「火焔太鼓」江戸落語奇譚スピンオフ

 きょうもナチュラルに夕飯が振る舞われるのを待っていて申し訳ない。
 なので、せめて焼き鮭分くらいの働きはしようと、申し訳程度にツイッターのDMを開いて、めぼしい情報を探していた。
「あ。なんか、すごい落語っぽいのが来てるんですけど」
「……と言いますと?」
 短さんが、焼き鮭と小鉢を載せたお盆を座卓に置き、俺の横に座る。
 首だけ伸ばして、俺の手のなかにあるスマホの画面を覗き込み、さらさらっと読み終えると、苦笑いで言った。
「睡眠に影響があるタイプは大変ですね。もし怪異の仕業なのでしたら、すぐに解決して差し上げないと」
「はい。眠れないの、ダイレクトに生活に支障が出るんで」
 DMをくれたのは、マッチョンさんというハンドルネームのひとだった。
 かいつまんで言うと、『毎晩太鼓の音がしてめちゃくちゃうるさい。そして、武士っぽい人物が何やらおすすめしてくるのだけど、何を言っているか分からないので、どうにもならない』……という。
 短さんは、口元に拳を当てながら言った。
「太鼓が出てくる演目はいくつかありまして、これだけでは特定するのは難しいですね。すぐコンタクトを取って、お話を伺いに行きましょう。
「はい」
 と返事した俺の目線が、ナチュラルに食卓に落ちる。
 短さんはポンっと俺の背中を叩き、「夕食のあとですよ」と言って笑った。

 マッチョンさんはツイ廃と読んでいいほど頻繁に短文をつぶやいているタイプだったので、DMの返事を送ったら、2分後には住所と電話番号を教えてくれた。
 本名は松本さん。そして住まいは、港区のタワマンの上層階である。
 俺は萎縮してしまってもじもじしていたのだけど、短さんはさっさとオートロックのインターホンを押して開けてもらい、ついでに管理人のおばさんに軽くお礼をしてエレベーターに乗った――短さんのスマイルは、年齢関係なく女性を乙女の顔にしてしまう。
 25階建ての21階。なぜかキャリーケースをゴロゴロと引く短さんの後ろについて、廊下をすすむ。
 玄関前のインターホンを押して出てきたのは、30代くらいの小綺麗な男性だった。
「急なご連絡だったのに、早速来ていただいて、ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ、夜分に突然お伺いする形になってしまいまして。恐縮です」
 招き入れられた室内の印象は、『白い』。壁も床も白くてツルツルで、緊張する。
 ふたりが名刺を交換したり大人のやりとりをする間、俺は空気に徹して、室内を見回してみた。
 広い2LDKだ。リビングだけで俺の家の2倍はある。巨大なテレビとソファ、おしゃれなローテーブル。
 キッチンもなんか高機能そうだし、リビング左手にあるふたつの扉の向こうも、きっと広いのだろう。
 こんな空の途中みたいな高いところにある部屋で、自然に外から太鼓の音が聞こえるわけがない。ならば、やはり怪異の仕業なのだろうか。
 キョロキョロしながら、借りてきた猫のように、ソファに座らせてもらう。怪異の気配はない。
 短さんも小さく首を振ったので、いまのところは何も感じないようだ。
「改めまして、自分は松本と言います。仕事はバイヤーで、個人でやっています。国内の色々な場所で買い付けて、自分でインターネットで販売したり、契約している販売サイトに卸したりしています」
 バイヤー。よく分からないけど、全国を飛び回るなんて忙しそうだし、こんなタワマンに住めるということは、儲かっているのだろう。
 結婚はしておらず、この広い家にひとり暮らしだという。
「ええと、まずお伺いしたいのは、夜中に聞こえる太鼓の音のことなのですけど。楽器の太鼓の音で間違いないですか?」
「はい。お祭りとかで叩いてる、あれです」
「太鼓のリズムの調子は、ちゃんと演奏になっていますか?」
「いや、適当に叩いてるっぽいです」
「お仕事の関係で、太鼓に心当たりなどはありませんか?」
「ないです」
 松本さんは、淀みなく答えていく。
 短さんは簡単にメモを取りながら、質問を続けた。
「では、武士の様子についてお聞かせ願えますか?」
「えっと、武士は太鼓の音が鳴り出すと走ってきて、なんだか焦って『いい音ですよね!』とか『いかがですか!』とか言うんですけど、具体的には聞き取れません」
「それは毎日ですか?」
「いえ、そんなことはなくて。買い付けをしてきた日の夜だけなんです。家で仕事をしていた日や、買い付けではない別の作業をしていた日は、不思議と聞こえないんですよ」
「なるほど。分かりました」
 短さんが何かを書き込み、こちらにメモを見せてくる。
火焔太鼓かえんだいこです]
 俺はお腹が痛いふりをしてトイレを借り、あらすじを調べることにした。

