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終戦75周年 平和と幸福祈念小説 【やまね雨】

太平洋戦争の実話をモデルにしました。
終戦75周年の節目に、今、コロナ・ショックで世界的に混乱した時代も迎えています。
過去と今の旅に招待します。きっと…いや、必ず!今に通じる物語と信じています。渾身で書き下ろしました。ぜひ読んで頂けたら嬉しいです😊

(約5万文字。読了見込時間は個人差考慮で40〜60分)

◆◆ 序章 1 ◆◆

「ともちゃん!またホラ!浜茄子ばっか見てないの!行くよ!学校遅れちゃうよ!」

六月ともなると浜辺へなだらかに続くその草原は、一面の浜茄子の花で埋め尽くされた。
毎朝、そのほとりの道を私達姉妹は通学に歩き続けた。が、その季節、幼かった私は何故かその浜茄子の花に惹かれ、学校へ行く時も帰り道も道草をした。
帰り道はまだ良かったろう。朝の登校時、姉の浩子はどれほど気を揉んでいた事か。
しかし私は、時が経つのも忘れて咲き誇る浜茄子の花畑の中にいた。特に何かしている訳ではない。花を摘むでもなく。ただ立ち尽くし、潮風が運ぶ芳潤な香りをすぐっていた。
そして先を行く姉の背が五十メートルも先に離れると、ようやく駆け出して後を追っていた。

「待って!ひろちゃーん!」

〜◆〜

母が還暦の年に「自叙伝を書く」と言い出して、書きかけの原稿はそこで止まったままだ。二十五年前の話だ。

待って、ひろちゃん??
…まったく。待っているのはこちらだ。これでは何の変哲もない、子供のただの朝の通学場面の一コマではないか。

だけど私は待っている。「待って、ひろちゃん」母のその続きを。

〜◆〜

母、朋子。彼女が還暦を迎えたあの年は忘れもしない一九九五年。二つの大きなニュースの衝撃が日本を駆け巡った。

阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件。

昔から活発な母は、この時、自分の中の何かスイッチが入ったように「自叙伝を書く」に至った訳だけど、書き出す前にもあれだけ周囲に吹聴したにもかかわらず、蓋を開ければこれだ。

「人生、速いし儚いのよ。こうして不条理に幕を下ろす事もあるの。だから一瞬一瞬、やりたい事を一生懸命やらなきゃ。もっと生きたかったのに、不条理に犠牲になった人の分までね。それを私は自叙伝で伝えてゆくのよ」

そう言っていた。

〜◆〜

若い時に今は亡き父と小さな自動車整備工場を興し、父が病死した後も多角的事業に女ながら精力的に展開してきた。
好奇心が向いた事は何でも手を出し、言い出した事は何事も実現してきた。子供の頃から挑戦意欲を持ち合わせる、そんな逞しい母を頼もしく見てきた。

後で知る事だけど、町で目をかけた若者にやりたい事があれば、とにかく支援したい性分だったらしい。
昔から口癖は「人生は速く儚い。やりたい事をやれ。その為に応援が必要なら私は出来る限りの応援をする」

そのせいで、バブルの頃に保証人になった若者の失敗で危ない橋を渡った事もある。
さらに遡る事、一九九〇年。私は当時二十五歳、母は五十五歳の計算だ。
若くして結婚に失敗し実家へ出戻った私を迎え入れるも、家に借金の取立てが押し寄せた時は寝耳に水。怯えていた記憶がある。
さすがにあの時は恐怖と母を恨む思いも湧いた。(今となっては過ぎた事だが)

あの難を救ってくれたのは、母より十二歳年上の伯母の美恵子おばさんだった。私も母も「みえちゃん」と呼んでいる。
母にとっても干支一回り分も歳が離れた姉となると、町の若者が母を慕ったように、そんな存在同様の「先輩」に思えたのかもしれない。
ただ「いいコンビの姉妹」私はそう思っていた。

みえちゃんは当時、国内でも数少ない和裁の専門学校を経営しており、たびたびメディアに取り上げられる事もあった。
いわゆる…「人生を成功させた」と言うにふさわしい、そんな部類の人種に私の目にも映っていた。
少なくとも、借金を背負った母の肩代わりが出来る程、裕福な資産を持っていた事は明白だった。

一度だけ、その返済問題が片付いた後に三人で面談をした事がある。まだ学生気分の抜け切れてない私を交えて。
やけにあの場面の印象が強く残っている。

「ともちゃん、もうこれに懲りて他人の保証人なんか安請け合いするのはやめてね。美樹ちゃん(私)に怖い思いさせちゃダメじゃない」

家に訪問したみえちゃんをリビングのソファに通すと、みえちゃんは腰を下ろし開口一番にそう言った。
私はみえちゃんにお茶を運んで差し出す。母はキッチンで茶菓子の用意をしながら言った。

「はいはい、次から気をつけますよ〜」

その声を聞いて不意に私は涙が溢れた。そして、切れた。

「お母さん!…次って何よ!また誰かの保証人やるって訳!?」

泣き崩れた。そして暫く、沈黙が包んだ。
みえちゃんがそっと寄り添って、私の頭を優しく撫でてくれた。母はキッチンで立ち尽くしたまま、私とみえちゃんのその様子を見つめていたんだと思う。そして一言。

「ごめんね、美樹」

母はそう言った。
私はひと仕切り泣いた後、みえちゃんの手前、気恥ずかしさが沸いてきて、二人に取り乱してごめんと謝った。
みえちゃんは落ち着いたまま、私に言った。

「いいのよ。美樹ちゃん。怖かったよね。よく頑張ったね。あなたのお母さんにも、貴方に二度とこんな思いさせないように約束させるからね」

「ええ、約束するわ。美樹。ごめんなさい」

母も深く反省していた様だった。
だけど一つだけ、腑に落ちない事を二人に尋ねた。

「お母さん…みえちゃん…二人は…二人は怖くないの?何で平気なの?」

母が何か言おうとするのを遮って、みえちゃんが代わりに答えた。

「美樹ちゃん…私達姉妹にはね、『恐怖』の感覚が欠落してるのかもしれない…怖いものがないのよ」

私は涙を拭いていた手を止め、みえちゃんの瞳を射る様に見た。勿論、驚きでだ。

みえちゃんの眼力はいつも「経営者の目」そんなイメージでいた。
だけどその時覗き込んだみえちゃんの瞳は、哀しげでどこか凍て付いたようだった。
続けて母を振り向いた。母も同じ目をしていた。

私は言葉を失った。
二人が弱い私を哀れんでいる様に見えたからだ。そしてこの二人には、私も聞かされていない、どんな過去があるのか。

母はビジネスに意欲的な若者を支援する。みえちゃんはその若者を支える母を救いもする。
それに比べて私は「平凡」の道を選んだ。卑屈になっていただけかもしれない。二人の強さを嫉妬していただけかもしれない。
部屋で休む。その時そう言って、私はリビングから立ち去った。

〜◆〜

時は移ろいでゆく。
日本はバブルが崩壊したものの、母は持ち前の手腕で幾つもの大きな仕事をやり遂げていった。同じような過ちを繰り返しはしなかった。
そうして例の一九九五年。それだけにこの執筆の頓挫は意外だった。

執筆など畑違い。確かに母にとっては初めての挑戦だったが、それでも 「どうせまた、やってのけるのだろう」と、心では思っていた。

あれから四半世紀。その冒頭だけで止まっている原稿は、同居する母の部屋のアルバムの棚で忘れ去られた様に保管されている。
母も八十五歳と高齢にもかかわらず、認知症の気配もなく、背筋も伸ばして歩き 話せば滑舌もスローな老人らしさが欠片もない。
だからこそ、私はつい「まだ時間はある」と甘えているのかもしれない。母が書く自叙伝の続きを。

何の変哲もない、子供の朝の登校の一幕…
いや違う。変哲はあるのだ。

「待って!ひろちゃ〜ん!」

【お母さん、姉の浩子「ひろちゃん」って誰ですか?】

長年、心に留まっている疑問符。
何度、尋ねようとした事か。
ためらっていた。(一度だけ、執筆ははかどってるかと尋ねた事はある。後述)
母の口から聞ける事を…またはその自叙伝の完成を待つ事にした。私から尋ねる事は憚れる気がしていたのだ。

〜◆〜

私には今年、二十六歳になる息子・永介がいる。一九九四年、再婚で結ばれた相手との間に授かった。
名付けの由来は何という事はない。彼が好きだった矢沢永吉と私の好きだった氷室京介、二人のミュージシャンの名前から一文字ずつ頂いただけである。

