ぷつりと皮膚を破る想像が

即興小説トレーニング
制限時間:15分 お題「やわらかい14歳」

 僕は、中学二年生の夏に、自分を置いてきてしまったと思っている。
 あの夏、自分が心の底から納得できる選択をしていれば、いまこんな風にうだうだ悩んでいなかったんじゃないかな……という後悔の湖の底へ、ぶくぶくと沈みつつあるのである。

 中学三年間、僕は文芸部だった。
 小説の真似ごとのようなものを書いたり、演劇部に脚本のタネのタネみたいなものを提供したり、それなりに充実していた。
 二年生の夏休み、僕たち文芸部員は――男ばかりでたった五人だったけれど――自主的に合宿に行った。
 行き先は、鎌倉。
 お金を出し合って安いゲストハウスに泊まって、由比ヶ浜のテトラポットのそばに座って熱唱したり、小町通りのソフトクリーム屋に並びながらラブコメヒロインを考えたり、まあ、それなりに充実したと思う。
 僕の人生を変えてしまった事件は、帰り道に起きた。
 東海道線で帰る組と小田急線で帰る組で分かれたのが半々で、僕はどちらからでもそんなに時間が変わらなかった。
 若干東海道の方が大回りになるくらい。
 だから、「行きは小田急だったし、帰りは違う方から帰ろうかな」くらいの軽い気持ちでそちらを選んだ。

 結論から言うと、小田急線から帰ったふたりが亡くなった。
 無差別にたくさんのひとを襲った通り魔事件だった。

 別に、僕が小田急側に行っていたからといって、彼らを守れたとは思わない。
 僕だって普通に軟弱な文芸部員だし、何か格闘技の心得があるわけでもなければ、機転を聞かせて逃げる知恵があったかどうかも分からない。
 けれど、学校では、メンタルを心配をされながらも暗に責められいる気がしたし、生き残った僕は「残された者」という役割と「生き残ってしまった者」と言ううしろめたさを背負って生きる決まりになっていたのだと思う。

 僕が一番仲が良かったAは、ちょっとぽっちゃりで、和み系で、いい奴で、本当に大好きだった。
 白くてもちもちしていたあの皮膚にナイフが突き刺され、皮膚をぷっつりと裂いていったのかと思うと、涙が出てくる。
 でも僕は、もう三年もたったのに、毎日毎日、やわらかい体にナイフが刺さるところを想像してしまう。
 失ってしまった戻ってこない友達を蹂躙している気もして、ひどいなと思う。
 僕はそう言うふうに残ってしまったのだと思う。

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