余裕の象徴、あるいは、スマホに電気を食べさせること

 僕たち人類がスマホの電池切れの心配から解消されたのは、いまから600年ほど前のことだった。
 空中に電気が浮かぶようになり、スマホはそれを自力で捕食し、呼吸するようになった。
 いまやスマホの性能は、1回の食事でどれだけ長く使えるか――腹持ちの良さで全てが決まる。
 スマホは魚のような存在で、空中の電気を求めて、常に口をぱくぱくと動かしている。
 そういうのが可愛くて仕方がないようなタイプの金持ちは、質の良い電気が入ったポータブル充電器を持っていたりするし、それが社会的ステータスな節もある。
 そこら中に電気は浮かんでいるし、適当に食べさせれば電池切れの心配はないけれど、いい大人ならスマホの1台くらいちゃんと食わしてやらないと……という。
 先日発売された充電器は、高級電気3日分が入るという画期的なものだったけれど、あまりにも重くて、人を殴って殺せると揶揄されていた。
 それでもめちゃくちゃ売れているのだから、スマホに良い電気を食べさせたいという需要は大きいのだろう。
 人は、基本的な命の心配から免れたとき、余計なものに金や手間を費やすことで、自身の余裕を計ろうとする。
 余裕の象徴。
 それは、小型犬だったり、でかい車だったり、おしゃれなキッチンだった時代もあった……と、社会科の教科書には書いてある。
 それが現代社会においては、スマホに良い電気を与えること、ひいては、重たい充電器を持ってカフェで仕事をすることに繋がっている。
 僕は見栄の張り合いには興味がないが、最近ちょっと、スマホの可愛さは分かってきた。
 そして、空中の電気を食べさせているだけでいいのかな、かわいそうじゃないかな、なんて思ったりもする。
 若い頃は、『人間だって、金がなければミネラルウォーターではなく水道水を飲めばいいわけだし』なんて思っていたけれど、それで体を壊したら意味がないという意見も分かりかけている。
 スマホを空中にかざす。
 電気と同時にゴミも吸ってたら、すぐ故障しそうだな……。
 そんな風に思うのは、来月からバイトの時給が上がりそうだからかもしれない。

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