その結婚生活も長くは続かなかったが、永介を産んだあの時から、息子が私にとっての生き甲斐となった。

私はショッピングセンターにあるアパレルショップで働き続け、店長まで登り詰めた。
永介を大学まで卒業させる事も出来、今の彼は出版社で勤めている。実家で同居の母にも助けられながらだが、息子の自立を感無量の思いでいるし、ガムシャラだったと我ながら振り返る。
後は肝心の息子に恋人でも出来て、実家から巣立つだけかと思っている今だけど。

そんな私の生きる力の源・永介がまだ一歳の頃だ。母が「自叙伝を書く」と言い出したのは。
書き出した数行。私は今まで聞いた事もない、謎の伯母「ひろちゃん」こと浩子の存在を知る。

みえちゃんと間違えていやしないか?そんな疑問もあった。文章をよく読めば一緒に小学校に通学している描写だ。
みえちゃんは十二歳年上。一緒に小学校に通えはできまい。
ますます謎だった。
当時の私は、子育てにキャパを占められ、聞き出す事も忘れていた。だが間違いなく「浩子」その名前は心に刻まれた。いつか聞けばいいか。聞けるだろう。そう軽く考えていた。

実際に一度尋ねた事はある。
謎の姉(私からすれば伯母)・浩子とは?という聞き方ではなく、「執筆の続き、はかどってる?」そんなノリで質問した。
あれは母が原稿をそこまで書いた後、みえちゃんと北海道へ旅行に行った事があった。やはり同じ一九九五年。八月で盆は過ぎていた。
その旅行から帰って来た頃に一度だけ尋ねた。私も少し子育てに余裕が芽生えていた。
母の様子は変わっていた。

「その事はもう聞かないで。いつか…きっといつか書くから」

母は少し俯きながらそう言い、以来、私は母に執筆の事を聞かなくなった。原稿は長く封印される事になる。
あの北海道へ二人で出かけた旅行で何かあったのか。間違いなくあの旅行後が分岐点に違いなかった。

ちなみに母には六歳年上の「利夫」という兄(私にとっては伯父)もいた。優しい伯父だった。子供の頃、とても可愛がってもらった記憶しかない。
利夫おじさんは私が中学生の頃に交通事故で亡くなっている。
祖父母は既に他界。父を亡くし、伯父も亡くし、四年前のニ〇一六年には、みえちゃんも安らかに旅立った。九十五歳だった。

今、私が血縁を持つ身内は母と息子だけだ。

そうか。
この期に及んで私はまだ、いつか来るその時…母とも別れるその時を、永遠に来ないと思っている。

もう一度繰り返す。
私はつい「まだ時間はある」と甘えているのかもしれない。母が続きを書く事を。

残された時間は実は少なかったのだ。
母にまで「浩子」の秘密を墓場へ持ってゆかせるのか。

ニ〇ニ〇年。
今また、母のあの時の言葉がリフレインしている。

「人生、速いし儚いのよ。こうして不条理に幕を下ろす事もあるの。だから一瞬一瞬、やりたい事を一生懸命やらなきゃ。もっと生きたかったのに、不条理に犠牲になった人の分までね」

ふとそれを気付かされる出来事がまた起きている。

◆◆ 序章 2 ◆◆

ふとそれを気付かされる出来事がまた起きている。

「また」という事は、初めてではないと言う事。
それも四度目だった。

一度目は勿論、母がその言葉を言った一九九五年だった。地下鉄サリン事件。阪神淡路大震災。

二度目は二〇〇一年。ニューヨークのワールドトレードセンターに航空機が突っ込む同時多発テロ。

三度目はニ〇一一年。東日本大震災が起きた。多くの家屋や自動車が、獰猛な大津波に流される映像を永介にYouTubeで見せられた。また、福島第一原発事故も起き、報道番組に毎日目を見張った。
多くの命が犠牲になった事、多くの住民が今までの暮らしを失った事、毎日憂鬱に心を痛めていた。

今、リビングでゆっくりとコーヒーを飲みながら、テレビで報道番組を観ている。
世界が「新型コロナウィルス」のパンデミックにより、人の健康と命の危機、それによる経済が止まっている情勢危機が覆っている。
連日、その報道。これが「四度目」だ。
私のアパレルショップは休業・自宅待機となり、時間を持て余している。外出自粛要請も出ている中、近所のスーパーやドラッグストアに最低限の買い物でしか出かけていない。
そして出版社に勤める息子・永介も自宅でリモートワークをしている。(永介はまだ独身で、恥ずかしながら三世代実家暮らしだ)

タレントの志村けんさんが新型コロナウィルスによる肺炎で亡くなったニュースは、明らかに日本の空気を変えた。
肉親のお兄さんが最期を看取れず、火葬に直行され遺骨となって対面し悔しく泣きする姿に、母の言っていた不条理さを思い出させた。

私もつくづく「普通の人間」だ。これら「世間での出来事」でしかそれを感じる事が出来ず、また、いつか風化させて忘れてゆくのだから。

「人生、速いし儚いのよ。こうして不条理に幕を下ろす事もあるの。だから一瞬一瞬、やりたい事を一生懸命やらなきゃ。もっと生きたかったのに、不条理に犠牲になった人の分までね」

母の言葉のリフレインは止まない。
母にすれば兄(私の伯父)を交通事故で失っている事もそう考えるキッカケだったかもしれない。
私にとってもそれは身近な「死」の筈だけど、私はあまりにも幼な過ぎた。

人生に何度も苦難は訪れる。それを「乗り越える」の連続が生きる事だと、生前のみえちゃんが私に聞かせてくれた事もあった。
その言葉の意味がよくわかる程に、私も時間を重ねてきてはいる。
ふと気付けば、私も誕生日を迎えれば五十五歳。あの借金の取立てに迫られてた頃の母の年齢になっていた。

みえちゃんが言っていた。
「美樹ちゃん…私達姉妹にはね、『恐怖』の感覚が欠落してるのかもしれない…怖いものがないのよ」

私は違う…あの頃と変わらない。怖い。怖がり屋の自分がまた覚醒している。
このまま仕事もなくなるかもしれない…その恐怖だ。
そもそもアパレル業界は本当に厳しい断崖に立たされていた。メルカリなどのCtoC対策とやらも去ることながら、自分達の若い頃と比べて今の若者の購買意欲は低い事は肌で感じている。

永介が二階から降りてきて、リビングへ入って来た。
「母さん、僕にもコーヒーいれてくれる?」

「あら、おはよう。テレワークの方はどうなの?」

「あぁ…そりゃ最初はさ、行きも帰りも『通勤』が無いって事がどれだけストレスが無いか、こりゃいいや!と思ったけど、こうも毎日、八時間も缶詰だと気が滅入るね」

「そうなのね。母さんは店舗販売しかした事ないから、テレワークなんてしたくても出来ないけど、やってる人にはやってる人の大変さがあるのね」

「そうだよ。中には好き勝手に過ごす奴もいるだろうしさ、自己管理する奴の成果だけがモノ言うね。
それにね、今までの無駄な仕事が省けるトコも出てきた。その分、八時間労働も短縮してくれないかっても思うんだけどね。テレワークって…やはり精彩を欠く事もあるよ。」

「へ〜、そうなのね。母さんには難しい事はわからないけど、それにはそれの悩みもあるのね」

コーヒーを注いだカップを永介に渡した。

「それで?今はどんな仕事があるの?」

「それがさ…記事を急遽ピンチヒッターで書く事になったんだよ。今度こそ俺の記事デビューになるといいよね。
予定してたライターさんに新型コロナの感染が確認されてさ。その後の症状はまだ聞いてないけど、とにかく油断出来ないね…。ま、そういう訳で俺は記事の方、進めなきゃならないんだよ」

「そう…その人、心配ね」

自分達の在宅時間が長くなり、家族でお互いの会話の密度も濃くなっている事を実感してはいるけど、私自身、身近な周囲で感染者の情報は無かった分、世界で起きてるこの状況をどこか遠くの出来事の様に捉えていた。また身が引き締まる思いになった。

それにしても、永介までが「記事を書く」という『執筆』に関わる話で、尚の事、母のまったく未完成の自叙伝を連想した。
私は永介に続けた。

「どんな記事なの?」

永介はコーヒーを啜りながら答えた。

「それがさ…東京オリンピック、延期になったじゃん?あんだけ盛り上がっておいて、急に奈落の底だよね。まぁ、仕方ないけどさ。
そのライターさん、『延期にされたアスリート達の今の心境を語る』的な記事を書く筈だったんだけど、そんな状況になってさ。取材も出来ねーじゃん。
かと言って俺が同じ事やろうとしても、アスリート達との連絡とかさ、個人情報保護とかで手間かかるのよ。
だから振られたお題は、とにかく何でもいいから『東京オリンピック』の事!だってよ。まったく…抽象的過ぎるっちゅーの」

