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「消えない臭い」 パラサイト 半地下の家族 半地下編

ネタバレ無しの第一弾はこちら。
ネタバレしますので、観ていない人は読み進めないでください。気になるなら、一度観てしまった方が良いかもしれません。
血とか怖いの苦手なので絶対観ないけど概要だけ知りたい、という人は読んでください。


全体的な話の構成

1、貧乏一家が金持ち宅に見事に侵入して職を得るスパイ映画的展開
2、4人の招待がダソンから「同じ臭い」と言われたりする
 「バレるかバレないか」のドキドキコメディ
3、追い出した家政婦ムングァンの再来と共に訪れる「本当の秘密」
4、キム一家vsムングァン側の主導権争い
5、大雨の中の脱出劇と半地下の洪水
6、キム一家の葛藤と、パーティー開催
7、惨劇
8、エンディング

時間配分で言うと、1、2番で半分、3以降で半分という「後半に畳み掛ける」展開
やや冗長にも思える前半で、じわじわと前提を伝えた上で、後半の高速展開、
特に惨劇時「ギテクのあの行動」に対する説得力を観客に植えつけていくやり方が見事。

一体この話は何なのか?

韓国社会における修正不可能に思える程の貧困格差とそれによる分断社会の完璧なメタファー。監督はそれを危機的と表現するが「どうすべき」とは言わない。答えを出せない程の困難さにあるという事だけはメッセージとして提示している。

1、半地下家族と「丘の上」家族

 一見うまく馴染めたように見えるキム一家。
 ギウとギジョンは知的な大学生役を完璧にこなしている。2人とも元々賢く、能力もあるのだ。しかし、ダソンにはある事を気づかれてしまう。「同じ臭いがする」

 見た目や言葉を誤魔化しても、消えない臭い。それは石鹸や服ではなく、「半地下の臭いだよ」とギジョンは言う。
 個人の知恵や運だけで高い地位や収入が得られるような社会ではない、という現実

 この一家自体、せいぜい金持ちの留守中に飲んで食って、贅沢を体験してみるレベルで満足している。
 「私もあいつらくらいお金があれば、優しくなれるさ。金はシワも伸ばすんだよ」
 「どうせあいつらが帰ってきたら、あんたもゴキブリみたいに隠れるんでしょ?」

2、半地下、の更に下

 半地下にいる自分達は貧乏でどん底、金持ちに寄生して少しくらいうまい思いしたって、、、
 と言ったその先に、自分達よりも更に下の存在を知る。
 半分どころか、地下室から階段を2回降りた地下室に匿われている元家政婦ムングァンの夫グンセ。ムングァンがくすねる食べ物でなんとか生きながらえている。
 「持たない者同士助け合おう」というムングァンの提案に「警察を呼ぶ」と「上の人間」としての態度を取ろうとするチュンスク。しかし自分も寄生者だとバレてからは、醜く争い合う。

 持たない者同士が助け合えたらやって行けるはずだったが、この「半地下」と「最地下」はお互いの足を引っ張るように争い合う。最地下のグンセは「ドンスクさんリスペクト!」と崇める始末。もはや「金持ちに寄生する以外に生き方を知らない」ように見える。

 一方の半地下ギテクも、洪水と偽装がバレる事で追い込まれた際「計画なんて立てない方がいい。どうせうまくいかないのだから」。金持ちになろう、ここから抜け出そう、という「計画」(別名、夢)を捨てようとする

 地下にいる人間達は、かつて夢も希望もあり努力もしてきた。しかし、どうしようもない現実を前に、もはや前向きな考えすら持てなくなっている

3、地上からは見えない地下

 金持ちのパク夫婦は、けして悪い人達ではない。使用人に対しても言葉遣いが丁寧だし、寛容性も持ち、常にフェアであろうとする。
 彼らが悪い、金持ちを倒せ、ではない。しかし、現実として、地上にいる彼らに地下を這うベンジョコオロギの姿は見えない。洪水で低層に住む半地下の人々が避難している中も、そんな事露知らず、子供の為のパーティーを開催する。洪水で汚水の臭いが残るギテクや、地下に住んで不衛生なグンセに鼻を摘む。彼ら個人が悪いのではなく、その立場ならそうだろう、という態度。しかしそれが地下にいる人間にとって何よりも屈辱的である。


この格差社会は、もはや個人の努力程度ではどうしようもない状況にある。
頑張った所で「臭いは取れない」のだ、と。

因みにラジオ番組「たまむすび」での町山智浩さん情報によると、現在ソウルで半地下に住んでいる人は人口の2%、36万人。実際に過去には洪水が起きて亡くなった人もいるという。韓国全体で非正規雇用者が1/3以上おり、先進国でもトップクラスの格差社会(もちろん日本も同等)とのこと。

4、残された希望

この映画において、将来への希望は常に子供達がメタファーになっている。
子供達にとって、格差は見えていないし、気にもなっていない。
ダソンは「臭い」には気づくが、それを理由でギジョンを嫌いになったりしないし、ダヘはギウに恋をする。血だらけになった彼を地下から抱えて走る(だから彼は生き残る)。
ギウは賢く「計画」を失わない。ミニョクからもらった「金運と合格運の石」が「離れないんだ」と抱え続ける。
ギジョンは美術だけでなく賢く、パク一家にもよく馴染むし、「金持ちに馴染んでいる
ダソンはモールス信号を理解する。後にギウも覚える。つまり、最地下との会話を諦めていない
彼らには格差による分断を持っていない。

が、同時に、一番正しくその間を行き来していたギジョンは、死んでしまう。擬装がなくても、もしかしたら将来成功したかもしれない彼女はいなくなる。ギウは「金持ちになって家を買う」という「計画」を立てるが、同時に流れている音楽には「547年」というタイトルがつけられている。ギウがあの家を買うのに働かなくてはいけない年数だと、インタビューで監督が明かしている。
この絶望的な現代に、「無謀な夢を持つ」以外の選択肢が若者に残されていない現実を憂うように、映画は終わっていく。

余りに救いが無い。ギウの無謀な夢が、叶わないだろう事を観客に想像させて終わらせるなんて。しかし、安易に彼に希望を与えた所で、現実逃避の物語で終わる。監督は観客にこの問題が解決した振りをさせない事で、メッセージに真剣さをもたらしている。

次回、最地下編は、シーン毎のメタファーと、あの謎について。

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