弔いと殺蚊

 夏の訪れを感じるバリエーションは色々あると思うけれど、今年は、部屋に蚊が飛んでいたパターンだった。
 プンプンと、視界をちらつく仇。
 躍起になって殺そうとしたけれど、何度パチンと叩いても逃げられる。
 そこに意思はないと分かってはいても、あざ笑われているような気持ちになった。
 自分をもっと強く見せれば、殺せるのではないか――あるいは、作り声で雰囲気が出て、殺すまで叩き続ける執念が芽生えるのではないか。
 愚かにもそう考えた僕は、ベッドの上に立ち、空中に向かって安易につぶやいてしまったのだ。
「人間様に勝てると思うなよ」
 と同時に、僕の胸には、止めようのない恐れと畏れが、波のように押し寄せてきた。
 愕然とする。自分がつぶやいたことが、信じられなかった。
 人間様ってなんだ? 人間の方が偉いなんて、おごりではないか? 生き物は平等じゃないのか? どうして、どうしてそんなことがためらいもなく言えてしまったのか。
 僕は、いつからこんな、浅ましい人間になってしまったのだろう――
 恐怖から目を背けるために、僕は部屋を出た。
 頼むから、窓から自主的に逃げてくれ。僕は蚊を殺すような人間になりたくない。
 堕ちるのが怖かった。
 しかし、蚊はいつまでも逃げてくれなかった。
 人というのは堪え性のない生き物なようで、三十分もするころには、やっぱり蚊が鬱陶しくて仕方がなくなっていた。
 かゆいのもごめんだし、取り組まなければならない原稿もあるし、殺せるものなら殺してしまいたかった。
 手が震えた。殺したあとの自分の人生を想像したくなかった。
 これからも殺し続けるのだろうか。食べ物は? 自分で殺す蚊と、誰かが殺した動物を食べることに、どんな差がある?
 そんなとき、僕の善悪を試すように、目の前に蚊がやってきた。
 信じられないほどゆっくりと、僕の眼前にとどまり、空中でホバーするように、そこに動かないでいた。
 叩けば確実に殺せる状況が据え膳のように用意され、「さあ、お前はどっちだ」と問いかけられているようだった。
 僕は泣きたい気持ちで、ゆっくりと手を合わせた。
 蚊を巻き込んで。ごめんと思いながら、音もなくそっと両手を合わせた。
 弔いと殺蚊を兼ねようとした、僕の、浅ましい発想だった。

 手にくっついた黒い虫を剥がすとき、僕は、『冒涜』という言葉の意味を考えていた。
 生き物も、宗教も、自然科学も、何もかもを冒涜した自分は、自分自身を傷つけたような気がするし、悔いてもいる。
 ひと思いにパチンと殺すのが正解だった。これが結論だ。
 中途半端な保身の先には罪悪感しかないことを噛み締めながら、夏の始まりを受け入れるのである。

(了)

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