同胞
マッチングアプリが好きだ。
適度に盛った写真に吸い寄せられた男たちが、丁寧語と絵文字の羽衣に包んだ下心を、おっかなびっくり送ってくるのが良い。
ポイントを無駄打ちしないよう、予算と気力のチキンレースの果てに私のところに送ってきているのかと思うと、大変愉快だ。
彼らには申し訳ないが、私はただの暇人である。
大人が決めた堅苦しい規則の中で生きるのが辛い、ただの暇人。
会うつもりはサラサラないから釣り人ではあるのだが、運営会社からお金をもらっているわけではないので、サクラでもない。
誰も何も得をしない、ただ、見知らぬ男たちの貯金を削っていくだけの遊びだ。
サクラが少ないと有名なこのアプリにおいて、私のような者は、意図せぬトラップだろう。
……と思っていたのは、先月までの話だ。
ここ一ヶ月、妙なやりとりをしている。
相手の男は、写真を見る限り、三十歳前後の爽やかなサラリーマンという感じだ。
プロフィールを見るに、身長も年収もそこそこあるようで、マッチングアプリに登録しているのは「人の出入りが少ない職場」「幅広く知り合いたい」という。
まあ、モテないわけじゃないけど出会いがなくて〜ということを言いたそうな、よくあるプロフィールだ。
名前は一太郎。なぜワープロソフトの名前にしたのかは不明である。
一太郎の不思議なところは、二通ほど往復して、私の趣味を見抜いたらしいということだった。
会う気はないが必死に引き延ばすつもりもない惰性の文面に、ゆるゆると付き合い始めたのだ。
毎日、何を食べただの何を見ただのを送ってくる。
打ち上げ花火を見るのが趣味だそうで、花火の種類を語り切るのに三日かかったこともあった。
こんななんでもないやりとりは、さっさとラインを交換すれば無料でできる。
なのに一太郎は、わざわざ一通数十円のメールを、毎日何通も寄越してくる。
そのやりとりができるほど金銭的に余裕があるというようなアピールなのかとも思った。
しかしその感じでもない。
なんなら、先週くらいからいい感じの女ができたようで、「今日は食事をしてきた」なんて報告をしてくる。
私が暇人だと見抜いた上で、嫉妬心を煽りたいのだろうか?
一太郎の思い通りにさせるわけにはいかないので、私は変わらずダラダラと近況への返事をする。
女のことには一切触れてやらない。
フレンチいいなぁおいしそう。とか。そういうのしか書かない。
で、今朝である。
なんと、一太郎からの返事がない。
毎朝必ず七時くらいには返事が来ていて、私は起きてから確認するのだが、無い。
昼、無い。
休み時間が暇すぎて、一太郎が今まで私にいくら使ったのか考えた。
月額制のはずだが、一番上のプランでも足りていないと思われるので、ポイントを買い足しているだろう。
一太郎は、お金を投げ捨てるのが趣味なのだろうか?
または、無駄なことにお金を使うことで自分を傷つけたくなるような、荒んだ性格の持ち主なのか。
帰りのホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴り、クラスメイトたちが下校していく。
私はアプリを開いた。一太郎からは返事がない。
遊びに飽きたのだろうか。暇じゃなくなったのか、その女とうまくいったのか。
スクールバッグを掴み、昇降口へ向かう。
校門の向こうにパトカーが数台停まっているのが見えた。
……ついに来てしまったのだと諦め、私は真っ直ぐ校門へ向かう。
先月私は、マッチングアプリに登録する身分証明書欲しさにひったくりを働き、見知らぬOLのバッグごと免許証を手に入れた。
相手の女がはずみで川に転落し死亡したと知ったのは、三日後のニュースだった。
私は今日まで、そのOLがくれた命で暇を潰してきた。
スーツ姿の男が、開いたパトカーのドアに腕をかけて、私を見据えている。
「小早川翠さんですか?」
「はい」
「心当たりはありますね?」
「はい」
「本当はこんなふうに待ち合わせしたかったわけじゃないよ」
目の前の刑事は一太郎だった。
捕まることが辛いのでも、踊らされていたのが悔しいわけでもない。
恐怖も後悔もない。早晩捕まるのはわかっていた。
ただ、一太郎の遊びに意味があったということが悲しかった。
私は、一太郎は自分と同じように無意味なことに愉悦を見出せる人種なのだと思っていて、このやりとりの終焉は、もっとも意味のない感じでたち消えると信じていた。
結局私は、勝手に抱いた見知らぬ他人への同胞意識を支えに生きていたのだろう。
捕まるのは怖くない。
ただ、私たちが共有していたやりとりの価値が根本的に違ったのだということ、ただその悲しみが、遠浅の海のように広がっている。
(了)
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