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「恋はDeepに」陸と海の交わるところ。

 ラブコメはどちらかというと苦手ジャンルにあたる。

 ラブロマンスとコメディは相性が良い。しかし自分の好きなラブロマンスと、自分の好きなコメディのノリが絶望的に合致しない。なので、次回作は連ドラでラブコメと言われたときに結構動揺したのも事実。ちょうど情報のリリースと彼の方に興味を持った時期がかぶっていたので、この人ラブコメやったことないのか?! と動揺したりもした。調べてみればたしかに。いつも泣いてんな…幸せな恋愛が(作中で)できてない。してや。

 ご本人曰くの雰囲気がR15というのは諸説あるが、綾野さんの魅力がややR15、少女の初恋より淑女の慕情をかき立てる、というのはすこしわかる。これは通じる人にだけ通じてほしいのだけど、綾野さんが演じる(生きる)男性は、絶対に「本気で恋をしてはいけない」そこはかとない何かがある。
 たぶん幸せにしてくれない感じ。女と添い遂げることが至上の幸せではない感じ。せめて私が彼を幸せにしてやれないならこの世のどこか片隅で幸せにあってほしいと願ってしまう感じ。男が自分を幸せにしてくれるものと信じ切っている女とは決して相容れない、しあ…幸せにしてやりてぇ……! というある種の自立した、言うなれば不羈の女たちを惹きつけてやまない何かがあるような気がする。

 でもそれってさ。たぶんラブコメ的なものとあんま相性良くないんすよ。ラブコメってヒロインが相手役を振り回してなんぼじゃないですか。その絶妙な振り回し加減と愛嬌とドタバタした空気感が微笑ましい笑いを生むわけですよね。つまりヒロインにはキャラが立っていると同時に、ある程度の不安定さというか大人としての未熟さというか、なにせ自立とは違った要素が欠かせないものでもあるような気がするんですよ。であれば、「幸せにしてやりたい」モチベと縁遠い、つまり綾野剛という人の特性が介在するラブコメが着地するところって、ちゃんと帰結点に恋愛を据えられるんだろうか? もっと言うなら、綾野さんがこれまでの作品で積み重ねてきた「作品の枠に留まらない」パーソナリティ、綾野さんの役者としての持ち味のようなものをどうラブコメ媒体は活かすのか? ドラマは総合芸術である。役者だけでも脚本だけでも成立しない。もし脚本が、演出が、ラブコメの定石とお為ごかしに甘んじるなら役者の持ち味は死んでしまうのではないか。えっこれ大丈夫なんです? これほんとに大丈夫なんです?

 正直に言うなら、1話を見終えたあとの感想はそんな感じだった。なんか色々ツッコミどころも多かった。今見てもやっぱりあのパワハラ会議はいただけない。コンプライアンス研修してんのか? 正直に言い過ぎだが、1話放映後はけっこう落ち込んでいた。これこのノリに付き合うの結構キツいかもわからん。うーーーん。でも推しのかわいいのは見たいしな……とりあえず切るのはやめとくか。そんな感じだった。
 だから今こうして、最終回終わってほしくない水曜日終わんなずっとじっとしてろという気持ち(※書いてる今は水曜日の朝です)で過ごしているのは結構不思議だし、何があったんだと自分でも訊きたくなる。何もなかった。単純に、作品の見どころが自分の中ですとんと落ちたのだろう。
 転機となったのは2話のエレベーター事件。もうベタベタの展開だ。ベタベタではあるが、倫太郎の人間性を象徴するエピソードでもあった。このとき私は公式の「ツンデレ」たる形容が若干のミスリードであることを悟った。いや嘘は言ってないんだろうけどこのツンデレ具合だったらより正確なのは「クーデレ」だわ。クールだけどデレるときはデレ。ツンほどの攻撃性がない。やや冷たい印象はあったものの、世間にも彼女にもしっかりやさしい。つーか御曹司めちゃくちゃ良い人じゃん? 少なくとも万年筆ダーツの的にされるほど恨まれる男ではない。海音さんもデンパっぽいけどそもそもデンパ以前に人間初心者なのか。多分これはそういうことだな。人間社会浅いなら自立もクソもねえな! それまで勝手に想起していたラブコメの王道図式が瓦解していくのを感じた。それはエピソード的な面からの不信ではなく、演者のポテンシャルによるキャラの掘り下げが功を奏した結果といった方が適切かもしれない。
 ラブコメと銘打たれてはいるが、ラブコメのラブコメらしき側面は中盤から終盤にかけてなかなか薄まっているように見える。イチャイチャでホワホワした空気、他作品から引用するならキャッキャウフフのウフフってるようなそれが7話までがピークか。私は個人的に7話が一番好きなんですけど、7話の終わりから8話にかけてはめちゃくちゃ切ない展開、9話の予告もそういうノリ、なんせクルマに轢かれて治療室にいるからね。キスされてましたね。この作品はキスをなんだと思っているんでしょうか。でもたくさんかわいいキスをしていたのでよしとします。激甘。

