スウェーデン留学紀行#8 障害の社会モデルを考える

こんにちわわわわぁ〜👋(クロちゃん)

突然ですが皆さんは自分の特権について考えたことはありますか?

現代の日本社会において、男性であること、シスジェンダーであること、異性愛者であること、大卒であること、日本国籍を持っていること、大都市圏に住んでいること、健常者であることなどは特権であると言えると思います。他にもたくさんあると思いますが!

特権を簡単に言い換えると苦労なく生きていけるということだと思います。特権を持ってる人が過ごしやすいように社会が構築されているからです。

留学紀行の割に少し概念的で難しい話をしてしまいました…

もう少しお付き合いください。

障害について考える時、個人モデルという考え方と社会モデルという考え方があります。

個人モデルは障害を持つ人にフォーカスして、その障害を道具や技術で軽減したりなくしたりしていこうという考え方です。

一方社会モデルは社会にフォーカスして、特定の人にとって過ごしにくい社会、空間が障害であるから、社会からその障害物を取り除こうという考え方です。

(こちらソースなどはなく、私が以前履修していた授業で習ったことなどを元に自分で解釈して書いているものです。あまりあてにしないでください。)

そして私はこれらの考え方は障害の問題だけに当てはまらず、他の多くの特権的ではないことにも当てはまるのではないかと考えています。(例えば日本の婚姻制度は異性婚のみを認めていますが、同性愛の人が異性愛になって結婚できるようにするのが個人モデル。制度自体を改変して同性同士の婚姻も可能にするのが社会モデルというような感じで)

いよいよ本題に入ります!

私がスウェーデンに来て感じるのは私の背は小さめということです。

日本で過ごしてる分には特に困らずに生きていける161cmの私ですが、スウェーデンの人々は総合的に見るとかなり高身長の人が多いので私は小さめの部類に入ります。これはきっと遺伝子的なものの違いなのだと思います。

そして私が感じるのはスウェーデンは高身長の人々が過ごしやすい環境になっているということです。

私が住んでいる寮では上の方にある棚には手が届かないのでなにも収納できません。ドアに付いてる覗き穴も背伸びしてやっと見えるくらい。共用の洗濯場所は洗濯機の上に乾燥機が載っているのですが、乾燥機を操作するスクリーンも背伸びをしてギリギリ見える(足がつりそうになりながら)という感じです。

ちっちゃい人間が苦労する空間になっているのです。ここで私は障害の社会モデルを思い出しました。まさにこういうことか…!と。授業で習った概念を身を持って体感したのでした。

留学は日本で特権にびたびたに浸かりながらいい思いをしていた私がマイノリティの属性をもって過ごして特権についてもっと考えることができるいい機会だと思います。

今日は背の話だけでしたが、もちろん外国人であることやスウェーデン語が分からないことなどまだまだスウェーデンで暮らす上で不利に働いていることは沢山あります。それを経験するのとしないのとでは感じられることや見えることに大きな違いがあると思います。また、文章化できそうだったらこの辺のことについてもnoteに記したいと思っています!

ということで今日は背から障害の社会モデルについて考えた!でした。

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