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改訂版 貴方は本当にレオナルド・ダ・ヴィンチを知っているか? その17

レオナルド・ダ・ヴィンチの思惑


 レオナルド・ダ・ヴィンチの立場から考えてみましょう。やはり彼は依頼主の要望を満足させる必要がありました。そもそも、彼は卓越した絵画の技量の持ち主であったからこそ、絵画の依頼があるわけです。彼の技術は世界最高水準であったことは当然の事です。現代の感覚で見てはいけないと私は思います。現代は自分の感覚を作品に現わすことが当たり前です。しかし、当時は許されることではなかったと思います。依頼者が満足する作品を制作することが最優先されたはずです。
 しかし、その表現の制約のある中でも、彼自身の考えを表現したかったのではないかと私は思います。普通の画家は単一の作品の中に、気付かれないように仕掛けを施すのですが、レオナルド・ダ・ヴィンチは違っていました。謎を解く鍵を別の絵画に仕込んだのだと思います。
 彼の天才的発想は、そこにこそあるのだと思います。当時の有名な画家たちは天才の集団です。卓越した技量と独自の表現力がなければ裕福な支配層からは絵画の制作依頼も無く見向きもされなかったのでしょう。
 だから私たちは彼らの絵画に魅了されるわけですが、私たちはいつ迄も魅了され続けているわけにはいかないのです。
 彼らは、今、私たちがデジタルカメラやスマホで撮るように、あらゆるものをスケッチ出来たのです。例えればチェスのチャンピョンが数百先の変化まで理解できる能力に似ているかもしれません。そこに私たちが挑んでも無駄なことです。それよりは彼らの頭の中の画像処理装置を理解すべきです。それならば私たちは彼らと近い感覚を得られます。
 なぜならば、現在私たちはコンピューターを扱えるようになったからです。コンピューターの画像処理を使えば彼らと似た様な感覚が得られるからです。逆に言えば彼らは500年後の能力を既に保有していたと言っても過言ではないと思います。それはあくまでも彼らの頭の中の特殊装置だったのです。それを補助した武器は透かせば反転する羊皮紙だったのかもしれません。だからこそ「アンギアーリの戦い」はあの様に描く必要があったのだと思うのです。

特にレオナルド・ダ・ヴィンチは反転させることが得意であり、脳内の画像処理能力が、ずば抜けて優れていたということだと思います。私はそこに彼の天才を感じるのです。

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