そう言えば…東京オリンピックの話題もすっかり影を潜めていた。今となっては来年でさえどうなるか怪しい気配も感じるが。
確かに世界中には、この栄光の舞台に懸けてきた人達もいるのだろう。それを忘れさせない為に…
永介の仕事が少し誇りに思えた。ボツにならないようにと祈りながら。

「ばぁちゃん、部屋で何してるかな?」

「さぁね。何してるのかしらね〜…でも、どうして?」

母も流石に今は、自分が高齢である事の自覚から家から外出しなかった。元々、ジッとしている事は無理な性格なので、昔の母なら考えられない事だった。
部屋に篭っている方が多かったので、寝ているか、永介が教えたネットの動画配信で昔の映画を観ているか……なのだろう。そう思っていた。

「よく考えたら、ばぁちゃん、前の東京オリンピックの日本を知ってるんだよね。だからさ、外出もままならないし、ばぁちゃんに取材しようかと思って。
ホント、こんな時って ばぁちゃん、ボケてなくて良かった〜って思うよ」

私も興味が向いた。
母が自叙伝で書き出した原稿はおそらくもっと前の小学校時代の頃だ。そこまでの昔ではないにせよ、母の過去を遡る事には変わりない。
それを機に、母が「ひろちゃん」についても何か語り始めてくれるかもしれない。

母の言葉が再びリフレインした。
「人生、速いし儚いのよ。こうして不条理に幕を下ろす事もあるの。だから一瞬一瞬、やりたい事を一生懸命やらなきゃ。もっと生きたかったのに、不条理に犠牲になった人の分までね」

私が今までやりたい事をやってきたかどうか?と問われたら、そうだったと信じたい。
そして今回は過去の惨事と違って、風化させずに真っ最中にいる。
人生は速く儚い。今は元気とはいえ、いつ母に、私に、永介に…その不条理な死が訪れるかわからない。
それに…借金の取立てと対峙した母の五十五歳と比べたら、私の五十五歳が何とも受け身な事かと思えてきた。

今からでも人生で何か一つ、小さくてもいいから冒険を持ちたい。よく考えると滑稽だけど、平凡に生きてき過ぎた反動だろうか。
【母の「パンドラの箱」を開ける】
ただそれだけの事なのに、チャレンジしたい衝動に駆られた。

「永介!よし!おばあちゃんをリビングへ連れてくる。一緒に話を聞き出そう!」

「うん、助かる。取材は手短でいいんだけどさ。締め切りもあるから」

そう言って私は母を連れ出しに、彼女の部屋へ向かった。私は今までになく積極的で能動的で、いよいよ「その時が来た」とばかりに、ワクワクしていた。
永介との会話で、背中を押された様にも思う。永介にも感謝だ。

ただ、そのワクワクとは裏腹に、リビングへ母が来て語られ出した母の過去。パンドラの箱。
それを聞いて絶句する私と永介がいた。それはあまりにも重くて悲し過ぎる話だった。

◆◆ 本章 ① ◆◆

母の部屋の扉をノックした。

「お母さん、いい?入るよ?」

「はいよ」

返事を確認すると同時に私は扉を開けた。気が早っていた。
母はパソコンのディスプレイを睨んで、キーボードを打っていた。
母は経営の現役を十五年前まで続けていたけど、そのどこかで自分でエクセルやワードの使い方を覚えハマっていた。特に数値管理は大好きだった。根っから経営を趣味とした男も負けるよな女性(ひと)だった。
使えるアプリケーションはそう多くはないはず。永介からYouTubeの操作を聞き、昔好きだった時代劇や明石家さんまの番組を観て過ごしもする。
それにしても歳(よわい)八十五にしてここまで使いこなすのは本当に関心する。

「今日は何をやってるの?」

「ん〜…何でもいいでしょ、はい、ポン!」

母はそう言いながら、韻を踏んでリターンキーを押した。椅子を回転させて私を向く。顎を引いて老眼鏡の隙間から上目使いに見つめる仕草は、いつもの事だけど少しだけイラッとする。でも今日は口角を緩めて感情を抑えた。

いつもは私も入口で「お母さん、食事よ」と知らせる程度だったけど、今日は久しぶりに部屋の中まで足を踏み入れた。
素直な気持ちになって、晩年の母は一体何を打ち込んでいるのか、知ってもいいだろうと考えている。
そう、不条理な死は誰にもいつ訪れるかわからないのだから。
私も五十路を越えて独り身、そんな娘と高齢の母親。さすがにいつも一緒にいると衝突もしばしばだけど、思えばこの年齢まで介護の手もかからない程に元気でいてくれる事は感謝すべき事かもしれない。

ディスプレイを覗き込んだ。母は腕で「見ないでよ」と塞いだけど、すべて覆い隠せる筈もない。
隙間から見えたその色彩は明らかにブログのトップページだ。
「あ。いいじゃない。見せてよ」
私は母のその手を解いて画面を剥き出しにした。

【やまね雨】

タイトルはそう書いてある。私は心の底から驚いた。
「お母さん、ブログやってるの?ってゆーか、ブログなんて使えたの?」

「あ〜あ、あんたに見られちゃった。そうよ、悪い?」

「悪くはないけど…ちょっと驚いただけ。お母さんはせいぜいメールにワードやエクセル、それとYouTubeくらいしか使えないだろうと思ってたから…
それより、何よ、そのタイトル」

「あ…これね。『やまねぇ雨』って打ちたかったんだけど、その小さな『ぇ』の打ち方がわからなくてね」

そこで私も「やまない雨」の意味と知る。その表現が何故「やまない」ではなく「やまねぇ」と男勝りな表現なのか疑問も生じたけど、とりあえず「L」と「E」で小さくな「ぇ」と打つのだと教えてやった。

「あら、本当だ、もっと早く教われば良かったねぇ。でもね、私達の子供の頃の鈍りでは、『やまねぇ』じゃなくて『やまね』の方が合ってた気がしてね。このままにしとくの」

子供時代の鈍り…それは母だけでなく、亡くなったみえちゃんも利夫伯父さんも、そして謎の「ひろちゃん」もそうだったのだろうか?どこの地方の鈍りなのだろう。イントネーションはどんな感じなのだろう。
私は中身を読ませてくれとせがんだ。もしかするとその過去の事も書いてあるかもしれなかった。母はまだ加筆添削を繰り返しており、恥ずかしいから嫌だ嫌だと子供の様に拒んだ。
そして話題を変えられた。

「それより何だい、用事は?無いなら邪魔しないどくれよ」

「あぁ、そうそう。永介とね、今リビングでお茶してたんだけど、お母さんのね、話を聞きたいんだって。なんでも雑誌の記事を書くに当たってのね」

「私の?あの子が?何だろね。新型コロナの件で高齢者の声を聞くとでも言うのかい?」

「違うわよ。お母さんが最近珍しく外出もしないでいてさ、ウィルスなんてもらってない事は信じてるわよ。なんでも東京オリンピックの事だって」

「東京オリンピック?以前のかい?やれやれ…孫の頼みともなると断れないね〜」

母はそう言って立ち上がり、一緒にリビングへ向かった。私は心の中で「やまね雨…後で検索してやろう」と思っていた事は言うまでもない。

〜◆〜

リビングに二人で入ると、永介は湯を沸かし日本茶を用意していた。

「ばぁちゃんはコーヒーよりコッチの方がいいでしょ?」

「おぉ、永介。気が利くねぇ。ありがとさん」

永介が急須で湯呑みに茶を注ぐ仕草も、慣れた物だと関心した。母もソファに深く腰をかけた。

「こうして三世代全員揃うのって…珍しくない?これもStay Homeならではの事だよね。まぁもっとも…地方と違ってこの辺りでは三世代で住んでる家自体が超レアだろけど」

永介がおどける様に言った。

「何だい?三世代で住むのをスターホームって言うのかい?」

母の質問に、私と永介は大ウケした。こんな団欒も何年ぶりだろうか。

「違うよ、ばぁちゃん。ステイホーム!耳、遠くなってきたかな?『自宅に居て』って意味さ。ニュースでやってるよ。この非常事態宣言を受けて、都知事が言ってるのがね」

「あぁ、ステイホームか。最近、Facebookでプロフィール画像にその文字付けてる人、よく見かけるねぇ」

私が驚くのはこれで二度目だ。母はブログだけでなくSNSもやっている?いつの間に?

