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SPAC『アンティゴネ』空間デザインノート(11)「あの頂へ」

演出家、宮城聰の創作の出発点であり、真髄はこの「指し示す力」にある、と私は思っている。

彼はまず「我々が登るべき山はあれだ」とはっきりと指し示すのだ。どう登るかはまだ分からない、しかし目指すべき頂(いただき)は確かにあそこにある、と。そして往々にして、それは最高難度の未踏峰なのだ。

「あそこにチラッ見える山の天辺があるよね?そこまでどうやって行けるか、考えてみてほしい」

平たく言うと「無茶振り力」である。しかしながら、その無茶の向こう側には途方もない世界が広がっているかも知れない。と言う期待感で思わずこちらもその気にさせられてしまうのだ。それにこちらも、これまで幾度となく、宮城さんの「挑発」とも言える無茶なオーダーに応えてきた自負もある。「そんなの無理です」とは口が裂けても言えないし、言いたくない。

法王庁を視察するつい一月前に、パリのケブランリー美術館にあるクロード・レヴィ=ストロース劇場の開館10周年の記念に公演した『イナバとナバホの白兎』もかなりの「無茶振り」からスタートした。

20世紀の知の巨人と言われるレヴィ=ストロースの名を冠した劇場の記念公演に相応しく、彼の論文を題材にした作品とする事以外は、ストーリーもタイトルも決まっていない中、デザインワークはスタートした。最初の打ち合わせで、宮城さんから提示された「山の頂」は

「レヴィ=ストロースの論文に示されている、神話の『構造』理論、とりわけ『神話がモチーフを反転させながら、世界を旅するように伝播していく』と言う概念を空間として表現して欲しい」だった。

高名な社会人類学者の唱えた理論を空間化する…?
あまりに高度な「お題」にクラクラと目眩がした。表面上は努めて平然と「それは面白そうですね」と返したが、私は心の中で「そんな無茶な!」と叫んでいた。

しかし、結果的にはこの無茶振りに応えるべく必死でスケッチと格闘し、「これだ!」と言うアイディアを手繰り寄せた時、私は自分でも思いも寄らない視点までたどり着いていた。世界各地のの多様な文化が「対立」ではなく、互いに補完し合うよう成立していったのでは無いか?それっぽく言うと「人類の文化成立過程における『鋳型』仮説、のようなもの」をつかんだのだ。そしてこの仮説は今でも私の大切な思考の礎となっている。詳しく話しだすと脱線がいつまでたっても止まらないので、いつか別の機会に詳しくお話しできればと思う。

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話が逸れたが、とにかくこうした宮城さんの「無茶振り」に応える為に、公演に携わる全スタッフ・キャストが総力を振り絞って結集するのが、SPACの集団創作の真骨頂である。そして皆、その道が困難なほど燃えるのだ。頂きは高ければ高い程良い。宮城聰という演出家は、「あの頂に登れ」と指し示す力がずば抜けている、それが彼を世界的な演出家たらしめたのだ。

そんなことを考えながら、わたしは頂へとつながる「初めの一歩」を踏みだそうと、発言のタイミングを見定めていた。

しかし私の「一歩」はすぐさま、大きな壁にぶちあたることになるのだった。

~つづく

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