 主人公は道具屋の甚兵衛というひとなのだけれど、ものすごく商売が下手くそで、奥さんの支えがあって、なんとかなっている状態だ。
 ある日甚兵衛さんが、古くて汚い太鼓を買い付けてくる。
 奥さんは「またガラクタを買ってきた」と呆れるのだけど、甚兵衛さんは、太鼓の埃をはたいてくるように、丁稚に言いつける。
 調子に乗った丁稚が太鼓を叩く。それを聞いた武士がやってきて、大名の殿様が太鼓の音を気に入ったから、屋敷に持ってくるようと言われる。
 奥さんは半信半疑で、汚い太鼓を持っていったら罰を受けるんじゃないか等と言うので、甚兵衛さんは怯えながら屋敷へ。
 しかし予想に反し、殿様は本当にその太鼓を気に入り、「国宝の火焔太鼓だ」と言う。
 300両(1両=10万円で換算したら、3000万円!)で買い取られ、夫婦は大喜びする。
「次は何を仕入れようか。音の鳴るものがいいね。半鐘はんしょうはどうだ?」
「半鐘はいけないよ、おジャンになるから」

 ……おじゃん? さ、サゲの意味が分からない!
 調べようと思ったけど、あんまり人の家のトイレで長居するのもよくない。
 解説はあとで短さんに聞くことにして、リビングに戻った。
 ふたりは和やかに談笑していたが、松本さんは、時計を見て申し訳なさそうに言った。
「すみません。実はあした早朝から大阪で買い付けがありまして、終電の新幹線で行かないくちゃいけないんです。なので、あなたたちを信じて鍵をお渡ししますから、おばけを追い払ってくれませんか?」
 え、そんなことある? 見ず知らずの人間にタワマンの鍵を渡すとか――この麗しの雇い主は、どんな術を使ってやり手バイヤーの心を掴んだのだろう?
 貴重品とか失くしたらまずい書類とかは全部持って行ってもらうことにして、俺たちは松本さんを見送った。

 家主不在になったマンション。
 短さんは玄関に起きっぱなしだったキャリーバッグからものを取り出して、リビングに戻ってきた。
「ぴこさん、これを着てください」
 と言いながら床に広げられたものは、時代劇の殿様みたいな立派な袴だった。
 肩部分が出っ張って、やたら裾の長いやつ。青野家にはこんなものまで常備されているのか。
「これ、俺が着るより短さんの方が良くないですか? 俺、そっちの質素な方がいいです」
「いえいえ。ぴこさんはそれを着て、偉そうにしていてください。僕は家臣の武士になりまして、怪異と話をしますので」
 あ、話すのは武士役なのか。それなら仕方ない。俺はお飾りの殿として、ちょこんと座っていよう。
 言われるがままに服を脱いで突っ立つ。短さんは手際良く着付けながら言った。
「噺の筋では、聞こえてきた太鼓の音を殿様が気に入って、武士を遣いに出し、甚兵衛さんに太鼓を持ってくるように言います。この構図を現状に当てはめると、松本さんは殿様です」
「あ……、怪異は、タワマンを屋敷だと思ったってことですか?」
「そうです」
 確かに、こんなところ、普通は住めないし。
 短さんは、俺の体の周りをぐるりと回りながら続ける。
「でも、今回の件は、少々特殊だなと思います」
「なんでですか?」
「松本さんが見たのが、サブキャラだからです。火焔太鼓の主人公は道具屋の主人で、武士は殿様との中継役ですから」
「あ、ほんとだ」
「しかも、松本さんのところに出てきた武士は、『いい音ですよね』とか、『いかがですか』といった感じで、おすすめしてくるということですので、自ら殿様に太鼓を売り込んでいる形です。噺と微妙に違います」
「なるほ……ぐえ」
 謎の紐で、ぎゅうぎゅうと胴体を締め付けられる。苦しい。
 しかし短さんはくすくすと笑うだけで、その手はゆるめない。
「僕は最初に松本さんのお仕事を伺ったとき、彼は道具屋の甚兵衛さんの立場なのだと思ったのです。でも、太鼓に心当たりはないとおっしゃっていましたし、どうにも噛み合わない」
「怪異と話せないとどうにもならなそうですね」
「ええ。一応見当はついているのですけど、憶測でものを言うのは失礼にあたりますからね。まずはお話をお聞きしたいところです。……ということではい、できましたよ」
 強めに背中を叩かれて、思わずよろける。
 促されるままにソファに座り、なんとなく偉そうにしてみる。
 短さんも部屋の隅でぱっぱと着替えると、床にひざまづいて、俺の機嫌をとるようなことをつらつらと話し始めた。
「何か面白い道具があれば、退屈しませんのにね」
「ふむ。そ、そうだな」
 ……下手くそ! と自分に絶望しつつ、短さんがあおぐ扇子の風を受け続ける。
 すると、どこから度もなく、ドンドンと太鼓を叩く音が聞こえてきた。
 短さんが目配せする。俺はしどろもどろになりながら言った。
「お、おう? いい音がするな。太鼓かな」
 そう言った次の瞬間には、短さんの隣に、青く体が透けた武士が綺麗に土下座していた。
「松本様、いつも大変お世話になっております」
「……は?」
 武士は顔を上げると、満面の笑みで続けた。
「火焔太鼓Ver.6が完成いたしまたので、ぜひお試しいただきたく参上しました。Ver.6は従来の火焔太鼓とは違い、スイッチひとつでサイレントモードに……」
「ま、待って! 意味わかんない! あと、ぼくは桜木です!」