「お母さん、Facebookもやってるの?やり方わかるの?」

いささか焦燥気味に尋ねた。それについて答えたのは永介だった。母はお茶を啜り出していた。

「母さん、俺がばぁちゃんに教えたんだ。あまり複雑な機能は教えてないけど、凄いよ。ばぁちゃんは普通に問題なく使いこなしてる。まだまだ長生きするよ!」

湯呑みを茶托に置き、母は鼻唄まじりで歌った。

「♪コンピューターおばあちゃん…コンピューターおばあちゃん」

一九八〇年代にNHKで流れていた曲のフレーズだった。私の脳裏にも当時の事がマザマザと蘇ってくる。
やはり老いても母は母だ。私も知らない所でも好奇心に向かって挑む姿勢は、微塵も変わっていなかったんだ。
というか…私だけが母の事を何もわかっていない様で、情けなく思えてならなかった。永介の方がよほど母と触れ合っていたのか。

「ビックリした。なんか…私ばかりお母さんの事、わかってない様で…ごめんね。永介がそんなに色々とおばぁちゃんをサポートしてくれてたなんて事も…」

「いいんだよ、美樹。お前は今までも仕事の帰りも遅かったし、サービス業だからね。土日も休みなく頑張ってたじゃないか。仕方ないんだよ。それに永介がおばあちゃん思いの優しい孫で助かったよ。この老いぼれも、人生最後の総仕上げを楽しく進められる」

「何、馬鹿な事言ってるの、ばぁちゃん。さっきも言ったけど、ばぁちゃんは間違いなく長生きするよ。ブログもSNSもYouTubeも、自由自在のスーパーばぁちゃんだ」

祖母と孫の微笑ましい絆紡ぎは続いている。私一人が取り残された感もあったけど、母がそう言ってくれた事で少しは救われた気持ちになった。

「それにしても…あんたら現役も大変だねぇ。この状態はね、相当にまずいねぇ…」

母は徐に情勢を憂う話をし始めた。一度、白内障を患ったその眼球は昔ほどの輝きを保ってはいなかった。
でも覚えている。ビジネスをしている時の母の目は、いつも好奇心剥き出しのワクワクな輝きと、獲物を狙う野獣のハントする時の様な力ある輝きが共存していた。

「何だい?ばあちゃん。やはり隠居しても経営者OBとして、今の世の中に何か言いたい事はあるかい?」

「言いたい事と言ってもね…こればかりは誰にも不可抗力だよ。どうしようもないね。どうしようもないけど…世界は変わってしまうんだろね。まぁ、その頃には私は生きてるかどうか怪しいもんだけどね」

「ははは!また始まった!母さん!母さんも何か言ってやりなよ!ばぁちゃんは絶対に長生きする!」

二人の会話を黙って見ていたけど、永介の急な無茶振りで言葉に詰まる自分がいた。
不条理な死は、いつ誰に降ってくるかはわからない。そしておそらく母にも残された時間は少ない。だから今の内に語り継ぐべき事は聞き出そう…その考えで母をリビングへ連れ出してきたのに、「母は絶対に長生きする!」相反した矛盾の交錯が滑稽だった。
私は母に短く尋ねた。

「お母さんの目からして、例えばどんな風にまずいと思うの?」

「まず、永介みたいに多くの会社が自宅勤務なんだろ?満員電車通勤のストレスから解放された人たちはコロナが落ち着いても元には戻れないよ。会社も交通費支給はしなくて済むだろ?
オフィス街ではOLさんのランチをあてにしてる飲食は潰れるだろし、大体スーツとか着て通勤してた人達はもう何着もスーツが要らんだろ。
終いにゃオフィスも要らんのじゃないか?会議もzoomでいいんじゃないか?となる。不動産屋さんも困るだろな」

あり得そうな話に私と永介は舌を巻いた。永介は興奮してスマホを取り出した。

「凄い!ばぁちゃん!さすが元バリバリ経営者!なんか予言者みたい!的確だよ!ちょっとさ…実は俺、記事書きしなきゃならなくてさ…それでばぁちゃんの話も聞きたかったんだけど…」

永介は話しながら、スマホのレコーダーアプリを操作していた。

「ところで本題は…何か、東京オリンピックの事だって?永介。」

「あ、うん!もう何でもいいよ!ばぁちゃんの話、何でも聞きたい!ここからは録音させてね!続きをどうぞ!ばぁちゃん!」

そう言って永介は録音を開始したスマホを、三人が取り囲むテーブルの上に置いた。

「ん…どこからだっけ?」

「だから、テレワークで世の中変わるって話!」

永介はもう待ち切れないという態度が見え見えだった。この子はこういうジャーナリズムが天職に思え、母親として嬉しさも感じながら。
同時に、母の話を色々と聴きたい気持ちは私も同じだった。

「そうだったね。多分ね、これからはコロナが落ち着いても、仕事探しする時にね、テレワーク出来る事というのが一つのステータスを上げるだろ。
いい事ばかりでもないぞ、永介。かえってこのテレワークで、また以前みたいな完全成果主義に戻るかもしれないしね。対応出来ない人、自己管理出来ない人、リストラ基準になるかもだぞい。
あ、つい、評論ぶって言ってしまったわい。永介、そこんとこカット出来るか」

笑いを誘う絶妙さも相変わらずだった。ところどころに調子乗りが入り出すと、それは母もエスカレートしてきているという、わかりやすい基準になる。

「いいよ。ばぁちゃん!普段のままでいいから、続けて!」

「そうかねぇ。録られてると思うと緊張するねぇ。まぁ、敢えて言うなら地方からな…わざわざ仕事するのに東京でなくても…という雰囲気も定着するかもだぞ。その前から「地方創生」と言って政府も地方も頑張ってただろ。これが追い風になるかもだな」

鋭い話の中にも、どんどん素が出てくる母が愛おしく思えてきた。私も続けて尋ねてみた。

「お母さん、私のアパレルは?」

「アパレルか…きついな。そういえば去年までテレビで見てたよ。渋谷に新しく出来たデパートやあの高層の商業ビル。
今、こんな状況になってしまって、まずは飲食やアパレルが一番キツいんじゃないのかい?雇用調整にはすぐ手を打ったろうけどねぇ、経営者が頭を抱えるのは人件費の他には「地代・家賃」よ。
地主や大家は下げてくれたり延ばしたりしてくれるのかい?下げも延ばしもせんと、借り手が撤退なんぞしたとこで、新しい借り手は多分見つかりにくいね。
それになぁ…アパレル自体、コロナの前からきつい事は現場にいるお前の方がよくわかってたんじゃないのかい?」

「図星ね…」

私はそう答えるのが精一杯だった。
外資系のファストファッション大手が、日本市場から撤退したニュースも記憶にまだ新しい。EC事業もありふれている今日、私達は新しい方向性を模索している所への、このコロナ・ショックだった。

「凄いよ、ばぁちゃん!その歳で一体どんだけ経済ニュースとか見てんのさ!本当に唸らされるね、母さん!」

「おだてるのはやめとくれ。私にゃ会社を切り盛りする事しか取り柄が無かったんだよ。時代の変化ってのには敏感になっちまう、半分病気だったんじゃないかな」

そう言って母は微笑むが、その言葉には私も思わず反感を抱いた。バブルの頃の苦い記憶を浮かべながら。

「そうは言うけどお母さん。随分と他人の若者にも出資して応援してたりもしたじゃない。大変な思いをしてたのも覚えてるでしょ?
あれは取り柄ではないなら何なの?会社の切り盛りとは別だった様に思うけど?まさか道楽?」

母は暫く沈黙し、永介も場の空気を感じて成り行きを見守った。私は少しキツい言い方をしたかと判断し、フォローの言葉で追いかけた。まだまだ聞きたい話があるのに、これで終わられたら次の機会はないかもしれない。

「キツく聞こえたらごめん。けして責めてる訳じゃないの。お母さんの胸にある事を私達に聞かせて」

「いやいや…お前の言う事ももっとも。今、ちょっと考え直してたのよ。私は…お父さんと作ったあの会社で働く若者も含めてね、街で私と関わる若者にもし夢があって、それをやるのに私の力が必要なら惜しみなく手助けするつもりだった。…美樹。それはたとえお前でもだったよ。

それが私の使命だった。取り柄かどうかは知らないよ。私が自分の信念でそうしてただけだから。
もちろん、出資するからにゃ口出しもさせてもらう。リスクを最小限にする為にね。だから切り盛りしてたのは自分の会社だけじゃない。彼らの会社、この街をいつも切り盛りしてる…そんなつもりだったよ」

