誰かと入れ替わった父を見送った話。
昨日から始まった新ドラマ「天国と地獄〜サイコなふたり〜」をご覧になっただろうか?
めちゃくちゃ、面白かった。
主演の綾瀬はるかさん、高橋一生さんの演技が素晴らしいのはもとより、ふたりの中身が入れ替わるという設定に興味をそそられた。なにせ、このふたり、殺人事件の容疑者と、それを追う刑事。昨晩は、入れ替わったあたりで終了となった。来週からは、外見が刑事の綾瀬はるかが警視庁に行くことになる。中身は、犯人(高橋一生)なのに、犯人を追う捜査に参加することになる。
こわっ!
見るよ、来週も!再来週も!!
中身が入れ替わってしまうドラマや映画は、これまでもあった。新海誠監督の映画「君の名は」や、古いところでは、大林宣彦監督の映画「転校生」。尾美としのりさんと小林聡美さん主演。尾道が舞台のほんわかとした温かい雰囲気が素敵だった。
今回は容疑者と刑事なので、ほんわかとした空気とは真逆の作品なのだが。
誰かが誰かと入れ替わったんじゃないか?と思ったことが、私の人生で一度だけある。
父だ。
父は一昨年、様々な病気を同時に併発して亡くなった。
当時、両親と姉は宮城に住み、私は東京に住んでいた。ある日、姉から電話あり、父が一日中、寝てばかりいて、トイレにしか起きてこないと言う。病院に連れていくように勧めたが、一向に聞き入れてくれないらしい。
父は、めちゃくちゃ、むずかしい人間だった。
人のアドバイスなんて聞くわけがない。
父とは、まともに会話をしたことがなかった。
会話にならないのだ。
父は、女・子供を見下し、ちいさなミスを見つけては、
「これだから女はダメなんだ」
というのが、口癖だった。
周りをとことん萎縮させ、最後には怒鳴り散らして会話を終了させる。妻や子供が今、何を考えているのか?などということには、一切、興味がないようだった。母は父が機嫌を損なわないよう、細かいところまで、気をくばり、常に父の世話をやいた。父は仕事は一日も休まないが、自分のこと、家のこと、何ひとつやらない人間だった。(やれないと言ったほうがいい)
母と姉と私は、いつも怯えて生きていた。家の中に、虎がいるような感じだった。酔うと虎は、更に暴れまくり、恐ろしい思いを何度もした。
特に最年少の私への扱いは、酷かった。少しでも反論しようものなら、ビンタが飛んできた。それも、往復で。何度も、何度も。
今、考えても何故叱られたのか、さっぱり覚えていない。そんなに素行の悪い子供だったんだろうか。
見たいテレビ番組があるから見せて欲しい。とか、大抵は、小さなことだったと思う。しかし、何を言っても、生意気だ!と、怒鳴られ、殴られる。
それを父と母は、躾だと言った。
次第に私は、自分はとことんダメな人間で、男性は何を話しても伝わらない生き物なのだと思うようになってしまった。
ああ、暗い話になってしまいました。すみません。
入れ替わりの話ですよね、入れ替わり。
一週間ほど、自宅で寝込んだ父は、結局、救急車で運ばれ、大学病院に入院した。
慌てて帰省したが、再会した父は、病室でこんこんと眠り続け、その身体にタマシイなど存在していないように見えた。このまま逝ってしまうのだろうか。
容疑は、、、ではなく、病名は、誤嚥性肺炎、心不全、そして、腎臓も弱っているようだった。
幸い、父は一週間ほどで、会話が出来るまで回復した。
一日に何度も検温や吸引に来る看護師さん達に、「ありがとう」「ありがとう」と何度も声を掛けた。
ありがとう?
それまで、父の口から、感謝の言葉を聞いたことがなかった。なにせ、虎なので、誰かが自分の世話をするのは、当たり前。という姿勢しか見たことがなかった。
「いつも、私達に『ありがとう』って言ってくださるんです。こちらこそ、ありがとうです!」
今日の担当の看護師さんが言う。
「だから、看護師の中でも、お父さんは人気者なんですよ。担当になると嬉しくて。今日、私はラッキーです!」
え?誰のことですか?なんですか、それ?
父は常に眉間に皺を寄せ、「苦虫を噛みつぶしたような顔」をしていた。入院してからの父は、顔が全く違う。時々、本当にこの人は、私の父だろうか?と思うことがあった。何か違和感があった。
こんなに人当たりの良い人間だったか?