 お互い挨拶を仕切り直し、怪異にはソファを勧めて、俺と短さんはダイニングから引っ張ってきた椅子に座って、話を始めた。
 怪異は清五郎と名乗り、某大名に仕えている武士だと語った。
 松本さんとは無関係らしい。ただ、道具屋の甚兵衛さんと懇意なのだという。
「清五郎さんは、甚兵衛さんのご商売のお手伝いをなさっているのですか?」
「いえ、手伝いと言うほどではないのですが。彼は商売が下手でして、いつもあちこち行っては妙なものを買い付けてきたり、誤って家の火鉢を売ってしまって極寒で過ごしたりですね……不器用な男なのです。でも、なんだか放って置けない妙な魅力があるので、身分は違いますが、仲が良いのです」
「松本さんに火焔太鼓を売り込もうとしていたのは、何か理由があるのですか?」
「ええ。実は松本様は、方々きな臭い噂がありまして。甚兵衛は商売が下手ですので、現代にご存命の業者様をふらりと見学しに行ったりするのですが、どうにも騙されたり割りを食ったりして頭を抱えている方が多いと。そして私が独自に調査しましたところ、どの件も取引相手が松本様で……おそらく、ダーティなお仕事をなさっているのかなと。それで、まずは相手の懐を探るべく、独自開発の商材を用意したわけです」
 俺は混乱していた。
 しゃべっている相手は江戸のおばけのはずなのに、なんでこんな、ビジネスライクなんだ。
 火焔太鼓Ver.6は、サイレントモードに加え、ヘッドホンで音を聴きながら演奏することもできるので、タワマンでも使えるらしい。
 説明を聞いていると、調子外れの太鼓の音が聞こえてきた。
 ――ド、ドコドコ、ドドンッ、ドコンッ
 音のする方を見ると、気弱そうな怪異が太鼓を抱えて、ふわふわと飛んできている。
 短さんがぱあっと表情を明るくした。
「甚兵衛さんですね! そしてそれが、火焔太鼓」
「へぇ。そうですが。……えぇと、こんな汚いもんを持ってきちまって、おれぁ打ち首に遭うんでしょうか」
「とんでもない。本物の火焔太鼓を見られる日が来るなんて、思いもしませんでした」
 こんなジャーキーに飛びつく犬みたいな顔、はじめて見た。
 清五郎さんは、太鼓の横についたスイッチをカチカチと切り替えながら、製品説明をしている。
 俺がついていけないまま座っていると、短さんはキラキラと目を輝かせながら言った。
「清五郎さん。あなたの見立てで、松本さんは何者だと思いますか?」
「ただのバイヤーではないと思います。おそらく、」
 清五郎さんはそこで一度言葉を切り、小さく息を吸って言った。
「転売ヤーです」
 短さんの動きが止まった。
 額のあたりから、ぶちっという音がした気がした。

