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内省の三行

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ランダム生成された写真をお題に、地の文の心理描写3行を書く練習をします。写真は https://picsum.photos さんから。
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2021年4月の記事一覧

4/22



 相棒の奇行に悩む、全国のワトソンたちに訊きたい。
 ホームズ役の相棒がシラフでハイになってしまうような性格だった場合、完全にノリだけで潜入してしまった麻薬パーティーで、どのように振る舞えばいいだろう?
 ……いや。正解を見つけられぬうちに、相棒を見失った。どこ行ったあいつ。

4/27



 子供の頃は、自分のなかで、『綺麗な砂浜』と『汚い砂浜』というのが明確に線引きされて存在していた。
 汚い砂浜は、小石や小さな貝殻がびっしり漂着しているタイプのところで、いま考えるとそれはそれで趣があるのだけど、当時は『汚い砂浜』という分類だった。
 要するに僕の綺麗・汚いの尺度は、落ちているものの密度だったのである。

4/30



 人は、最後の瞬間には漏れなく走馬灯を見るものだと思い込んでいたけど、こんな餓死待ちみたいな状況では、それすら見えそうになかった。
 せめて、幼稚園からの振り返りと長い反省を……と思うのに、いきなり、半日前の映像から始まってしまう。
 最後に見たのは、1.5メートル先を歩く枕辺さんの背中だった。

4/29



 夜明けと共に、恐怖も悲しみも、引き潮に呑まれて消え去ってしまった。
 心のなかにほんのりと残ったのは、怒り、だったものの残骸。
 全てを支配され、制御不能になってしまったと思われたこの感情も、美しい朝焼けのなかで見れば、ひどくちっぽけなものだ。

4/28



 僕がなんとか道路に飛び込まずにいられたのは、『運悪く僕を轢いてしまったひとが、刑務所行きになるかもしれない』という理由だけだった。
 ゴミのような僕のせいで誰かの人生が狂ってしまうなんてそんなことがあっていいわけがないし、自分がまだそういう理性を持ち合わせていたということをギリギリ感じられたのはよかった。
 さて、死のう。
 

4/26



 はじめて食べる『スコーン』なる食べものは、まあ、なんというか、ぱさぱさのホットケーキミックスの塊という感じだった。
 たいしておいしくなかったくせに、僕はいやに大人びようとして「シンプルな味だね」とかなんとか言った覚えがある。
 背伸びは成長のチャンスだと、よく思う。そしてこのエピソードを思い出す。

4/25



 圧倒的な科学の力! 不可能を可能にする人智の結晶に乗って、大いなる大地を見てやろうと思ったのに。
 あり得ない上空から見下ろせば、人類の勝利を噛みしめられられるはずだった。
 しかしふたを開けてみれば、大自然の怒りの前では、ちっぽけな人間は取るに足らないものという……まあ、凡庸で当たり前の。

4/24



 どうせ、『スーパーキャッスル』みたいなひどい名前だろう……と思ってしまうほど、ちゃちな外観の模倣城だった。
 僕は、密室の連続殺人から見事脱出することで、自尊心を満たしたいと思っていた。
 だのに周りをこんな整えた芝生にしてしまって、主催者はどうやって、ここをクローズドサークルにするつもりなのだろう?

4/23



 ぬかるんだ林道を、一歩一歩進む。
 ひざのあたりは、跳ねた泥の飛沫が乾いて、点々と汚れている。
 こんな出口のない冒険、子供の頃にだって思い浮かべなかった。

4/21



 花をいけた一輪挿しにコンクリートを流し込んだお手製の鈍器で、思い切り後頭部を殴ったらしい。
 根本からひしゃげた純白のカラーに、血痕が散っている。
 こんなの、凶器としては最高に想いが詰まっていて、殺意はかく美しくあるべきとさえ思ってしまう。

4/20



 僕が次で降りたら、この運転手は、誰のためにもならない大きなバスを走らせることになるだろう。
 人生の幕引きは皆平等に選べなくて――それが自殺であってもだ――運転手が終バスを車庫に入れるまでの道のりは、決まっているようで異なる。
 人生はルーティーンである一方、道路状況という外的要因で定められるものなのだ。

4/19



 渡り鳥は自由に見えてその実、決まった群で行き先にも選択肢もなく、季節から『逃れて』飛んでいるだけなので、さしたる自由はないのではなかろうかと思う。
 一羽の小さな個体が、群から外れ、置いていかれようとしている。
 僕はその姿を自分に重ね合わせて、彼には幸せであって欲しいと願う。

4/18



 富も地位も名誉も手に入れた犯人が、人を殺さなければならなかった理由はなんだろうかと考える。
 ……と、それはシンプルな話だった。
 人の殺意に、富も地位も名誉も関係がないのだ。

4/17



 思考停止状態で、自動的にインゲンの筋をとり続ける。
 こういう作業で故郷の母を思い出すなんて、どうしてこんなに自分はステレオタイプな価値観なのだろうと呆れるけれど――女の仕事だとか、親の無償の愛だとか。
 隣で同じように筋をとる枕辺さんは、明らかにサボっている。