全体像を浮かび上がらせることは不可能


その他参考。他、Wikipediaより。


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