ここまで情勢を客観的に評論していた母が、珍しく自分自身を客観視して話した。
この女性(ひと)と「母娘(おやこ)」という、おそらく世界で一番強い絆と言われる関係性の中で、私達が初めて交わす一つずつの個と個の向き合いだった。

バツ悪そうに永介が割り込んできた。

「えっと…二人ともさ、また話を本流に戻してもいいかい?
ばぁちゃん。じゃぁさ、飲食にしろ、アパレルにしろ、今もばぁちゃんが現役で、そしてその店舗の社長だったらどうする?飲食ならデリバリーやテイクアウトなんて手もあるけど…」

「私が現役ならかい?無論、勇気を持って撤退するね」

あっさりと断言で即答した。
永介は固唾を飲み、眉を寄せた。私も思わず身を乗り出す。組み合わせた手の平にはじわりと汗が滲んでいた。それは飲食業の場合か アパレルの場合か、あるいは両方ともか。
私もアパレル業に身を置く。母の答えは緊張を招いた。同じ血を持つ娘の私の未来をも占っている様に感じたからだ。

「あぁ、でもね、永介。その考えは私ならば…だよ。あくまでもね。
もちろん他の経営者の中には、この危機も乗り越える知恵と力のある人もいるんじゃないかい?
だからこんな一老人の戯言など、記事にするんじゃぁないよ」

「ばぁちゃんなら…の仮定とはいえ、それなりの理由があるんだろ?ばぁちゃんの行動力ならテイクアウトでも頑張りそうなもんだけど?」

「テイクアウトでは ばぁちゃんだったら頑張らんよ、永介。
ばぁちゃんが食堂やるならね、店内でお客さんが美味しい美味しい、そして大切な人と楽しい楽しいって言いながら食べてるの見るのが楽しみだと思うのよ。浜茄子の花が咲き誇る浜辺で食堂でもやりたいねぇ。

提供する価格の粗利ってのは、その店内の時間空間や、自分達スタッフのサービス分の付加価値だよ。
その店内にお客さんがいないのに、同じ価格でやるならね、元々店の無いテイクアウト専門にその半額で出されて負ける。少なくとも私はね。
もちろん、知恵を絞ればそれでも勝つ道はあるだろけど、私ゃしないよ。問題は ばぁちゃんが飽きっぽい性格だというだけよ。負けてその仕事は終わり。次のやりたい事を探すさ」

私と永介はしばらく沈黙した。母の性格からそれは納得出来る答えであり、されど私達親子には納得し難い、得体の知れない後味の悪さを感じているからだ。
まるで陰と陽がせめぎ合い、均衡を保つよな静寂がリビングを包んでいる。
母がお茶を一口飲んで口を開き、再び静寂は破られた。

「もちろんやり方も幾つもあるよ。でも道の選択肢も幾つもある。それを知らない人が多過ぎるのね」

私も釣られて、堰を切ったよに声を出した。ボクシングの試合で、インターバルが終わり次のラウンドが始まったかの様に。

「お母さん、じゃその経験豊かなお母さんに聞きたいわ。実際にお母さんも、お父さんと作った自動車整備工場は最後までやめなかったでしょ?飽きっぽいなんて言うけど、その道一本を貫いたでしょう?世の中、そう簡単にその道一本でやってきた人の気持ちもわかるんじゃないの?」

「当たり前じゃない。安定してて危機はなかったもの。お父さんとの思い出も沢山詰まってるし、何より美樹、あなたを育てる為にも安定は手放せなかった。
その道一本でやってきた人を否定するつもりはまったくないわよ。だから私は、若い人達を使って他のやりたい事を叶えてきた。同時にそれは彼らが夢を叶える事にもなった。やりたい事は別にね、私がやらなくてもいいの。
私にとって大事な事は…やりたい事を持つ人が、その命をその事に正しく使い切る事よ。一番は私じゃないのよ」

私はまだ混乱している。おそらく母も、自分の話が順序立てられておらず、理路整然から離れている事は認識していたろう。
混乱し、整理する為にも母に問わずにはいられなかった。

「だから〜…それはわかるの。素晴らしい事よ。人が夢を叶えたり、それでその道一本でやってゆく事はね。でも何か私にはそう…例えばさっきのテイクアウトの話、私には否定にしか聞こえなかったんだけど」

母はすかさず返してきた。

「いい?美樹。永介。今の飲食の人達がやってるデリバリーとかテイクアウトとか…今を生き残る為に大事な事よ。今はウーバーイーツとかがあるのも永介に教えてもらった。
でもね。その道一本で頑張るにも、やりたい事を叶えるにも、私は平常時に話してきた事なのよ。
平常時の常識が全く通用しない異常時ってね、幾つかあるのよ。今はその時でしょ?『私ならやらない』というのはその前提で話してるのよ。
平常時の常識…例えば企業秘密のレシピを料理教室でも、お料理本でも、若けりゃYouTubeででも公開するよ。

私が言いたい事は、手段を目的にしないって事よ。本当の目的をみんなに忘れないで欲しいの。
それさえ忘れなければ、人は何度でも…焼け野原のゼロからでもやり直せるよ」

良い事を言おうとしてるのはわかる。それにしても具体さを欠く母の話に苛立ちがまた募り出す。
私がまた応戦しようとするのを、永介が「母さんは少し黙ってて」と遮った。

「ばぁちゃん、何?その幾つかある異常時の条件って?」

母はお茶をまた一口飲んで息を吐き、話し出した。

「まずはまさに今ね。感染症のパンデミック。こんなに世界的に大変になった事はばぁちゃんも初めての経験よ。
そして災害ね。阪神とか東日本大震災。永介にも記憶あるだろう?
それから…何かね、改革とかクーデターとか、大きく仕組みが変わった時。ばぁちゃんは子供の時にね、『デノミ』っていう物で見てきたわ。
そして…もう一つ。それが一番怖い地獄なの…」

母はまたしてもおちやお茶を口に含んだ。もったいぶらずに言って!心の中でそう叫んだ。

母の話は飛びまくり、目まぐるしく変わる。合わせて私の感情もクルクルと回転していた。
デノミ?初めて聞く言葉だし、もっと地獄の話もあると言う。
そして母がいつになく口数が多くなっている事にもこの時気付いた。つい三分前まで苛立っていた私の心は、すっかり鷲掴みされて引き込まれていく。

いつか私に、みえちゃんが言ったセリフ。

「美樹ちゃん…私達姉妹にはね、『恐怖』の感覚が欠落してるのかもしれない…怖いものがないのよ」

その母にも怖い物があるというのか。

そして謎の伯母・ひろちゃん。
これから私と永介は、その秘密を知れるのかもしれない。

永介が母の湯呑みに二杯目のお茶を注いだ。

「ありがとう」

「うん、それよりばぁちゃん、その地獄ってゆーのは?」

「そうよ、お母さん。もったいぶらないで」

永介が続きを急かしてくれたお陰で私も便乗した。
だけどその時、母の顔を注意深く観察して気付いた事がある。
認知症の傾向一つも見せず元気とはいえ、八十五歳。顔もそれなりに年輪の様な皺に覆われている。それでもその表情が悲しみに満ちていた事がこの時わかった。余程、エネルギーを消費しながら話していたのだろう。

「美樹。永介。一番怖い、地獄の『異常時』それはね、何と言っても『戦争』だよ」

◆◆ 本章 ② ◆◆

「美樹。永介。一番怖い、地獄の『異常時』それはね、何と言っても『戦争』だよ」

私と永介は互いに目を見開いて顔を見合わせた。母は深い溜め息をついている。リビングの中に吹く筈のない風が通り抜けた様に思えた。
私は息を呑んで尋ねた。そこから先、母の話を聴くには覚悟が要る気がしたからだ。永介も同じ空気を感じ取っていたはずだ。

「お母さん…戦争って…太平洋戦争の事?当時は子供だったんでしょ?」

「そう。十歳の時に終戦を迎えたのよ」

「お母さんは東北かどこかの田舎で疎開してたって言ってなかったっけ?空襲を受けた経験でもあったの?」

「美樹。質問は一つずつにしてちょうだい」

つい矢継ぎ早に尋ねた事を言った後で後悔した。待とう。聞こう。おそらく「時」は来たのだ。母はすべてを話す時が。私は母からすべてを聞く時が。

「私達家族が戦時中暮らしていたのは北海道よりも北の「樺太」という土地なの」

「樺太?」

来た。案の定、いきなり来た。初めての地名が。
私はこの女性(ひと)の娘を五十五年生きてきて、初めて聞かされる地名、そして初めて明かされる真実の予感に肌を泡立たせた。

