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WONDER SQUARE追加公演で生涯を誓っちゃった話

 平安時代の妻問婚は三度通って漸く結婚が成立したという。つまり初回だけでは結婚相手のなにもわからないということだ。現代のお見合いでも初回で成婚まで漕ぎ着ける例はそれほど一般的ではなく、基本的には何度か様子を見ながら本格的な「その後」へと積み重なっていく。

 自分がGENERATIONSのパフォーマンスを見たのはこれでちょうど3度目になる。初回がワライミライフェス、2回目がWS神戸最終日。そして今回、名古屋2日目がちょうど3回目になった。Amazonの履歴によると奇しくも「少年クロニクル」のBDを買ってからちょうど半年になるらしい。これだけ騒いでいるのにまだ3度目だった。自分でもちょっと意外な気がする。それだけ濃い密度で日々を過ごしているということかもしれないし、記憶すら捏造するくらい熱狂しているのかもしれない。否定はしない。
 初回は「生で見れてる! そこにいる!」という衝撃と、とりあえず知ってる曲でノれたという事実だけで幸福だったし、楽しかった、いい思いをしたということでそのままもっと彼らのことが好きになった。2回目は単独公演で3時間近くそのパフォーマンスを堪能したため、ほぼ致死量のエモと芸術性と完成された輝きに触れてそれ以上ないと思っていた沼の更なる深みに足を取られてしまった。3回目はどうか。

 本来なら行けなかったところを偶然行けるようになってしまい、飛びつくように遠征した名古屋。毎回自分が名古屋に行くときは何某かのライブかコンサートの機会に乗じており、手羽先を貪りながら「今日のライブ最高でしたね!」と誰かに言いたくて仕方ない。今回も優しいフォロワーさんと同席が叶い、案の定手羽先を齧りながらジェネのパフォーマンスの素晴らしさを語らい、普段リアコじゃないけど良介さん(※怪談 満月蛤坂)とは結婚したいというフォロワーさんの意見に完全同意していた。やたら油が乗っていてうまいホッケの開きに海鮮が好きな推しのことを思い出しつつ、普段なら飲まないペースでカクテルをチャンポンしてホテルに戻ってから頭痛で死にかけた。そうした諸々を経てなお言いたいことがあるらしい。理性を吹っ飛ばしてもオタクはオタクである。ここで言語化を怠ってはいけないと本能的な危機感が募っている。

 前回のライブは最高だった。忘れもしない神戸3日目、6/26の話だ。だがその完成形を敢えて崩し、追加公演はセットリストを一部変えると言う。セットリストを変えるということは削られる曲があるということだ。どれを削るんだ…? 率直に言って削れる曲は一曲たりともないように思えた。ただ新曲をやらないライブというのも不自然だ。WONDER SQUARE本公演の頃にはまだ「チカラノカギリ」はリリースされていなかった。であれば「チカラノカギリ」はおそらく盛り込まれるだろう。ロックチューン被りで「Unchalned world」が代わりに消されたらどうしようと本気で悩んだ。結局それは杞憂に終わったが、削られた楽曲の中では「You&I」の削減が地味にショックでもあった。考えようによっては、世の中の変化と共にもうあの曲はひとつの役目を終えたのかもしれない。ただあのポーズはコレオの一環として「Love is?」に盛り込まれており、根底のテーマとしての持続を感じる。
 そういうわけで期待の方が当然高まっていたのだが、いささかの危惧もないではなかった。ただ、公演を終えて思うのは、本質的に「完成」などないということと、「完成」を設けない作り手としての矜持が好きだということだ。そして完成した完全なものだと思っていた本公演すらまだまだこんなもんじゃねえからと言われたような気分になった。その引き出しの多さ、パフォーマンスへの信頼と自負がGENERATIONSであるという気もする。彼らをリアルタイムに追えるのは僥倖である。仕事ぶりに触れるたびにその思いを毎回新たにさせられる。

 個人的に、前回の公演で最も印象に残ったのは「Love You More」のアレンジとコレオだった。良すぎて円盤化されたらそこばっか聴くわと思ったし、数原さんのファーストテイク音源を聴きながら片寄さんの歌声を幻聴したり、目の前で踊っていたスーツの中務さんを幻視したりした。トんでる。
 そこでの印象が強すぎて一部記憶を失っていたのかもしれないが、最も自分に強い印象を残した5曲のパフォーマンスについて、忘れないうちに思いついたことを明記しておきたい。全て言うまでもなく素晴らしかったのだが、とりわけこの5曲から楽曲以上の何かを感じ取ってしまったことまで含めて記録しておかないと、この感情の行き場はどこにもないまま消えてしまう。それは惜しい。

