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子育て?奮闘記(KFK-27)

 弟は私と似て頭の大きな男の子だった。産まれて最初の頃は、母が全て面倒を看ていた。
 首が座り始めた頃、母がパートを再開した。義理の伯母(黒木家)の紹介で始めた仕事だ。遠くまで通勤するので、送迎バスに乗って通っていた。
 だんだん不便に感じて、間もなく自動車免許を取り、伯母から車を貸りて通い出した。
 
 職場が用意した託児所に入る歳までは、自宅で育てなければならない。白羽の矢が立ったのが私と妹だった。

 まず妹が学校から帰ってくると、母から弟の面倒をみるようにメモとお小遣い(千円位)を渡す。
『お兄ちゃんと二人で分けてね』

 妹は、その千円を自分のポケットにしまい込んで、私が帰ってくるまで適当に弟をあしらう。
 私が帰って来たら、メモだけ渡されて、妹は小遣いと共に外へ遊びに行くのだった。
(小遣いをくすねてたのは、かなり後に知ったので、怒る気も起きなかった…)

 ここからが本番だ。
 私は弟をの子育てに奔走した。あやしたり寝かしつけたり、お腹が空けば粉ミルクをお湯に溶かし人肌まで冷まして与える。
 飲み終わるまで弟を抱っこして、ゆっくり過ごす。(面倒くさがりの母は、私がミルクを飲む時間を少なくする為、哺乳器の穴を大きくして飲ましてたそうである。とにかく家事と子育てが嫌い)

 ちょっと酸っぱい臭を感知するとオシメを取り替えた。中学2年生にして、母親がする赤ん坊の世話を一通りこなすことができた。
(勿論全てではないけど)
 
 それだから、私は弟を自分の子供のように可愛がった。
 今でも弟は、私を慕っている。(そう思っている)

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