 なんかここまで書いてきて全然褒めてへんやん何コイツと自分でも思ったので、ここからは僭越ながら見どころというか、自分が楽しむに際してすごく惹かれたところを説明したいと思います。
 これだけ言うなればビハインドの状態から何を根拠にここまで深くハマったか分析してみると、偏に出てくる人が(一部を除き)みんなめちゃくちゃ優しかったことが一番大きいのではないか。思えばそれは一番最初のインスタライブから顕著でした。二人で並んで、リアルタイムでコメントを拾ってくれるあれ。優しい。後輩のインスタライブに主演俳優が急遽緊急参戦してくれるあれ。優しい。思えば放映前からなんだかそういうあったかさを随所に感じました。そして放映後、てっきりロミジュリな感じで立場の違いから真っ向対立してバチバチやっていくのかと思いきや、割と4話くらいからお互いのこと大好きじゃん? 離れられなくなってるじゃん? それを周りも煽りつつあったかく見守るじゃん? なんか想像より遥かに優しい、マイルド。恋愛要素一つとっても、ギスギスぶつかりあったり取り合ったりしないんだ、ふーん…? これは予想外の、そして想定以上のヒーリング効果があるものでした。言うなればこの話における一番のファンタジーは、この途方もない登場人物たちの優しさ、あったかさ。いい大人が揃いも揃って大真面目に今日の利益より世界の幸せを願うような、そういう類のあったかさである。現実世界からかけ離れているのは人魚の海音さんではなく、慶応出てロンドン帰りなのに世間ズレしたところの一切ない純粋培養の光の御曹司・倫太郎でもなく、そう言う善玉の塊みたいな二人がのびのびと自分のしたいことに注力できる周囲の協力、仲間の包容力にあるのではないか。考えたら、恋のライバルになり得る要素は配役からしてもういくらでもあった。さとみ様に横恋慕する役が渡邉圭祐くんでも福山翔大くんでもよかったはずだ(そしたらまたお二方は綾野さんにどつかれるかもしれないけど…)大谷亮平さんは恋愛面では全然喧嘩しない感じだし、なんなら仕事一徹すぎて幼馴染の奥さんとも離婚するような絶食系経営者でいやらしいところがなくて良い。今田美桜ちゃんが倫太郎を誘惑したりしないのも良い。っていうかメインの二人より早くくっついてて微笑ましさが半端なかった。こういうのを癒やしって言うんすよ二人ともハチャメチャにいいこだし!!! と何度SNSを見ながら悶えたかわからない。
 いい人ばかりだ。いい人すぎる。悲しいかなそこが一番のファンタジーでもある。鴨居研究室には学生がほとんど出入りしてないし(おそらく普通だったらあの規模の研究室には学生がめちゃくちゃ出入りして「美人すぎる研究員」たちがなんらかのちょっかいを出される)、教授会は結構バチバチの個人情報を取り扱うので(進級判定や卒業資格の論議も挙げられる)外部はおろか教員以外の傍聴も結構きついと思う。というか染谷先生と椎木先生は教授准教授クラスなのであんたらは逆に参加しなきゃダメだろ!とか色々なことを考えるが無粋! 無粋なのでやめます! いいんだそんなことは。とにかく、出自も経歴も不明、健康保険にも加入してない、戸籍もない、本当どうやってそこに…? と思うくらいの外敵生命体を「海音さんは海音さん」と当たり前のように仲間扱いする、彼女の海への情熱は本物だと賛辞を惜しまない、この余裕とあったかさ、これは確かに「大人の」対応。大人のラブコメってそこにかかってたのか、と8話まで見終えた今、しみじみと毎週癒されていた事実を噛み締めている。蓮田トラストの方々もあったかかったな〜特に鶴! チャラの代名詞みたいなキャラクターでよくあそこまで友人としてサポートに徹してくれたと感動すら覚える。倫太郎は初期から鶴に対しては本当になんでも話していたので、実質的な恋の立役者は鶴と言っても過言ではない。
 そして何より、主演の二人の力が強かった。おそらく石原さとみと綾野剛という、何をやらせても最強な二人の共演だったからこそ、このドラマは形になった。下手なキャスティングをしたら企画書の段階で落ちてたかもしれない。