「父は鉄道の会社。母は家にいたけど、みえちゃんは裁縫の仕事を、利夫兄さんは戦争最後の年には十六歳になったけどそれまでは学生よ。徴兵の召集が来るでもなく、向こうにあった製紙工場で働き出した頃だった。自然も豊かな土地だったよ。そしてね…」

母は息を吸った。

「私には二歳歳上の姉がもう一人いたのよ」

それを聞き、雪と氷に閉ざされた心を覆う、暗い冬雲の切れ間から光明が一筋射し込んだ。二十五年前、母の書きかけの原稿の伏線。それを本当に長い長い時間をかけて回収した一言だった。

「止まったままの自叙伝の、浩子さんって言うお姉さんね」

「何だい、美樹。見て覚えてたのかい。まぁそう言う事だったのさ、私達家族は六人だったんだよ。」

「覚えてるよ。あの浜茄子の花が咲いてた浜辺って言うのは樺太だったのね」

「そう、樺太の浜辺。終戦の年、みえちゃんは一回りも上だろ?私は十歳、ひろちゃんは十二歳。むしろ毎日一緒に過ごした時間が長かったのはひろちゃんだったんだよ。

浜茄子の花が咲き誇る季節はね…私ゃあの通学路が本当に大好きでね。天気のいい日にゃつい足を止めてずっと見惚れてた。その度、ひろちゃんは学校に遅れる遅れると…私を急かしてたんだよ」

永介は傍でタブレットを何やら操作していた。母が話しているのにと、気になって覗くとGoogleEarthで樺太を検索していた様だった。それを見つけると、私達に見せて声を上げた。

「これだね、樺太!ロシアでは『サハリン』って呼ぶのかな。ここ…南北に凄く縦長だね。日本に重ねたら、余裕で北海道から東京までカバーしそうだね」

「ほう…今はこんな事も出来るようになったのかい?凄い世の中になったもんだねぇ。世界中の国が観れるのかい?」

「うん!そうだよ、ばぁちゃん!ほら…こうして、こうするとね、ストリート・ビューって言って、人の目線の視界にも切り替えられるんだ。ばぁちゃんのその通学路もね、見つけられるかもしれないよ!」

「永介!」
私の苛立ちは今度は永介に向いた。今はどうしても母の話の流れを止めたくない。
私の心に二十五年も前から…いや、正確にはあの借金の取立て屋に怯えていた三十年前。みえちゃんが言った「私達姉妹には恐怖が欠落している」の言葉を聞いたあの日から。ずっと心を凍りつかせていた母や母の家族の秘密が溶け出そうとしている。
どうしても話の流れを止めたくない。どうしても聴き通さねばならない時だと、運命がそう言っていた。

「お願いだからそれは後にして。今は…お母さん。どうか…どうかすべてを話して。私はあなたの娘として、どうしても知りたいの」

永介に怒り、呆れ、そして懇願していた。
母娘(おやこ)と言うのは不思議な物だ。母も私へやはり同じく、『どうしても今、話さねばならない』そう運命に導かれているのを感じているらしい。それが伝わる。いや、私達の運命が同調(シンクロ)させているのだろう。
母はゆっくり頷いた。

「浜茄子の花というのはね…一日で枯れ落ちてしまうんだよ。知ってたかい?
私ゃね、その与えられた命の時間を精一杯、咲き誇ってね、その役目を終えてく花達を、子供ながらに人間みたいだなぁ…そう思って見ていたんだ。
本当はね…戦争になんて起きなければ、絵描きになりたい、役者になりたいとね、やりたい事に向かって勉強して頑張ってゆける自由な世の中だったら…どんなにいいかと感じていたよ。
そして平和な世の中になって、その限られた時間、この花の様に美しく咲いてね、人を魅了し心を癒し…散ってゆく。
それならせめて私だけは…その花達の一番輝かしい時間を見届けてやろうじゃないか。
そんな事を毎日毎朝、子供ながらに感じていたよ。それがね、美樹。私がやりたい事に向かう人を応援したかった理由のね、まずは第一の根にあるんだ」

「まるで何て言ったっけ?歌の『世界にひ〜と〜つだけの花〜』みたいな話ね。第一の根というと?」

「そう、第一だ。と言う事はだ。第二の根もあると言う事だよ。
その第二の根を植え付けた経験が私達三姉妹にはあったのさ。

実を言うとね…さっき美樹が覗いた私のブログ…『やまね雨』の中身はね、その時の事を書き残そうとしてたのさ。
私ゃね、たしかに一度『自叙伝を書く』と言ってたよ。戦時中の子供の頃からのね、ずっと生きてきた足跡を辿ってね…

自慢じゃぁないが、私の人生経験は豊富で濃厚だよ。戦争も災害も、疫病も大きな仕組みを変えた外角もぜ〜んぶ経験してきた。会社経営もさせてもらったし、借金苦もだ。
美樹、あんたを授かって人並みにね、子育ても経験させてもらったよ。

だけど…実はブログはまだずっと、その子供の頃の時点で下書きの段階なんだ。あの時の事、何度も書き直したり、書くのを躊躇してたり、なかなか進まずにいるんだ」

「え!?ばぁちゃん、まだ一投稿もしてないの?毎日頑張って打ってるな〜と思って見てたけど、ブログを教えたのもかれこれ四年前じゃん」

永介は驚くが、それは私も同じだ。もとより今日は、驚愕の連続となる事はわかり切っている。

「永介、お前もまだまだだねぇ。ばぁちゃんに教えたなら、ばぁちゃんがどんなのを投稿してるのか、チェックしなきゃ。会社でもこれから後輩も増えてくんだろからね、そうやって丸投げしたらダメだよ」

「わかったよ。ほら、母さんもまたイラつくから、続きを話してよ」

「そうね。聞かせて欲しいわね」

私は冷静だった。母の四年がかりでも進まぬブログ、二十五年前で止まった原稿。そして何よりも七十五年前に樺太の地で、母の家族に何が起きたのか。その真実が明かされる前に私の身体はその重みで押し潰されそうになっていた。

「とにかくね、私はひろちゃんと一緒の事が多かった。ひろちゃんも私の事をよく面倒見てくれた。それだけじゃない。近所の子供達とはいつも一緒にね、大人の目を盗んで浜辺や山、川で遊んだし、友達の家の畑の手伝いをしたり、誰かの家に集まって勉強したり。

男女問わず仲は良かったね。そしてひろちゃんは女の子ながらもグループのリーダー格で、姉御肌って言うのかい?頼もしくみんなをまとめて、私も憧れてたもんだよ。

樺太も北半分は隣国ソ連の領土でね…あんたらは知らんだろけどさ、外国と隣接する土地があった訳だから、それなりに緊張はあったんだろね。それにしても私達は内地と比べても比較的、落ち着いて暮らしてたと思うよ。

『贅沢は敵だ』の時代だ。どこの家庭も貧しく質素だったけどね。日本は戦争に勝って、そして私達もお国の為に教師になりたい、軍人になりたい、医者になりたいと夢を語ってたもんさ」

「お母さんやひろちゃんは、何になりたかったの?」

母は遠くを見つめるよな目をして答えた。

「私はお国の為に働くみんなが、腹一杯食べられる食堂をやりたい…それもね、小さくてもいいからあの浜辺に、浜茄子の花の季節が来れば辺り一面を花に囲まれるあの浜辺にポツンと一件…店を構えたい。そう言っては皆に街の中に建ててよと、責められたもんさ。

ひろちゃんは…女の政治家になりたいと言ってたよ。当時は大それた話だよ。そしてね、あの頃の日本は日本の為だけに戦っていたんじゃないんだ。東アジア全体を欧米列強の支配から解き放たれる為の大義名分さ。色々解釈はあるだろけど、私はそう信じてる。そして…ひろちゃんならきっとそれをやる。女政治家となってアジアを平和にする。それを信じて疑わなかったよ」

夢を語り合う年端もゆかぬ子供達。どこで集まり話し合ったのかは知らないが、私の頭の中では浜茄子の花咲く緑地と隣り合った浜辺で、陸上げした船の甲板で円陣を組んだ子供達を想像していた。