大体、目が据わっていない。
そう、父は酔っているときは勿論だが、酔っていなくても何かが取り憑いたかのような目をすることがあった。スゥィッチが入ったように。
そういうときの父が怖かった。
大晦日になった。
父は初めて病室で年を越すことになるな、、、まあ、今年は仕方ないか。早く元気になって、少し遅いお正月を家で過ごそうね、、、などと、見舞いに来ていた母、姉と共に話していた。
「もう、行くのか?」
突然、父が私に話しかけてきた。
「まだ、行かないよ。面会時間、まだ大丈夫だから」
と、私が答えると、
「船に乗って、行くんだろう?あっちは寒いから、身体に気をつけろよ」
と言った。父は認知が進んでいた。私達が帰宅することを旅にでも出るような感じで捉えていたのだろう。
「どこへも行かないよ。まだいるから安心して」
聞こえているのか、いないのか。
「ひとりの生活は大変だろう。病気に気をつけろよ」
私が高校を卒業し、東京へ出た時の頃に戻っているのだろうか。実際には、電車だった。船には乗っていない。
続けて父は、驚きの言葉を発した。
「俺が家族を持てたことは、人生で一番素晴らしいことだった。お前達のことは宝物に思っている」
幻聴か?何を言い出すんだ。
「母さんは、とてもいい女です。良い妻をもらったと思う。ありがとう」
もう、何がなんだか分からなくなった。
いよいよ、危ないのかもしれない。
こんなセリフを父の口から聞くとは。
担当の医師は、危篤だとか、余命とか、そんな切羽詰まったことは何ひとつ、話してはいなかった。
頼む!今日だけはまだ逝かないでくれ!
元旦早々、お葬式はイヤなんだよ!と、心の中で叫びつつ、ボロボロと涙が止まらなくなった。
幸い、父は年を越せた。少しの間だったが、自力で食事を取ることも出来るようになり、退院の時期まで主治医と話し合う日もあった。
日に日に父の顔は、痩せていったが、表情は、すっきりしていった。まるで、本来は必要ではなかった鎧を、ひとつひとつ、脱ぎ捨てて行くようだった。
怖かったんだな。
父は、弱虫だったんだ。
弱い自分を認めるのがイヤで、自分よりも弱そうな人間を見つけて、こいつよりは強いぞ!と思いたくて、威張り散らしていたのかもしれない。
危篤、回復、危篤、回復を繰り返し、二ヶ月の入院のあと、父は亡くなった。
自分の弱さと戦い続けた一生だった。
父が亡くなったことは、確かに悲しい。
が、亡くなるかもしれない。と、怯えているときのほうが数倍、怖くて悲しかった。
四十九日が過ぎた頃、渋谷を歩いている時だった。
父がすうっと、あちらの世界へ完全に旅立っていった感じがした。この世に生を授けてくれたのは、父。
だから、父をあちらの世界へ送りだすのは、私の役目なんだ、と、腑に落ちた瞬間だった。
そして、もうひとつ、わかったことがある。
父は、一度、救急車の中で死んだのだ。
だが、最後の橋を渡る直前、神様かエンマ様に言われたのだ。
このまま、あの世に行ってしまっていいのか?と。
家族に、感謝の言葉も掛けたことのない人生だったな。最後に、もう一度だけ時間をやるから、家族に優しくしてから、橋を渡れ。
きっと、そう言われ、戻ってきたのだ。
姉にそのことを伝えると、さかんに同意してくれた。
「私も同じことを考えていたよ。病院に着いたとき、顔が全く違っていたもん。この人、だれ?って思ったよ」
やっぱりか。
神様、ありがとうございます。
最後の最後に、やっと、父のぬくもりに触れることが出来ました。父は、愛を求めていたのでしょう。誰からも愛されているという自覚のないまま、人生を歩んでしまったのでしょう。
二度と出会いたくないと思ってた父ですが、また出会ってもいいです。出会ってみたいです。どんな関係で出会うのか分かりませんが、努力したいと思います。その時は、今生よりも沢山の愛を注ぎ、安心させてやりたい。
危篤のときに、姉が言った言葉に、私は、ハッとしました。
「またね、お父さん。また会おうね」
慌てて、私も同じことを言いましたが、
負けたと思いました。
来世で再会するなら、虎と格闘する訓練をしておかなきゃな、と思います。