 石原さとみという人は昔から民放ドラマに出ていて、それこそ「Nsあおい」の頃から知ってるけど、「リッチマン プワウーマン」「5→9 私に恋したお坊さん」「失恋ショコラティエ」のラブコメ3作を欠かしては語れない。いずれの働きぶりも凄まじくよかった。時代を作ってきたヒロインなのだ。その一方で、「校閲ガール」「シン・ゴジラ」「アンナチュラル」とお仕事もの、ヒューマンドラマのヒロインとしてもこの上ない。本当になんでもできる人だ。
 自分はなんでもできる人に弱いので、このキャスティングを見た時はもう、どうにでもなるな、と思った。良い意味でも悪い意味でも。大事故も起こらないし、これ以外考えられない、もあまりない。現に、ドラマが始まってしばらくは「財閥の令嬢さとみ様と出身不明の海洋学者あやのごうの逆転ラブコメ」妄想をTLでよく見かけた。それもありだ。新進気鋭の海洋生物学者りんたろと彼に反発するバリキャリみお。ありだ。なんでもいける。なんでも違和感がない。だからこそ、ど王道の真正面、今時やるかという異類婚姻譚ベースのおとぎ話に落とし込んできた贅沢を私は買いたい。設定から見ればティーンズラブ、もしくはレディコミで浴びるほど見る設定である。御曹司と可愛いヒロイン。でもそのテンプレ王道を、役者の力で唯一無二の深みへ連れていく感が凄まじく良い。2話の倫太郎が見せた弱る海音への優しさは、権力者男性が美しい女性を手に入れるべく画策する性根の汚さとは明らかに一線を画しているし、それは頭をぶつけた海音を助けようと必死で介抱した姿であったり、サメの着ぐるみを着て子どもの前で全力を尽くす箇所にもふんだんに現れている。今までよく無事だったなと言いたくなるくらい、善性に溢れている。そんな彼が地上で一番、世界で一番愛した人が、海音という人間すら超越した愛の概念そのものであることには納得しかない。ラブストーリーはいつもそうだが、ラブの結果を重んじるあまり過程の部分をすっ飛ばすことがままあって、ややこしい関係性厨の私はそこに理由を求めたがる面倒臭さがあったりするのだけど、倫太郎と海音に関していうならその「なんで」はもう、訊くだけ愚かだとしか思わない。愛の概念が一段深いところにある。駆け引きとか、近くにいたとか、そういうレベルですらない運命の恋。運命は必然で偶然。海を愛するものと、そんな彼女を愛したひとの思いがどう行き着くのか、どう結末を迎えるのか、どうか幸せであってくれと祈るばかりである。
 ここまで書いていて思った。倫太郎は、これまでの綾野さんのキャラクターの中で一番、「誰かと一緒に幸せにならなきゃいけない」人だ。山本(ヤクザと家族)の選択も、佐藤(そこのみにて光輝く)の葛藤も、伊吹(MIU404)の翳りも違う色を孕んでいた。だが倫太郎は一人で幸せになれる人ではない。一人で掴む幸せは、もはや今の倫太郎にとって最上の、最高の幸せではない。知ってしまった愛を無かったことにはできない。そういう意味では映画版の名越(ホムンクルス)とはちょっと近いのかもしれない。
 役者の持ち味どころか、新たな持ち味の引き出しをここにきて開けてきた。だから綾野剛のファンはやめられない。綾野剛という役者の仕事を追わずにはいられない。幸せすぎるんだよな…
 あと12時間を切った。やばい。何がどうやばいのかわからないけどやばい。これから仕事をしなければならないのもやばい。