「戦況が日本にとって厳しくなってきている事は、大人達やその話を聞いた誰かの話で知っていた。沖縄で白兵戦が始まっただの、東京が空襲されただの、そして八月六日、広島に原爆が落とされて本当に大勢の人が一瞬で亡くなったと聞いたよ。今でこそあのキノコ雲の写真を見る事が出来るけど、あの頃は話で聞いただけだろ?アメリカ軍が悪魔の兵器を落としたってね。
一瞬で犠牲になった人達…苦しんで死んでいった人達…死ぬにも死ねず、長い苦しみと生きてゆく事になった人達…私ゃ今でもあのキノコ雲の写真を見るとね、涙が止まらないね。

不条理な死はね、本当にいつ訪れるかわからないし、誰にでも言える事なの。美樹も、永介も。それはウィルスなのか、原爆なのかわからない。わかるはずはないよね。予告無しなんだから。サリンだろうと、津波だろうと、そして交通事故であろうとよ。

若いからと、けして油断してたらダメだからね。防げる物は防ぐ。でもね…私が一番言いたい事はそれじゃないの」

交通事故と聞いた時は利夫伯父さんの顔も浮かんだ。
それまで感嘆と共に傾聴していた私と永介は、心の隙を突かれた。「油断するな」という事が一番言いたい事ではない?
しかし答えを聞いて、やはり母らしいと納得せざるをえなかった。

「一番言いたい事はね…不条理だろうと何だろうと、死ぬ時は死ぬのよ。人間はね、その与えられた命の中で、いつ終わりが来てもいいように、やりたい事、やるべき事、やりなさいって事よ」

この女性(ひと)の娘に産まれて五十五年。本当にこの言葉を私は、何千回、何万回聞いてきただろう。
本当に母・朋子は、どこまで行っても朋子だ。

「ばぁちゃん、八月九日の長崎原爆の情報は聞かなかったの?」

永介の質問は、不意かもしれないが、率直で単純だった。私は広島の話に長崎も集約してると気にも留めなかったが、まぁ、その質問が来てもおかしくはない想定ではある。
だけど、母のまとう空気は明らかに一変して緊迫したように感じられた。
それは「長崎」に対しての反応ではない。「八月九日」という日付に対してだった。

◆◆ 本章 ③ ◆◆

母の話を全て一通り聴き終えて、あまりにも凄絶過ぎた悲劇に全身の力が完全に脱け切る。三人でしばらく沈黙を守っていた。

母の疲労感も尋常ではない様に見えた。
泣き腫らした後の目もどこか虚ろだった。部屋で休むと告げてリビングから去る母の背中は、まるで「すべてあんたらに語り継いだよ、これで思い残す事はない」とでも言ってるかの様で、このままもう会えないのではとさえ思えた。(思い残しがある、と最後には聞かされるのだが)

最初は茶化しながらいた永介も、すっかり口数が減っている。
私達親子は、夢でも見ていたのだろうか。

永介はリビングの床に両脚を伸ばし、両手も背中越しの床につき、呆然と天井を見上げていた。もしかすると彼も、その先に澱んだ雨雲が広がる虚空を見つめているのかもしれない。

「母さん…グッタリしちゃったよ…」

永介が言った。

「私もよ」

やまない雨。雨はやんでも、やまない雨。
母の心の中にだけ、七十五年間やまなかった雨。

母はその雨をやませる為に、人々に「やりたい事をやれ」と、惜しまず援助を続けてきたのかもしれない。
それが母なりのこの雨のやませ方であり、戦争犠牲者の供養であり、そうして心の中で浜茄子の花をずっと愛で続けていたのだ。

気がかりな事もある。
私達に打ち明けた事で、母の雨は更に土砂降りになったのではないか。

この話を知り、母から最後に宿題を突き付けられた私と永介は、その母の【やまね雨】を新型コロナ・ウィルスのパンデミックのこの時期に、どう向き合えというのか…《目に見えない何か》に試されている様な気がしてる。

「永介。お願いがあるの。あなたがそのスマホで録音していたこの話、母さん、もう一度最初から聴きたいの。私に送信できる?」

「え…マジ?…結構な時間だぜ。いいよ、スマホ預けるよ。どうせ俺に今は見られて困るよな用件のLINEも来ないしさ」

画面にバナーで表示される、新着メッセージなどのポップアップ通信の事を言っているのだろう。悪いが未だ同居してるとはいえ、自立した息子のプライベートなど今の私には興味はない。
だけどその時、私にゆっくり顔を向けた永介の顔には、涙を流した跡が残っていた。

「少し一人になりたいな。庭で外の空気でも吸ってるよ。再生が全部終わったら教えて。どうやらね、人のスマホも画面タップとかしない方がいいらしいよ。アルコールのウェットティッシュで画面をちゃんと拭いといてくれよ」

そう言って永介は立ち上がりマスクを顔にかけた。彼も何か思う事があるのだろう。テーブルにレコーダーアプリの再生をした自分のスマホを置いてくれた。

「中に入る時は本当によく手洗いやうがいをしてね。おばあちゃんも高齢なんだから、何かあってからじゃ遅いんだからね」

「わかってるよ」

背中を向けたまま永介はそう言って去り、リビングには私一人となった。

スマホからは先ほどの母の声が流れ出した。

「ん…どこからだっけ?」

「だから、テレワークで世の中変わるって話!」

そうか。最初はそんな話もしていたか。
すっかり母の八月九日以降の話が濃すぎて、母と話し出した たかが一時間前の話題も忘却の彼方だった。まさかあんな話を聞かされるとは。

待てよ…待て待て、美樹。
この状況はまさしく母達の八月九日と似てやいやしないだろうか。まさしく今の私達の置かれている状況を示唆しているのではなかろうか。
これから、世界が変わる夜明け前のタイミング。

リビングで一人、録音していた母の話にまた耳を傾けた。
いや…違う。そうか、《目に見えない何か》の正体がわかった。
きっと今この場には、ひろちゃん、みねちゃん、利夫伯父さんに亡くなった祖父母の霊魂も揃っているのだ。
彼らは皆、私と永介が出す答えを待っている。

〜◆〜

八月九日…長崎にも原爆が投下された話も聞いたよ。でもそれは何日か経ってからだったんだ。

それまでは樺太の子供の私達は、どこか遠い地の出来事の様に聞いていた。戦争の実感が内地の人よりも欠けてたんだと思うよ。

でもこの日、長崎のニュースよりもね、とうとうソ連側が満州に南下し日本の領土を侵略した話の方が切実だった。
樺太も時間の問題だ。

わかるかい?樺太の北半分はソ連領土だと言ったろ?
樺太の日本軍も軍備を整え、町もにわかにざわめき出したんだよ。
多くの家庭が避難の準備も始めた。衣類や持てる財産を荷物にまとめ出した。
まさか自分達もソ連に攻められるなんて、そんな筈はないとタカを括る人達もいた。そいつらは決まって言った。不安になり過ぎだと。
また、ソ連が攻めてきたら…自分達も戦うまでだと言う者もいれば、その時に逃げればいいと言ってる者も。
本気だったのか、大口叩いただけなのかは今となっては知らないよ。まだ子供だった私にそんな事を判断する力なんてない。

ソ連軍に不穏な動き有りと言う事だけは、瞬く間に街中に広まっていた。
その日は学校から自宅へ戻り、待機するように指示が出た。
今と似てるね。こんな事態になると怯え過ぎる者、侮り過ぎな者、好き勝手言う者、色んな奴が現れるね、ホントに。混乱する大人の影響で、子供社会もその縮図さ。

ただね…美樹も永介もわからないだろ?
今の日本地図を見てみな。大陸の中で外国と隣接してる日本領土なんて無いじゃないか。

そりゃぁ日本も戦国時代は隣り合う敵藩と戦はしてたろう。でも今のあんた達は一つになった日本国だ。隣の県と戦うにしてもせいぜいスポーツの世界の話さ。
あの頃の日本はね、樺太も満州も朝鮮も…その島や陸の上に国境があったんだよ。
それも戦国時代とも違う。肌、髪、瞳の色も異なる違うまるで異国の人種がだ。差別じゃないよ。子供の私達の不安と緊張と言ったら…尋常じゃなかった。
平和は願うが、戦時中においての私には恐怖でしかなかったよ。

その日はね、ひろちゃんの学年の方が先に解散してて、彼女は私の教室まで迎えに来てくれた。
先生も とにかくお父さん、お母さんの言う事を聞いて、学校からまた連絡するから…そんな事をまくし立てながら話してたよ。
私は廊下で待っているひろちゃんの姿を見つけると一目散に駆け出し、二人で手を繋いで家路を急いだ。