 俺が調べるまでもなく、清五郎さんが全て推理してくれた。
 きょうの大阪行きは、あす朝一番に大型家電量販店で数量限定販売される、最新ゲーム機だろうと。
 入手困難になっているそうで、転売ヤーたちは、前の晩から並んで買い、高額な値段をつけてネット販売するらしい。
 いまにもブチ切れ寸前みたいな短さんが、イライラしながら電話をかけている。
「……出ませんね。ご商売の邪魔だったかしら」
 という丁寧な口調とは裏腹に、めちゃくちゃ、めちゃくちゃ怒っている。
「桜木様。お手数ですが、SNSでお店やゲーム機の名前を検索していただけますか? リアルタイムで列を写真撮影している方がいたら、その中にいるかもしれません」
「な、なるほど。調べてみますっ」
 言われたとおりに探してみると、梅田店の列の先頭に、松本さんはらしきひとが写っていた。
「どうしましょう。見つけたけど、電話に出ないんじゃどうしようもないです」
「私も、おばけの姿ではありますが、大阪まで飛んでいくとなると、開店時間には間に合いません」
 いくらか冷静さを取り戻した短さんが、スマホを取り出した。
「上方落語文化協会に知り合いがおりますので、頼んでみます」
 こんな真夜中に申し訳ない。
 けど、バーサーカーになりつつある短さんに、そんな遠慮はないのだ。
「もしもし? 青野です。ご無沙汰しております。急なお願いで申し訳ないのですけど、いますぐ梅田に行っていただけませんか? あら、呑んでいる。ならちょうどいいです。すぐに。ええ」
 早口で事情を説明する短さんの真顔は、整いすぎていて怖い。
「ええ。その男を引きずり出してきてくだされば。2、3発なら殴っても大丈夫です」
「だ、ダメですよそれは! そのひとが捕まっちゃいます!」
 俺は短さんのスマホを奪い取り、誰だか分からない相手に向かって叫ぶ。
「あ、あのっ。殴らなくていいんですけど、とにかく列から引っ張り出して、ビデオ通話にしてもらえると。はい、お願いします。すみません、失礼しますっ」
 電話を切る。
 振り返ると、短さんは扇子で顔をあおぎながら、タワマンの夜景を見ていた。
「僕は、阿漕あこぎな商売をする輩が嫌いなのです。それで、手探りで努力をされている甚兵衛さんのような方が損をするのは、もっと嫌です」
「おれぁ、ばかで間違えちまうだけだけどなぁ」
「いいえ。あなたはいずれ、300両を手にする方です。正直にお仕事をなさっていれば、奥様もみんな、幸せになりますよ」
 にっこりと微笑んだ、そのとき。清五郎さんが声を上げた。
「青野様、桜木様。私、大変初歩的なことを確認しておりませんでした。この男、もしかしたら古物商許可を得ていないかもしれません」
「こぶつしょう……?」
「はい。実は転売自体は違法行為ではなく、取り締まる法律がありません。新品の商品をどこかで購入して転売する場合、お咎めはなしなのです。ただ、『中古品』を扱う場合は別です。リサイクル店から未開封品を購入して転売する場合は、古物商許可を得ていないと違法になりますので、逮捕される場合もあります」
「ぴこさん」
「……はい。調べます」
 清五郎さんの指示に従って、調査を始める。
 甚兵衛さんが見てきた業者を思い出してもらって、俺が検索する。
 ひとりでもリサイクル業者がいれば、その相手を発端に、芋づる式に松本さんの悪行が明るみに出るかも。
 そう考えたのだけど、甚兵衛さんの記憶があやふやだ。
 時間が過ぎてゆく。短さんは月を眺めながら電話を待っていて、何を考えているのか分からない。
 焦りつつ片っ端から検索していた、そのとき。
「……はい、青野です」
『おーい、初くん! 見つけたで、松本! こいつやろ!』
『ちょ……っ、なんなんですか、急に』
 スマホを覗き込むと、ビデオ通話の画面には真っ赤な顔をしたおじさんが映っていて、上機嫌で松本さんの袖を引っ張っている。
「松本さん、お忙しいところ失礼いたします。おばけの正体が分かりましたので、ご連絡いたしました」
『ええ? いや、このひと誰なんですか?』
「僕の知人です。まあそれはどうてもよくて。おばけの正体は、あなたが高額で転売してきた商品たちの呪いでした。この家に取り憑いています」
 大嘘……っ!
 しかし短さんは、涼しい顔で続ける。
「いますぐその列から離れて帰京していただかないと、この家は太鼓でボロボロになり、あなたもバチで叩かれて死にます」
『え、え? 転売? いや、なんのことやら……』
「きん平さん、いまどちらに居るんでしたっけ?」
『ヤマバシカメラ梅田店でーす! ワハハハハ』
『ち、違いますよ! 自分は、このひとに急にここに連れてこられて……』
「はあ?」
『急に、この酔ったひとが!』
「おー? 部屋ん中にある商売道具を全部おジャンにされてぇってことか」
『えっ、いや。自分は何も……!』
 あ、だめです。松本さん。それ以上、抵抗しちゃだめだ。
 ……という俺の呼びかけは伝わることなく、短さんが大声で吠えた。
「ごーちゃごちゃうるっせぇんだこのトンチキ! 四の五の言ってねぇでさっさと帰ってきやがれッ!」
 さらに唾を飛ばして叫ぶ横から、すすっと清五郎さんが現れる。
 綺麗に結っていたまげを解いて顔に垂らし、戦場から這い出た落武者みたいな声でつぶやく。
「PS5の恨み……PS5の恨み……」
 画面の向こうから響く阿鼻叫喚と、怒鳴り続ける短さんの声と、清五郎さんの呪詛。
 甚兵衛さんは楽しそうに調子っ外れの太鼓を叩いて、それがさらにホラーを生んで……。
 カオスだった。
 そして松本さんは、朝イチで東京に帰るから許して欲しいと泣いた。