Lonely
 題字が印字で示される演出は元から好きなんですが、前回言及しそびれていたので…ステージ上部から垂れ下がって伸びてくるマイク、なかなかあの手の演出を舞台装置で見ない。ステージの造形(センターステージ)も相俟って水槽のよう。海底を模したような青い照明も良い。Cyber Agent LegitとやってたKing Gnuの「泡」を思い出す。疑似的な海底で舞うパフォーマーたちと、まるで酸素チューブのようにも無線のようにも見えるマイクを引っ張って必死に歌うボーカル。この図式を考えたのは誰ですか? 金一封包む。この舞台装置にはGENERATIONSのアーティスティックな美しさが最もよく映えているし、一曲だけのためにこんな大掛かりな寸劇とマイク設備を整える頭のおかしさ(※全力で褒めています)が好きだ。聞いたところによるとLDHにはTEAM GENESISという舞台演出専門の部署があってそこがステージ演出を担っているそうだが、これもその方々の仕事なんだろうか。あまりのクリエイティビティの高さにびっくりする。まちがいなく日本のショービジネスの最先端を行ってるのでは。これは現場に行かなければ体感できない極上のエンタテイメントと言うほかない。
 Lonelyという楽曲の語る孤独は喪失の孤独であり、あったはずのものが失われたことに対する孤独だと思う。「lonely」自体の訳語としては、孤独のみならずそれに付随する寂しさや心細さまで内包するし、人里離れた場所そのものの形容にも用いられる。リリックビデオの薄暗い部屋、鈍色の海、回想、そして歌詞のすべてに通じる形容であり感情。楽曲全体に通底する一語を、誰もが理解できる、普遍的な単語に落とし込んだ作者の言語感覚の確かさ、作りたいものの明白さに鬼気迫るものを感じる。コンポーザー、ソングライター、楽曲プロデューサーとしての白濱亜嵐さんの描く孤独の表象は、押し付けがましくなく自己憐憫に満ちたものでもなく、あくまで俯瞰し、冷淡でありながら熱っぽく、愛に満ちたものだと思う。その楽曲表現を、本人が自らも含め愛するチームで演じる奇跡に立ち会えたことはなによりも価値がある。表現の過程、引き出しの多さ、そしてその選定の適切さという点においてこれはもう神がかりという他ない。人間の肉体には限界があるため、もしこうした営みを彼らが永遠に続けることが出来ないとしても、この瞬間の表現は永遠だと思った。それくらいの名演である。
 あと、今回これを天井席(また天井だった)から見ながら、センターステージの照明がネオンライトにちょっとだけ似ていて、海底のようで水槽のようだったステージがクラブのように見えた。間接的にだけど、亜嵐さんのクラブ愛が少しだけ垣間見えた気がした。

TIME SLIP LOVE
 曲調が好きでずっと聴いていたけど、会場では歌詞がモニタ表示されたのでずっとモニタを見ながら聴いていた。そしてこの曲は、音楽そのものに対するラブソングなのだと理解した。音楽を聴いて大人になったものならば誰でもわかるだろうと言わんばかりのはちきれんほどの愛。GENERATIONSのメンバーは皆、EXILEに憧れたりEXPGに通ったり、はたまたもっと根源的なストリートカルチャーやダンスの歴史そのものを愛していたり、音楽そのものへの傾倒があったり、個人の嗜好が仕事につながったりと人生の傍らにいつも音楽があって、それは僭越ながら(程度は違うにせよ)自分も同じかもしれない。多かれ少なかれ他の観客も皆そうだと思う。音楽コンサートに1万円以上払って集まってきた人たちだ。どんな生き方、どんな経験があるかはそれぞれだが、今こうしてこの場に集って同じ音楽を聴いている。このあたりは佐野さんが昔、少年クロニクルのツアーでマイクに向かって叫んだ言葉に近いかもしれない。この娯楽が多様化した世界で同じものを見ていられる、聴いていられる幸福は掛け替えがないし、10年後この瞬間を思い出すことだってあるはずだ。そのとき何を思うか、そのとき今のことを思い出せるか。思い出す装置として音楽で疑似的にタイムスリップしている。感情のタイムトラベル。なんとも粋な舞台設定である。
 この曲をGENERATIONSの、EXILEに憧れてボーカリストになったふたりのボーカルが歌う意味を考えて胸が熱くなる。そしてデビュー10年目のグループが10年前を思い返すような、逆に10年後を想起するような楽曲をパフォーマンスする価値に想いを馳せる。あの瞬間をきっと我々は10年経っても覚えているだろう。

