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5丁目スタジオの必然。

向かって右から5丁目、4丁目、6丁目。同じ町で生まれ育ち、◯丁目違い。小中学校の同級生で47歳のオッサン三人。当時の面影はあったりなかったり。

先日書いたnote《35年後の通学路》がきっかけで地元のツレが新事務所兼スタジオに遊びに来てくれた。手土産は山本屋の味噌煮込みうどん4人前、地味に嬉しい。ちなみに前のnoteに登場したのは真ん中に写っている4丁目のツレ。

こんな風に昔からのツレと写真を撮るなんてもっと照れ臭いかと思ったら意外とそうでもなかかった。3人それぞれに生え際が後退したり、太ったり、白髪が増えていたり、パーマヘアになっていたり、親父さんに似てきてたり、おふくろさんに似てきてたり、いろんな変化はあるものの、こうやって元気に会えることが嬉しかったんじゃないのかな。少なくともボクは嬉しかった。

4丁目のツレも5丁目のツレも小学校の頃の人気者で自然と友達が集まるタイプだった。ボクが人気がなかったとは思わないが、友達が集まるタイプではなくて友達を「集める」タイプだった。二人のことを羨ましく思っていたものだ。

そしてボクが好きだった女の子は4丁目のツレを好きになった。小5にして嫉妬心を覚えた。

5丁目のツレは小6の時に児童会会長選挙を争ったライバル。3クラスから立候補した3人はみんな友達だった。1組から立候補した5丁目のツレと、2組から立候補した6丁目のボクとが同票で、児童会選挙には珍しく勝負は決選投票に持ち込まれた。決選投票の結果、5丁目のツレが当選しボクは落選した。小6の時の運動会では会長選挙に立候補したその3人で選手宣誓をした写真がどこかに残っている。

そしてここには写っていない、3組から立候補したツレは20歳ぐらいの時、病気で亡くなってしまった。初めて亡くした友達だった。みんなが葬儀に集まった。葬儀の時、怖くてボクはそのツレの最期の顔を見ることができなかった。少し後悔しているけど、あの時のボクはどうしても見る勇気がなかった。それももう20数年前。

今日は久しぶりに会っていろんな話をした。会えて良かった。一緒に喋っている時は感傷的な気持ちなんてなかったのに、今ベッドの中で写真を見返していたら言葉で残しておきたくなった。写真に写る顔を見ていたらいろんな記憶が蘇ってきた。

何年かに一度はこうやってまた撮りたいと思う。何年かに一度でいい。(ガッツリ写真載せたから怒られるかも笑)

今日は写真をやってて良かったと思った。せっかく地元に拠点を移したことだし、他の同級生やその家族や友達、孫や親や大切な人、全員の写真を撮れたらいいな。

この町の5丁目にスタジオを構えたのは必然だったのかもしれない。

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