 あとこれは完結後に言おうと思ってたんだけど、「みお」っていい名前ですよね。澪標の澪でもあり、三保の松原の音ともなんとなく被る。三保の松原には天女伝説もあって、天女伝説は日本の異類婚姻譚のはしりというか、「人魚」よりも歴史的には古いものがあり、話の筋書きはどこか似ている。愛した人を残して帰ろうとするあたりとか。
 水平線のどこかで海と空は混じり合う。空と海ですら混じり合うのなら、陸と海はもっと混じり合っていい。波打ち際で、それこそ渚でもいい。あるいは、海中展望タワーのガラス越しでもいい。なんなら蓮田トラストの死力を結集して、海水を引き込んで自宅にプールを作って、人魚のまま海音さんが倫太郎さんと末長く一緒に暮らしてもいい。どうにかして、彼らの望む最上を手に入れられる結末であることを願ってやまない。脚本家氏のこれまでの実績だとハピエン率が高そうなのでそこは期待したいと思います。

 頼むから私に一ヶ月で2度もヒロインが水へ還るラストを見せないでほしい。。。。。
(↓参照。でもこれはベストエンドだった。ハッピーではないがベスト)

 例によってリアタイできないのでTL各位、実況任せます。よろしくお願いします。
 最終回見たら追記します。


(6/11追記 ガッキーツダケン誕生日おめでと)

 最終回ちゃうんかーーーーい。

 いやうれしい悲鳴ではあったけどこれで終わるもんとばかり思ってたから追加エピソード嬉しい。例えるならギャルゲー攻略したあとにギャラリーから見られるアフターストーリーが解禁される感じ(オタクにしか通じない例えをするな)

 最近多いですよね、スペシャル版で補完したり配信限定撮ったり。でも制作の労力的にはナンバリングされてる本編となんら変わりないはずなので、キャスト及びスタッフの方には感謝しかないですありがとう。
 いや確かに「急に3年後…」は気になりますよ。その間を埋めてもらえるのは贅沢! 下手したら本編物語の空白を埋める過去編なんて4年とか5年とか普通に待たされますからね。1週間で出してくれるなんて太っ腹だなあ。
 34さいだったりんたろが37になって髪黒くして海辺のペンション経営者やっててそのへんの子どもに「りんたろう」呼びされてるの超可愛かった。ツレか?

 上記感想は最終回もとい最深回目前に書いたやつなので色々好き勝手言うてますが、いやほんと海に帰してからなお彼女を感じようと思ったら近所に住むしかないよな。
 私も必死にどういうオーラスが一番エモいか考えてたんですが、倫太郎が人間のまま死にもしないなら入江で逢引するのがいちばんいい…その際彼女は声を発することができるのだろうか、とか、深いところに住んでるなら水圧の違いはどうカバーするのだろうか、とか、そういうのは無粋なので考慮しないことにする。
 エモのためなら水底に引き込んでもいいけどそれはややビターエンドなのでちょっとね〜周りのみんながみんな幸せなエンドであってほしい。恋ぷにだから。
 考えたらエモと幸せは上手いこと両立してくれないみたいです。でもエモを犠牲にしてでも幸せになってほしい2人だって世の中にはいるんです。りんみおとか。りんみお。もう名前からしてかわいいな(存在がかわいい)

