2-0は危険な点差なのか。
おはようございます。
指導を20年もしているとありがたい事に、教え子がコーチになって戻ってきてくれることがあります。写真の彼も元教え子、今は中学生の監督を担当するほど立派な大人になりました。
「おい、しっかり走れ!、やる気をみせろ!、すぐにキレるな!」と選手に指導する彼。
走るトレーニングはいつも最後尾、うまくいかないとふてくされるし、選手交代にキレてコーチに文句を言った後、お母さんと泣きながら謝りに来た、中学生だった彼。
そんな彼は、MIBに過去の記憶を消してもらっているのかと思うほど、今日も厳しく指導をしています。(笑)
お知らせを1つさせてください。
4月より無双ARGENTINA C.F.のサポーターズコミュニティが始まります。その中では、普段書くことが出来ない無双ARGENTINA C.F.の失敗談や挑戦の仕掛け方、選手育成法についてなど、プロ2部昇格に挑戦していくストーリーを包み隠さず書いていく予定ですので、ご期待下さい!
さて今日は、「物の見方をかえてみることも大切」にしましょう。
「認知論」:
私たちは現実そのままを見ているのではなく、現実を自分で解釈したものを体験しているという考え方のことです。
要するに、世界の見え方を変えているのは自分自身。ということです。
サッカーで例えてみると、日本サッカー界では2点差で勝っている状況は、危険な点差だと言われています。
2-0で勝っている日本人監督の99%は、「いまは2-0で勝っているけど、油断するな、一番追いつかれやすい点差だからな」と選手達に伝えてたことがあるはず。僕も昔はそうでした。
そうすると2-0はヤバいと刷り込まれた選手・監督自身も、1点を返されると冷静さを欠き、ミスが増えて同点にされてしまいます。
現実は2-0でとても有利なのに、監督も選手も同点にされた経験が物の見え方を変えて、2-0はヤバいよ、ヤバいよというメンタルになっていきます。
でもアルゼンチンには、この考え方はなかったんですね。アルゼンチンでコーチを経験してはじめて知りました。
監督は、「2点も差がある、1点返されても大丈夫だから、余裕をもって戦ってこい」という伝え方を選手にします。
そうすると、選手は余裕をもって戦えるので、2-0が3-0になったり、4-0になったりする。たまに2-2の同点なることもあるけど、良いイメージがあるので同点になったことは気にしないメンタルになっていきます。
これが、「認知論」という物の見方の違いです。物事がうまくいく人と、そうでない人は、世界の見え方がまったく違う可能性が高いです。
なので、自分の世界の見方に気づいて、見方を変えることができたら、いろんなことがうまく回るようになっていくかもしれないですね。
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・無双ArgentinaC.F.は、アルゼンチンリーグに挑戦し、2026年2部昇格を目指しています。
・声で繋がるフットボールコミュニティ
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