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インドからの絵葉書は何処へいったのか?

通販で買った洋服が、埼玉を出発して、何故か札幌まで旅して、さっき、宮城県の私の元に届いた。
何がどうして、そうなったのか。到着予定日を過ぎても届かないので、サービスセンターに問い合わせたところ、誤配だったと言う。
住所も郵便番号も、間違えてはいなかったんだけどな。

なんで?なんで?なんで?
なんで?が、グルグルと渦を巻いてアタマから離れないので、洋服達が、ちょっと旅してみたくなったのだろうと思うことにした。

札幌の時計台や青森県の十和田湖は、きれいだったろうか。

昨今、日本にいる限り、「モノや手紙が届かない」という状況には、そうそうならない。後追いが出来るシステムがしっかりしているからだ。

が、海外から送られるとなると、ちょっと状況が違ってくる。
10年前となると、さらに違う。
10年前の春、仲良くしていた友人あっこりんからの葉書が行方不明になった。

まず、メールが届いた。

「今、インドです。ガンジス川の絵葉書を出しました。楽しみに待っていてくださいね〜☆」 

ほほう〜。

インドかあ。
呼ばれないと行けない場所。と、聞いたことがある。
あっこりんは、インドに呼ばれたんだなあ。

あっこりんとは、留学先のロンドンで出会った。殆ど毎日一緒にご飯を食べた。あっこりんは、アタマが良くて成績も良くて、ロンドンの会計事務所に就職した。私は、卒業後、色々あって、イギリスからところてんみたいに押し出されるようにして、日本に戻ってきた。あっこりんは、その後、働いていた会計事務所の日本支社に転勤になり、日本人の男性と結婚した。

メールには、ガンジス川で沐浴した。と、書かれている。多分、一生、私はインドには呼ばれないだろう。カレーは大好きだけど、心が汚れまくっているから、神聖な国には足を踏み入れてはいけない気がします。

産湯をつかう場所と、遺灰をまく場所とを同じ川で行うという国。生と死の境い目が、日本とは全く違う気がする。インドという国からの絵葉書を私は楽しみに待っていた。

しかし、待てどくらせど、届かない。
帰国したあっこりんから、届きましたかー?という問い合わせが来たけど、ごめんね、まだみたい。と、返すしかなかった。

そうこうするうち、あっこりんからの返信も来なくなった。

ありゃ?やばい?怒ってる?
どうひっくり返ってもたどり着けないインドという国から送ってくれた絵葉書なのに、後追いもせずに、ぐうたらしているから、怒ってる?

そう思って、本気出して調べることにした。

まず、近所の郵便局に問い合わせ、私宛ての葉書が住所不明で配達されずに保留にされていないか。

いなかった。

万が一、差出人の住所が葉書に書かれていたら、あっこりんの住む横浜市の郵便局に届いているなんてことはないか。

なかった。

焦る。

ごめんね、あっこりん。
私のせいじゃないとは思うんだけど、こういうのって、運の悪い私のせいのような気がして、本当に申し訳なくて。

ひたすら謝りのメールを送った。 

それでも、あっこりんからの返事は来ない。

4月が過ぎて、世の中はゴールデンウィークと言うキンキラキンの5月に入った頃、あっこりんから一ケ月半ぶりの連絡が来た。

「お久しぶりです。入院しています」

え〜⁉️

「沢山、メールいただいていましたね。ごめんなさい。ずっと意識不明で眠っていました」

なぬ〜⁉️

4月の上旬、あっこりんは、突然、高熱を出し入院したという。入院したところまで覚えていて、目が覚めたら、一ヶ月過ぎてしまっていたらしい。

どきりとする病名だった。
連絡のない理由が、インドからの葉書のことだと考えていた自分が恥ずかしくなった。
が、医学は進歩し、今や治せる病気であること。
病名の性質上、出来れば、お見舞いは控えて欲しいこと。 
元気になったら、一緒に千疋屋のフルーツパフェを食べに行きたいとのこと。

以上、みっつのことが、冷静にかつ簡潔に書かれていた。

こちらからは、お見舞いは、控えること。
早く良くなるよう祈っていること。
千疋屋の一番高いパフェを調べておくこと。

と、みっつの返事をメールで送った。 

それからは、あっこりんから何度もメールがきた。
昼ごはんにスイカが出たこと。旦那さんは毎日のように来てくれているということ。無菌室に入るので、少しの間、メールができなくなるということ。治療は順調に進んでいて、もうじき退院できるということ。

私に出会えて、嬉しかったということ。

7月に入ったある日、知らない番号からの電話が鳴った。

「あっこが亡くなりました」

声の主は、そう言った。
あっこりんの旦那様だった。

何を言われたのか理解出来なかった。

何を言っているんですか?!
何を言っているんですか?!
もうすぐ退院するって言ってましたよね?!

私の叫び声が、アパート中に響き渡っていた。

その度に旦那様は、

「はい。でも本当なんです」

と、繰り返した。

でも、本当なんです・・・

旦那様は、あっこりんの友達の数だけ、同じセリフを言ったのだろう。ご本人も辛いのに、私のように泣き叫ぶ女には、困り果てたことだろう。

お別れの日、私は喪服を着て行かなかった。
どうしても信じられなくて、あっこりんも、ウソだよ!って言ってくれる気がして、喪服なんて選んだら、叱られそうな気がして、限りなく黒に近い紺色のワンピースを着て行ってしまった。

私は、どうかしていたんだと思う。


あれから10年が経つ。

あの頃住んでいたアパートから、2度も引っ越した。
優秀な日本の郵便局であっても、10年後の住所まで辿りついてくれるわけはない。

インドからの絵葉書は、いまだに何処を彷徨っている。

そこには、なんて書かれているんだろう。
あっこりんは、私に何を言おうとしていたのだろう。

私は今も、インドからの葉書を待っている。

お棺には、あっこりんが大好きだと言ってくれた曲のCDを入れさせてもらった。ジャケットが飛行機の写真のやつだ。

今もあっこりんは、飛行機に乗って世界中を旅してる。

そう、思うことにしている。

いつか、また会えたら、千疋屋の一番高いパフェは、クイーンストロベリーパフェだ🍓と教えてあげよう。
そして、私こそあっこりんに出会えてシアワセだったよ!と、いつまでも若いあっこりんをぎゅっと抱きしめようと思う。





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