 最深回でよかったところおもしろかったところは多々あったんですが、やはりいちばんはクライマックスの思いを込めたキスシーン、実に25秒、数えた人もすごい。気持ちの乗った素敵なカットでした。2回追いかけたな。さすが倫太郎
 あの2人は作中で隣に並んでなにかを見るカットが多くて、おそらくそれは意図的なものだと思うんですが、水平線を眺められる時間は今だけ、波の音に耳を傾けられるのも今だけ、冷たい手を握れるのも今だけ、と思うと舞台装置としてこの上なくロマンチックではあった。
 目の前で消えてしまうのではなく、振り返るといなくなっている大事な存在。いなくなってから、そんな人この世のどこにもいなかったんじゃないの? と思えるような恋は、しかし往々にして心の最も重いところを占拠して、なかなかその場を譲ってくれないものでもある。控えめな朝の近い月明かりもよかったな。全体的に青みが強くてどことなく非現実的なのも良かった。朝でも夜でもないシークレットデイブレイク。この夜はまだ2人だけの秘密。あれ……まさか……(何もまさかではない)

 まあそういった別沼との個人的シンクロ要素もあり結構好きだったな、というのが本編通しての感想です。でも多分、来週見たらかなり印象が変わるんだろうなあ。楽しみだなあ。来週見たら再び追記します。追々記です。幸せになれよ!!!!!!!!

(6/16追々記)

 ということで本当の最終回、特別編の視聴を終えた皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 ハッピーラブコメには大団円が基本。より深く、より濃い幸福の結末を見届けられて我々も感無量です。いやいや、あの2人は絶対、絶対に一緒にいなくちゃダメなんですよ。最後の抱擁のシーン、おっラブで見せた美しい抱擁に定評のある脚本さん、さすがでした。そうこなくちゃだわ。

 筋書きに関して意外性を狙うというより、ど定番をとことん踏襲していく、なんなら綾野剛のファンをニヤッとさせることに注力していく、清々しさが途中から妙にクセになっていました笑。
 なので最終回のラストシーン、あの画面の美しさに言及しておきたい。

 ヴィーナスの誕生(サンドロ・ボッティチェリ)だな

 濡れた髪、透け感のある飾り気のないドレス、裸足で踏み出す陸…
 ゼピュロス(西風、情熱のメタファ)に吹かれて、おそらくあの星ヶ浜は月の傾きからして西向きの海なんだけど、岸に寄せられて大人の姿で誕生する美の女神そのものだった。季節の女神(=藍花ちゃん)に祝福されて抱き止められるのもそうだし、周囲の祝福も「プリマヴェーラ」そのものじゃん。と意外な神話性の踏襲にはしゃいでしまった。とても良かったです。古典的モチーフは裏切らない。

 あとあと、綾野さんと海といえばヤ家の記憶が新鮮な我、愛を知って海へ還っていった男が、今回は海から帰ってきた愛そのものを抱きしめる展開に思わず泣いていた。違う存在だとわかっているけど、おそらくこのドラマを見ている層の半数は確実に「ヤクザと家族」を履修しているわけで、制作サイドの気合の入ったファンサービスぶりに拍手、花束を贈りたい気持ち。
 ありがとうございます。
 夜の海に佇む姿も美しかった。夜の海には人智を超えた何かがあるから、奇跡が起こるとしたらこうした積み重ねなのだろうな。

 人の捨てたペットボトルを集めていた孤独な人魚が、持ち帰れる海の片鱗としてひとつずつ、貝殻を集めて恋人の手元に贈り届ける健気さも愛らしかったです。
 最高だったな。
 もうほんと、数年ぶりにファンタジーを満喫しました。ありがとう。

 今度こそ最後の追記になると思うけど、何かしら展開があったらおそらくなんかしら買ったり騒いだりすると思う。

 「信じていれば必ずまた会える」

 それではまた、よろしくどうぞ。

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