仔鴉占い処

「……人は、人に迷惑をかけたくないときに、占いにハマるんですね。初めて知りました。占いに来たくなるなんて、人生初です」
 そう言ってうなだれてみせたのは、本日午後一発目の迷える仔鴉こがらす夏野楓なつのかえでさん、二十七歳。百貨店の販売員だった。
「どうなさいましたか」
 僕は努めて優しく、ほんの少し身を屈めて、下から覗き込むように目を合わせる。
 夏野さんは、少し驚いたように目を見開いたあと、視線を泳がせながら所在なさげにまばたきを繰り返した。
「婚約者と、話せないんです。付き合って三年。お互いの家族にも紹介しあって、幸せのはずなんですけど、彼と話せないんです」
 僕は、目の前の水晶玉に、すっと手を添えた。
 バラバラと指を動かしながら、その表面から数ミリ浮いた空気を、そろそろと撫でてゆく。
 水晶の中央から下に、紫色の淀んだ光が溜まった。
「紫色の……淀んだ光が溜まっています」
 僕は、この世の真理を見たみたいに、目の前のものをただ口にした。
 夏野さんは、深刻な顔でうなずく。
「お互い、忙しくなりすぎたんです。わたしは販売員なので変わらず外で仕事なんですが、彼はリモートワークで。正直、夜、へとへとになって疲れて帰ってきて、彼が長々とズーム会議をしていると、聞いているこっちも疲れてきちゃうんですよ」
「相談できないのですか」
「彼だって、やりたくて夜まで会議してるわけじゃないと思うので、文句は言えません。でも、ふたりの時間はどんどん減ってるし、将来のこととかも話せなくて」
「将来のことですか?」
「はい。わたしも彼ももうすぐ三十歳になりますし、結婚を考えたいと思うんですけど。こんなにすれ違ったままできるのかなって思いますし、でも、それを話し合う時間すらないんです。仕事とわたし、どっちが大事なのなんて、困るようなことを言ってしまいそうで……」
 僕はまた、水晶を撫でる。紫の淀みが、ぷちぷちとした粒になって弾ける。
「紫色の淀みが……ぷちぷちと粒になって、弾けていますよ」
「はい……」
 夏野さんは、はあとため息をついた。
「彼には本音や相談を言うことができなくなりました。疲れたって言ったら、嫌味じゃないですか。わたしは外で立ちっぱなしでクタクタなのよって、アピールしてるみたいで。彼の忙しさもわたしの忙しさも、同じだって分かってるから」
「なるほど」
 僕は水晶をコツコツと叩いた。淀んでいた紫が、透明感を増す。
「水晶をよくご覧ください。淀んでいた紫が、透明感を増していませんか?」
「はい。きれいになってきました」
 状況が改善しているような感じで、微笑む。
 夏野さんも、釣られるように口角を上げる――自嘲のようだが。
「解決策のない相談は相手を困らせるだけですので、友達にも職場の人にも言えません。ひとりで抱え込んで辛いです。一番身近で心を開きたい相手に、何もかも隠しているのが、正しいことなのか。でも、負担になりたくない」
 紫色だったものが、徐々に青くなっていく。
「ブルーに変わってきました」
「本当ですね。占い師さんには、意味のない相談をしても迷惑をかけないと思ったので、助かりました。結果なんてどうでもいいんです」
「そうですか。お聞きにはなりませんか?」
「一応……聞きます。お金は払うつもりで来ているので」
 僕は人差し指でくるくると空気を混ぜ、台風の目を作り、水晶の中の色を取り出した。
 一点の曇りもない、美しい水晶玉がある。
「きっと大丈夫ですよ。淀んだ紫色が、澄んだブルーに変わりましたから」
「よかった……。わたし、もう少し頑張ってみます」
 夏野さんは深々と頭を下げ、五円玉とCDを机の上に置いて、去っていた。
 僕はふたつを手に取り、光に透かしてみたり、真ん中の穴に指を押しつけてみたりして遊んだ。
 鴉の僕は、光るものが好きだ。
 人間に変化へんげしても、大した言葉はしゃべれない。鴉のくせに、オウム返しばかりする。
 でも、水晶玉に色を入れる力はある。
 僕はこの水晶のピカピカを思う存分話したくて、あと、キラキラしたものを集めたい。
 占いを聞きに来る人は、悩みを思う存分話したくて、僕の水晶の話は別に聞いていない。
 お互い、自分の関心しか話さない。
 それでも救われることがあるらしいので、僕は仔鴉占い処を続けている。
 三百年かけて、キラキラしたものが沢山集まってきた。
 昔はキラキラしたものは石や鏡ばかりだったけれど、最近は色々なものがあって楽しい。
「次の方。水晶が透明です」
 しまった。何も聞く前に、水晶の話をしてしまった。

(了)

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