祖父(KFK-40)
冬のある日。珍しく母から電話があった。父方の祖父が亡くなったという。
既に葬儀も済ませたとの事だった。
父方の祖父は優しかった。私が幼少の頃、一緒にかけっこもした。珍しく祖父がムキになって私より速い所を見せてくれたっけ。
将棋や花札を教えてくれたのも祖父だった。いつもわざと負けてくれた。
私がテレビの画面を壊した時も、一切怒らなかった。(私は両方の祖父母宅のテレビを破壊した事がある。母方の祖母には、こっぴどく怒られた…当たり前だけど)
祖父は、昭和になってから北海道開拓に来た人だった。未開の山を切り拓いて自分の持山にした。近所には恐らく小檜山さんという、後に小説家になった方が住んでいた。父は小檜山さんと年が近いので、子供の頃一緒に遊んだかも知れない。
山を持ったあと、住むのに大変だったのか、集団で開拓地を離れた。持山を売却した。
結構なお金が入った。それを子供達が寄ってたかって食いつぶした。一番浪費したのは2番目の伯父さんだった。
最後は自宅とその周辺しか土地を持たなかったけど、気落ちする所も見せず飄々としていた。
家の裏のトウモロコシ畑が素敵だった。川岸近くまでずーっとトウモロコシが植えてあった。きっと私が居ない時に、こつこつ世話をしてたんだろう。
私が最後に会ってから、それ程日が経たないうちに認知症となってしまったらしい。祖母に先立たれてガックリ来たのかも知れない。
自宅に3番目の伯父夫婦が住んで、祖父の介護をした。亡くなる直前まで父が見舞いに行くと『○○(母の名前)はどこいった?』
と尋ねたそうだ。その頃父は再婚していて新しい奥さんが、父の介護をしてるにも関わらず…
私は受験もあるけど、お金が無いので父方の祖父のお墓に行けなかった。
翌年、思いがけない形でお墓参りすることになったけど…
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