PIERROT
 この曲のMVはきっとファンなら誰もが大好きなんじゃないかと思っているし、自分は完全に「PIERROT」と「ALL FOR YOU」で沼落ちの最後のひと押しを食らった人間なので、いつかパフォーマンスを見たいと思いつつ「少年クロニクル」ではセトリに入ってなかったので定番ではないのか…と気落ちしていたのだが、まさかこのツアーの序盤でかまされるとは思ってもみなかった。しかもアクロバットまで込みで…
 難度の高い振りはもちろんのことながらフォーメーションの巧みさが目を奪う。GENERATIONSは個が強い集団でありながら、その能力の高さゆえに個が不調和の形ではぶつかり合わない集団であるというのを嫌というほど思い知らされる。そのプレゼンテーションにこの曲のパフォーマンスは納得しか生まない。フォーメーションチェンジまで演出に組み込むというと本公演の「You&I」の鮮やかさが顕著だったが、今回追加された「チカラノカギリ」も言わずもがなで、7人というメンバーの在り方が遺憾無く発揮されていて素晴らしい。それを最序盤で観客に「わからせて」いる。そのための「PIERROT」かもしれない。自分がわからされたからって嬉しそうに何を言ってんだという気持ちだが。直前の「Unchained World」でボーカルのパフォーマンススキルをわからせた挙句の「PIERROT」なので、観客は言葉もないままにGENERATIONSのスキルの高さを思い知る羽目になる。笑いに走りがち、体を張りがち、ボケに命賭けがちのGENERATIONSが、日本でも有数の卓越したスキルを持つダンスボーカルユニットだと思い知らされるのである。つよい。
 YouTubeではUNITED JOURNEYの「PIERROT」が公開されており、こちらも映像から舞台設定から作り込まれていて物語性を感じる。ただもちろんあの当時から5歳近く歳をとっているGENERATIONSの諸々の巧みさは、当然のことながらWONDER SQUAREならではである。「PIERROT」がセトリに復活して良かった。ちなみにこの記事を書いている頃、シルク・ド・ソレイユの公式サポーター就任が発表されたわけだが、GENERATIONSのモチーフのひとつに長らく据えられ続けた「道化、サーカス、変幻自在」の文言が伏線回収されたような気分で謎の達成感を覚えている。普通怪盗団のマークにピエロは使わんのよ。GENERATIONSがバラエティに強い(バラエティに特化しようと努力した)のは、そういうグループのテーマ設定も関与しているのかもしれない。という意味ではこの曲はグループアンセムでもあるのかもしれないし、今後もぜひツアーのたびに新規をわからせ続けてやってほしい。

運命
 本公演でPKCZの新曲「もういいじゃん」をやってくれたので、ソロ新曲の「運命」も絶対あるし、そしたらソロのほうの「Beautiful Sunset」もあるじゃんとある種の確信を抱いていたのだが、実際目の前で見るとなんとも言えないエモでじーんとなった。ドラマはままならない運命に抗おうとする元人間の青年、その挿入歌として用いられた楽曲が「運命」とは皮肉な命名ではあるものの、この曲がまた絶妙に片寄さんの音域に合致していてオリジナル楽曲としての説得力が強い。シンガーソングライターが自分の音域に合わない曲を作ることはまずない。
 片寄さんの歌声を聞くたびに思うんだけど、想定よりも何段階か低い声が美しく響くので、得意な音域が低めなのだと思う。甘いマスクで甘い声で、一番美しく響く音はTRIBEの中でも随一の低さ。ボーカリストとしての片寄涼太が持つ引き出しの多さは図り知れない。ロングトーンも美しいし、彼の声を聞いていると人間の声に一番近いのはヴィオラの音色、という言説を思い出してしまう。弦楽器のような声でアリーナを満たす、その贅沢さで人を満足させてくれる。今回のステージプランでは花道の端で階段を踏み締めるところがあるのだけど、それは志半ばでその途上を絶たれた七瀬が天へ歩み出す過程のようにも見えるし、ボーカリストとしての片寄さんが更に高みへ登ろうとする姿勢のようにも見える。いずれにせよあのステージの端に、GENERATIONSとして舞台に立つ一端に、片寄さん個人の歩む姿を描き出す演出が小憎い。メンバーは個の集合体であり、同時にグループの一員として個人の活躍が輝くというメッセージ性すら感じた。ボーカル双方にソロを熱望する声がファンから上がっているのはよく知っているし、それがいずれ実現するであろうこと(LDHはソロ活動に対してかなり積極的に見える)もわかっているのだけど、こうして誰も欠けることなくグループで音楽活動が続いていることの掛け替えのなさ、ソロパートだからこそのグループの尊さを感じる演出には惜しみない賛辞を送りたい。
 また、この曲に関しては本番30分前にも聴くくらい小森さんが好きだと語っていて、そういうところもまたなんというか素晴らしく良い。小森さんのメンバー愛に関してはとみに話題になることが多くなったような気がするが、ふっと話題になるあたり心からの本音という感があって良い。そんな小森さんの番組であるSCHOOL OF LOCKにて作者と演者が邂逅を遂げ、感謝を述べ合った美しい前日譚も含め、この会場で目の当たりにしたことが忘れられない楽曲となった。

