奇跡を殺した日

制限時間:1時間 お題「拘束」「花」「罪悪感」

 生きてしまった罪悪感、というものが、確実にある。
 小さな共同体――家族だったり、学校だったり、地域だったり――の全員が等しく災厄に見舞われ、無惨な死を遂げたなか、ひとり生き残ってしまった場合。
 当時六歳だった僕は、泥だらけで棒立ちのまま、知らないおばさんに『生きててよかったね』と抱き締められた。
 おばさんは涙を流して僕が生き残ったことを喜び、テレビ越しにその様子を見た誰もが、同じように涙を流したそうだ。
 それを皮切りに、僕の人生は、『奇跡』の存在に拘束され続けることになる。
 あれから七年が経ち、平成末期最悪の人災と言われたあの事故が、Wikipediaの項目のひとつに収まってしまったいまも。僕は――

「へえ。じゃあ、君があの『田園調布の奇跡』の少年なんだ」
「はい……まあ、そうですね。生き残ったニュースのあれは、一応僕です」
 何度交わされたか分からないこのやりとりの次に必ず言われるのは、『生きててよかったね』だ。
 そしてそのあと、僕の頭の中では、自動思考的にこんなことが付け加えられてゆく。
 ――他の人助けなかったんだね?――君をかばって死んだ人もいるんじゃない?――生き残った命、ちゃんと使えてる?――ちゃんとしないと、死んだ人たちがかわいそうだよ――
 誰もそんなこと言ってない。誰もそんな意地悪は言わない。
 分かっているのに、頭の中で残響が残響を呼んで、酷いハウリングを起こす。
 そして最後に心にぽつっとあるのは、罪悪感。
 きょうもそうなる予定だった。
 しかし、初対面の彼女が言ったのは、まるで違うことだった。
「やっぱり神様って、意味無いことばっかりするんだね。謎にひとり生き残して、何がしたかったんだろ」
「……僕じゃなくて、区議会議員のひととかが生き残ればよかったのにって、よく思います」
「いや? 誰が生き残ったって同じでしょ。誰が死んだって一緒だし。君を見てよく分かった。奇跡は、神様が起こすんじゃない。出来事を見た人間のうちの誰かが適当に言って、これは奇跡だった、っていうことになるんだ」
「…………そうか」
 僕を縛り、はりつけにしてきた縄が、プチプチと切れていく感じがした。
 なんてことはない。どんな太い荒縄だって、細い細い繊維の集合でしかなかったのだから。
「あの、なんていうか。ありがとうございます。心が軽くなりました」
「いいのいいの。あたしもね、こんなことを軽率に言って、あの日の罪悪感とバイバイしたかったわけ」
「……あの日?」
 僕が首をかしげると、彼女は両手を腰の後ろで組み、おかしそうに笑いながら言った。
「田園調布の大陥没事故が起きたとき、あたし、丸子橋の近くに住んでたんだよね。それで、笑ってくれていいんだけど、うちのマンションの名前が『リバーサイドガーデン田園調布』って。田園調布駅からどんだけ離れてんだよって感じだけど。ネームバリューで高級感出したかったんだろうねえ」
 何の話か分からず訊こうとするも、僕が疑問を挟む余地はない。
 彼女は弾丸のように話す。
「田園調布の奇跡が起きたとき、みんなドキッとしたんだよ。巻き込まれなくてよかったとか、五分前にあの道通ってたとか言ってマウント取ったり、昔から田園調布のそばに住んでたけどとか勝ってんのか負けてんのか分かんない評論したり。で、ちびっ子のあたしは何を考えたかというと、『自分も奇跡の子だった』って。田園調布のマンションに住んでたけど、生きてた。みんなの代わりに生き残った、って」
「僕と同じ思いをしていた、ってことですか?」
「ううん。違うよ。もっと独りよがりだった。テレビで報じられている奇跡の少年は君ひとりだったから、『本当はもうひとりここに奇跡がいるのに、みんなに黙っててごめんなさい。生きててごめんなさい』って思ってた」
 他のひとが聞いたら、きっと、子供らしい勘違いだと笑い話にするのだろう。
 でも僕にとってこの話は、ただただ、神様の残虐性を思い知るだけだった。
「あんまりだ。何も関係ない子にそんな思いを植え付ける奇跡なんて……神様なんて、死んでしまえばいいのに」
「そう。だからあたしはきょう、奇跡が無いことを証明しにきた。奇跡なんてこの世にない。いま、あたしたちが出会ったこと……奇跡の罪悪感に翻弄されちゃったあたしたちが出会ったことは、奇跡かな?」
「いえ。違います。僕が陥没地域からほんの数百メートル引っ越したら小学校の学区が変わって、きょう、あなたと同じ中学に入学しただけです」
「必然だね。学区だもん。入学おめでとう、お互いに」
 どちらともなく手を差し出し、がっちりと握手する。
 そして彼女は、僕の胸についた新入生代表の花を盛大にちぎり、空に投げた。
「君はもう奇跡の代表を辞めていいんだよ。スピーチなんてクソ喰らえだ!」
 こうして、僕の中の奇跡が死んだ。
 いつもいつも、幸せの絶頂では必ず、死んだひとたちの顔が浮かんでいた。
 ――あの呪いが。終わったのだった。

(了)

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