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「新・小説のふるさと」撮影ノートより『天安門』について思ったこと。

 しばらくぶりに『天安門』を読み返しておどろいたのは、自分が覚えていた構成とだいぶ違っていたことだ。この小説世界へのアプローチは空港からのバスの場面だろう。

 夜、まったく慣れない都市にたどり着いて今晩のホテルに無事たどるつけるかわからない。親切な人はだれもいない。言葉も通じているのかあやしい。そしてバスは暗い高速道路を疾走してゆく。目指す北京飯店のネオンが見えたが、バスは止まる気配はなくどんどんとあらぬ方向へすすんでいってしまう。忽然とライトアップされた宮殿の門が見える「天安門」とだれかがつぶやく。そして結局町はずれの終点まで、彼は連れ去られるように運ばれてゆく。

 だが、この疾走するバスの場面は実は始まりではなかった。しかもこのシーンは四節ある小説の三節めですらあった。一、二節はある意味長いプロローグでもあったのだろうか。たしかにその面はあるのかもしれない。彼が幼少のころ抱いた、父と母の大人の都合の不和と違和からくる孤独感は、台湾と中国とアメリカという狭間、文化と文化の狭間、言葉と言葉の狭間にある実感からくる違和感と孤独感に変容していったにちがいない。つまるとろ、どれほど意識的であったのかはわからないが、彼にとって、その狭間を超えて、その境をこえてゆく必要があった。その越境はとても個人的で特異なものだが、その必然を感じるためには、この二節の話はどうしても必要だったのだ。

 この日、僕は数年ぶりに夜の北京空港についた。雨のなか、疾走するバスにゆられてなんとかホテルにつき、翌日久方ぶりにリービさんとあって一緒に天安門広場を散歩した。


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