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【ユダヤ人問題】日本人はナチスになぜ親和性を持ってしまうのか?

元ラーメンズ・小林賢太郎が
あっという間に、オリンピック
パラリンピック組織委員会から
解任され、首となりました。

結論から言うと、
ラーメンズには、
収容されたユダヤ人を、ではなく、
ナチスやヒトラーを愚かしく
コントにして欲しかったなあ。

私は今回もメンタル的な観点から
考えてみたいと思います。

ラーメンズは熱狂的なファンが
多いコンビでした。
いわゆる「尖った」お笑い芸人でした。
ファンも自分のセンスは凄いよ、  
と自信ありげでした。

そんな彼らが十数年前のコントで
「ユダヤ人虐殺ごっこをしよう」
というお笑いを書いていた、
という事実にビックリしましたが、
また、今日までそのコントも含めた
DVDも売られていたのもビックリ。
ファンも今まで何も
批判的なレビューは言ってない。

つまり、ラーメンズや
その関係者、ファンの間では
「アリ」だったんですね。汗。

これがドイツであったなら
袋叩きにあっていたでしょう。

こんなことは暴論に感じられる
かもしれませんが、 
日本はもともとナチスに甘い
側面があります。

ナチスの軍服や
ミリタリーグッズが
公的に売られていたり、
ヒトラーの『わが闘争』が
出版され誰でも買えます。
ドイツでは、出版は今も禁止
されているというのに。

だから、日本で『わが闘争』が
出版されてる、一般人が読んでると 
ドイツ人が知ると、
彼らは呆然となるそうです。

もちろんユダヤ人として
虐殺された『アンネの日記』や
『夜と霧』がきちんと
定期的に翻訳が改められ、
出版され続けています。

ナチスと反ナチスの本が
両方「出版の自由」の名の下で
社会に置かれているんです。
こんな社会に育つ私たち。

みんなが反ナチスにならねば
ならないというのが理想ですが、
個人の嗜好は恐ろしく多様で、
中には1000人に1人は
ナチスのミリタリー服を好む
人が出てきてしまう……。

戦時中、ナチスの宣伝物を
さんざん日本語に翻訳して 
日本に広めた責任者は
1930~40年代の東京大学
文学部ドイツ文学科。
教授として政府に言われるまま
先導したのが、 
今の新潮文庫のへルマンヘッセの
翻訳を手掛けた、高橋健二。

彼の軽卒さを、 
同じく東大ドイツ文学科の
反ナチス主義だった竹山道雄は、
苦々しく眺めていたようですから、 
高橋のナチス本の翻訳ぶりは
目に余るものがあったのでしょう。

彼の業績を非難する動きは
あまりなく、今も誰もが
高橋健二の翻訳したヘッセを
新潮文庫で買っているという事実。

もう少しは、高橋健二を
ナチス協力者として
検証しても良いのではないかしら
前々から疑問でした。

ちなみに戦後は、反ナチスの
ドイツ文学者ヘッセをどんどん
翻訳し、デモクラシーを謳う変貌ぶり。

話がずれました。
日本には、反ナチスと親ナチスが
公然とありますという話でした。

ただ、今の50~60代は
痩せ細って骨だけになったユダヤ人の
収容所での暮らしぶりを
色々な機会で目にしました。
学校や映画や本から。
そして、コントのネタにはできない
ナチスとユダヤ人をめぐる問題を
空気のように学んでた気がします。

今はどれ位あるんでしょう。
映画でも、あまり悲惨には描写
されてない気がしますが…。

そして、
そんな50~60代の日本人は
下の世代に、そうした歴史を
うまく伝えてこれなかったような
下手だったような気がするんです。

私も51才。 
そうした責任がある1人です。
48才の小林賢太郎氏が
どれくらいユダヤ人問題を
根っこから理解できてなかったか?
個人の問題なのですが、
彼を叩くだけで問題が 
解決するとも思えません。

第2、第3の小林賢太郎は
いっぱいいます。
第2、第3の小山田圭吾も、
いっぱいいるのと同じように。

小林賢太郎を叩く前に、
私たち日本人がナチスに
まだまだ親和性がある問題を
たまには、チラっとながら
考えていかねば…
そんな気がしています。

それにしても、
今回の小林賢太郎の事例から
日本のお笑い芸人は
ますます政治的なベクトルを
回避しようとしていくでしょう。

日本のお笑いは政治を扱わない。
という基本スタイルは
ますます固まっていきそう。

こうして、今回の
小林賢太郎の解任で、
一つの歴史がまた積み重ね
られていくんですね。
歴史の目撃者になった気分です。

せめて、ナチスを滑稽に風刺する
コントを作って欲しかったあ。

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