しわ

アニメ「しわ」に描かれる、認知症という絶望と希望

このアニメを製作したのは、高畑勲監督をリスペクトする、スペインのイグナシオ・フェレーラス監督。老人ホームに入所したエミリオと、そこで暮らす老人たちの物語だ。

かつて銀行の支店長だったエミリオ。認知症の症状があらわれ、息子夫婦に連れられて老人ホームへ。もちろん、エミリオは入所に納得していない。不満、不安、諦観……。

そこで目にしたのは、同じ言葉を繰り返す老人、家族に連絡をとりたくて一日中電話を探す女性、貴婦人でいた過去に生きる人、火星人を怖がる老女等々……。

「ああはなりたくない」。「私はちがう」。エミリオの心の声だ。一方でそれは、自らの将来を映しだしていて、暗澹たる気にさせられる。

ミゲルは、エミリオの同室者だ。ずる賢いミゲルは、認知症を伴った老人たちから適当な理屈をつけて、小銭を巻き上げている。

エミリオは、ここの現実と、ここで生きていく術をミゲルから学んでいく。それは、歳をとるということ、認知症をかかえるということ、老人ホームで生きていくということ、変化するということと「折り合い」をつけていく過程に他ならない。

私たちは、誰もがいずれ認知症になる。必ずというわけではないが、その可能性は大いにある。交通事故で障害をかかえる確率よりもずっと高い。

息子や娘の要請に従い、納得ができないまま老人ホームに入所させられる。変化を余儀なくされる。そんなありふれた未来を、今からしっかりと想像しておけ。このアニメは私たちにそう強く訴えかける。

アニメだと思って軽い気持ちで観はじめると、とても重たい荷物を背負わされた気になる。その背中は、何日経ってもいっこうに軽くならない。そんなアニメである。



▼「しわ」予告編


▼DVD「しわ」

▼単行本(コミック)「皺」