目が野生だね

白州から帰るといつも言われた言葉だ。

2006年に東京藝大の複合表現演習の一貫で一夏あの場に滞在したのが始まりだった、鈍行にのって韮崎駅について、バスにのって横手のバス停からあるいて、ビーサンで短パン姿でしゃがみ込んでいた黒く日焼けをしたひとが棟梁と呼ばれる泯さんだった。午前中に森の舞台で五感を動かし、午後は版築を叩く、野菜しかない食事をかきこみ、。栗林のテントで泥のように眠る。作業の横で動物がいて、自然があり、夜空があり、何かをつくる人々がうごいていた。

今となってはなぜ、その翌年も行くことになったのか記憶は定かではないのだが。たしか、森の舞台を作り直すときに声をかけてもらったような気がする。そして、もちろんそれと違うなぜか夏になると白州にいきたくなるような、あの五感の渇きとそれを潤してくれるようななにかがあったのだろう。

2006年以降継続して何人かの仲間達と建築チームとして白州にかかわり、その後もほぼ毎年泯さんがどこかでやる舞台に参加させてもらっている、光栄である。

現在、松戸、取手、八戸。いくつかのアートに関わる場の設計や、運営に携わる中で、一つ通底しているのは日常の中にあるアートに関わりたいと思う祭のような一体感ではなく、あくまでも創造が生まれるあの瞬間の興奮にどうにか立ち合いたい。

いまの身体で、もう一度あの場にいたとしたら僕は一体何をみるのだろうか。。

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