 数日後。ニュースで、松本さんが逮捕されたと報じられた。
 清五郎さんの見立てどおり、無許可で古物を取引していたのに加え、転売に絡めた怪しい情報商材で詐欺行為を働いていたようだ。
 なんと、詐欺犯にしては珍しく、自首。
 警察は経緯を調べているということだが、彼はおばけに祟られたと言って自白したのだろうか。……なんてことを思いながら、味噌汁をすすった。
 目の前のお露さんが、頬に手を当て微笑む。
「うふふ。どんな便利なものがあるのかしら、楽しみですわ」
 青野家の居間には、新三郎さん一家が来ている。
 清五郎さんが開発し、甚兵衛さんの道具屋で絶賛販売中の、便利な家事グッズ。
 カタログをお露さんに渡したところ、大はしゃぎで見てみたいと言い、きょう、ふたりがかりで持ってきてもらう手はずになっている。
「失礼します、お待たせしました!」
 爽やかに入ってきた清五郎さんは、巨大な風呂敷を背負っていた。
「あれっ? 甚兵衛さんは来てないんですか?」
「はい。オリジナルバージョンの火焔太鼓を気に入られた大名様がいらっしゃったそうで、そちらへ行っております。うまくいけば300両ですね」
「まあ、それはすばらしいことです。うまくいくといいですね」
 短さんはそう言って、にっこり微笑む。
 その表情を見て、ふと、聞き忘れていたことを思い出した。
「あの、短さん。そういえば、火焔太鼓のサゲ、『半鐘だとおジャンになる』って、どういう意味だったんですか?」
「ええと。半鐘というのはお寺にある鐘の小さいものです。江戸では、火事が鎮火した際に半鐘を鳴らして合図をします。その鐘の音を『ジャンジャン』と表現するところから転じて、『おジャンになる』……つまり、ものが台無しになるという言葉になったということですね」
「あーなるほど。ようやく意味が分かりました。せっかくの300両がおジャンになるから、半鐘はよくないということですね」
「はい、おっしゃるとおりです」
 こういうことが起きるから、落語は面白い。
 よく分からないくてもなんだかおかしくて、言葉の意味が分かるとさらにおかしい。
 落語には色々な面から見える魅力があるのだと、怪異事件がすっきり解決したあとには、なおさら思うのだ。
 青く透けた便利グッズを眺めながら、短さんが言う。
「この大根おろし、いいですね。人間用もあればいいのに」
 大根おろし→焼きサンマと連想して、ぐうとお腹が鳴る。
 短さんは「足りませんでしたか」と笑いながら、台所へ消えていった。

(了)

本編はこちら!

『江戸落語奇譚 寄席と死神』

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