SUPER SHINE
 ダメ押しは先述の2曲だったものの、そのさらに前段階としてのハマるきっかけは「Make Me Better」と「SUPER SHINE」のMVだったため、私の中でGENERATIONSといえばこの2曲のイメージが強い。特に「SUPER SHINE」は原曲の方を元々知っていてここに至っているので、カヴァー曲なのにここまでの個性と素晴らしさを打ち出してくるのが凄まじい。しかも「Red Carpet」からの流れの中に定義づけられるのが華やかで上質で、どことなく余裕を感じて、若さと勢いだけでどうにかなる性質のものではない大人の試みという感じがする。
 GENERATIONSは各所で言われる通りLDHっぽくないのだろうが、ここぞというところの色気がものすごくEXILEっぽいなーと思う。それこそデビューから数年のEXILEはストリートカルチャーの色が強いように感じたし、そのストリートっぽい、アングラで洋楽っぽい色味が現行TRIBEの中でいちばん強いメンバーなのではないかと思う。「SUPER SHINE」は楽曲としてもいわゆるJ-POP的アプローチからは距離のある楽曲だと思っていて、メロの構成やリリックの刻み方が洋楽のR&Bっぽい。R&Bというジャンルはジャズと同様に20年や30年では全く古臭くならないのが特徴で、その証拠と言えるかは謎だが、ゼロ年代のヒット曲の一部は今そのままのアレンジで世にリリースしてもそのままヒットする。この現象は先般、iScreamがMISIAの「つつみこむように…」をリリースしてYouTubeでダブルミリオン万再生を記録したり、CHEMISTRYのリマスター音源が話題になったりしたことなどからも明白である。歌は世につれ世は歌につれというが、このジャンルについては必ずしもそうではないらしい。流行り廃りで言うなら昨今は推しに推されぬシティポップブームの渦中にあり、80年代の日本の音楽シーンがリバイバル人気を誇っているが、90年代までは掘り起こされて将来若者に持て囃されることがあれど、ゼロ年代に関してはそうでもないのではないかと思う。既に普遍だからだ。その普遍を構成する一要素にもちろんEXILEが位置し、それをベースメントに育ったGENERATIONSが後継として位置付けられるのではないかと思う。「SUPER SHINE」カヴァーのアプローチを聴きながら、自分の中でのこの仮説が強みを帯びてくる。
 ライブの話に戻ると、このパートに必ずPKCZが帯同するのが面白い。オリジナルメンバーのMAKIDAIをダンスメンバーとして引っ張り出すのもGENERATIONSにしか出来ないことという気がするし、そこのパートだけオリジナルのコレオで踊るのもMVでもやっているとはいえ深い。カヴァーのコレオを担当した中務さんが嬉々として原曲の振りを踊るとき、隣のMAKIDAIさんを見ながら破顔するのが眩しい。
 かつてZOOの Choo Choo TrainをオリジナルメンバーのHIRO擁するEXILE、Zooのファンだったダンサーが中心として踊った故事を踏襲するように、単独ツアーに帯同するオリジナルメンバーがその瞬間だけパフォーマーに戻り、彼らを尊敬する後輩とともにステップを踏む。これこそが歴史であり、継承であり、音楽の縦軸の力だと言えるだろう。先述の「TIME SLIP LOVE」のテーマ性とも重複する。もしかしたらあの楽曲も10年後にはLIL LEAGUEあたりにカヴァーされて、DJ ALANがブースから駆り出されて少し気まずそうに踊ったりするのかもしれない。そんな寂しいながらもありそうな将来のことを思った。

 ここまで書いてきて今更の感もあるが、GENERATIONSのライブは実に生々しくいきているため、行くたびにおそらく印象が変わり、違うことを言っていると思う。ただ名古屋で感じたことを頑張って言語化していると3日経ち4日経ち、そうこうしている間に啓司さんのラストステージが終わった。ケンチさんの誕生日もすぐそこである。まずい。ということで一旦、9月の所感を終えておきたい。10月は広島に参加予定だが、広島の経験も経て何かまた変わるかもしれないし、新しい気づきがあるかもしれない。先のことはわからないから、細かく記録して変化を見て取るしかない。
 GENERATIONSの10年は、10年目に出会った自分にこれだけの情報量で思考を与えてくれた。これからの10年、ともすれば20年、どこかのバンドのように30年と歩む中で、何かの思考を重ねたいものである。大器晩成で長いことやるチーム、と占いで言われていたことはおそらく嘘ではないだろうし、20年後まで楽しみだな〜と思うようなライブだった。

 以上、3回目で結婚を意識したブログこと、三日夜の餅を貪る記事でした。一度好きになったら長いのでおそらくジェネのことを生涯追っかけます。おわり。

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