沖縄が市街戦になり陥落した話、東京や主要な軍需工場のある街が空襲にあった話、色々と聞いているからね。私は走りながらひろちゃんに、「ここも沖縄みたいになんの?東京みたいになんの?」と涙を流しながら尋ねてたよ。
ひろちゃんは「わからない!静かにしてて!」と怒鳴ったけど、けして手は離さなかった。
景色は…いつも通りだった。それがやけに不気味にも思えたもんさ。
そして浜辺の道に出た。打ち寄せる波の潮騒もいつも通りだった。でも私は無性に悲しかった。

「ひろちゃん、少し歩こう」

私が言うと、ひろちゃんは気遣ってくれたのか合わせてくれた。手は繋いだまま。
私は大好きだった、浜茄子の花の咲き誇る風景を思い描いたよ。

「ひろちゃん、私、大きくなったらここさ食堂を建てたい。建てられんべか」

「うん、きっとともちゃんが大人になったら、世界の人もみんな仲良くなって、ここさ帰ってきて建てるといいべか」

「帰るって?やっぱ樺太を離れなきゃいけんの?」

「そうでしょ?今はね…世界中の人の頭、なまらおかしくなっちゃってんだよ」

「じゃあ、ひろちゃん、女の政治家んなって世の中平和にしてくれる?」

「うん、なるよ!ともちゃん!なまらすごい女政治家だべ」

「みよちゃんは学校の先生さなりてって。ちいちゃんはお医者さんさなりてぇって。みんななりたい仕事の大人になれる世の中だよ、ともちゃん」

「約束するよ!」

この期に及んでな、そんな夢の話をしてたんだ。いくら樺太の住民が戦争の実感足りないって言ってもね、こんな話は公然とは出来なかった。どこで誰が聞いてるかわからない。子供でも非国民扱いされるからね。
ひろちゃんといる時しか愚痴はこぼさなかったし、浜辺の道は潮騒の音が二人の声をかき消してくれる。本当にひろちゃんと二人だけの世界にいるようだった。
私は本当にひろちゃんを頼りにしてた。

〜◆〜

家に帰ると、お父さん以外はもう集まっていたの。お父さんは鉄道の仕事だったからね。人や物資の運搬とかね、戦局がどうなるかわかるギリギリまで現場にいなきゃならなかったんじゃぁないかな。

利夫兄さんは、そんな父がいない中、唯一の男手、父の代理として、母や私達の荷物まとめやら何やら手伝ってくれてたよ。
みえちゃんは裁縫の仕事で新しく縫ってくれた防空頭巾を私やひろちゃん、お母さんに渡してくれた。
本当に非常事態が近づいてるんだ…そう思ったね。

利夫兄さん…あぁ、もうまどろっこしいから、ここでの説明では「お兄ちゃん」と呼ばせてね。お兄ちゃんも頼もしく私達に言ってくれてたっけ。

「俺の会社でも今、情報集めに躍起になってる。
うちらは内地へ帰れるのかどうか。船は来るのかどうか。
公衆電話も今すぐ行けば、わやくちゃ (方言:めちゃくちゃの意味) 混んでるのは目に見えてる。とにかく落ち着くだぞ、みんな!」

「利夫…ありがとなぁ…」

「母さん、もし内地へ渡るとなったら、女子供と老人達が先だべ。母さんこそ、浩子や朋子んとこ、しっかり頼みます!みえちゃんも母ちゃんとこ、支えてやってくんせよ。父さんと必ず、後から行くから!必ずだ。今生の別れさはしねぇから!」

お兄ちゃんがそんな事をお母さんと話してた。きっとお兄ちゃんやみえちゃんは、仕事場でもっと具体的な今後の島民の動向を聞かされてたんだと思う。
そうでなければ、女・子供・老人が先に北海道へ発つ…私やひろちゃんはそこまで学校で聞かされてはいない。
町の人々も、北海道や本州で親戚だったり実家であったり、急に樺太から渡っても自分達家族の受け入れ先を探すのに苦労してたらしかったね。

急に胸が締め付けられてきた。
私達は突如、今までの家と暮らしを捨てなければいけない。父や兄ともひとときとは言え、別れなければならない。まだ「そうなりそうだ」と言う想定の段階だったけど、何もかもが突然過ぎて混乱してた。
ただ、皆、生き延びる為にテキパキと準備を進めた。そこはね、大人達がキビキビ動いてたら子供もね、メソメソばかりしてられないよ。

あぁ、だからね。あんた達には言ってなかったけど九年前、福島で原発事故があっただろ。
見る限り、街の景色は破壊も略奪も何も無い。だけど大勢の人が集団避難を余儀なくされた。
私ゃあの光景をテレビで見ている時は、樺太の当時を思い出して心が痛んだよ。この集団避難の中の子供達は、あの頃の私達みたいだとね。

話がそれちゃったね。
まぁ、樺太がざわつき出した日が八月九日だ。まだ何か起きた訳じゃない。ただその日を境に、明らかに街の空気は変わったね。

「ともちゃん、避難が始まったら、ずっと手を繋いでてあげっから、足手まといになっちゃダメだよ」

ひろちゃんは何度も私にそう言ってくれた。夜になって父も帰宅して、ま〜たひろちゃんがそれを言い出した時、みえちゃんが、
「何言ってんの、ひろちゃん。私からすればあんたも同じよ」
そう言った。
両親とお兄ちゃんがそれを見て笑った。ひろちゃんもね、言ってみりゃまだ子供さ。今思えばあどけないよ。間接的に両親やみえちゃんに「私は妹の面倒見がいいでしょ」とアピールしたかったんだろね。
家族揃って樺太で笑ったのはそれが最後だったと思う。

それが私の八月九日よ。
同じ頃には長崎で大勢の人が涙を流してたろから、不謹慎と言えばそうなんだけど。
何だい?永介。拍子抜けしたかい?敵が攻めてくる日とでも思ったかい?

そうそう、脱線ついでに話させとくれよ。美樹、ほら何ていったっけ?あの三船敏郎の娘と結婚してた男の人。あの人が昔、バンドで唄ってた歌。
♪何でもない様な事が 幸せだったと思う 何でもない夜の事 二度とは戻れない夜…ってやつさ。
私ゃ、弱いんだよ、あの歌にゃね。思いだすのが家族のその場面なのさ。

八月十日。ソ連軍の満州侵略から一夜経って、少し落ち着きを取り戻した様には見えてた。それは子供目線でね。
実際には大人の人達は銀行に行ってたり、本土へ発つ船の情報を集めに走り回ったり、なんとか本土の実家や親戚宅へ疎開先の確保の連絡を取ろうとしたり、苦労は続いてたらしいよ。

私は身の回りの整理を済ませた後、何をすればいいかもわからずにね、ブラリとあの浜辺へ出かけた。
空は青くて陽射しはジリジリ、遠くの入道雲はモクモクと見えててね。夏真っ盛りだったよ。
浜茄子の花はとっくに終わってたけどさ、その日もそこに膝を抱えて座り込み、水平線をただ眺めていたの。

「何してるの?」

背中にかかる声を聞いて振り向いたの。ひろちゃんがいたんだよ。私の姿が見えなくなったけど、心当たりにドンピシャだなんて、私も単細胞な人間よね。
私は、この海の向こうからソ連軍は来るのかなぁ…それより平和な世の中が来ないかなあ…なんて事を考えてたよ、と教えたの。
ひろちゃんは言ってくれた。

「ともちゃん。今は大変な時期だけどね…きっとあんな大変な時期もあったね〜と振り返る時が来るよ。
世界中の人が仲良く暮らす時代でね、みんなが命を無駄にする事なくね、やりたい事をやってもっと良くしてくの。
だから、それまで頑張ろ!」

「うん」

「さ、手を繋いでお家に帰ろ!」

ひろちゃんは手を差し伸べてくれた。思い返せばいつも手を差し伸べてくれてた。私が思い出すひろちゃんは、いつも笑顔で「ともちゃん!」と呼んで私に手を差し伸べてくれていた。
そんな優しい姉だったの。

そしてまた一晩明けた。八月十一日。
ソ連軍は満州に引き続き、ついに日本領土の南樺太へも侵攻を開始したの。国境付近で日本軍と戦闘が始まった。

◆◆ 本章 ④ ◆◆

八月十一日。満州に続き、樺太日本領土へもソ連軍は侵攻。国境付近で日本軍も抗戦し戦闘。
日ソ中立条約は破られ、樺太の私達にすればとうとう開戦してしまったかという気分だよ。

日本は原爆を二つも落とされてるだろ?もうね…子供の私達にも敗色濃く感じていたさ。正直、今になって始まるのか?とも思ってたよ。私やひろちゃんは内心、平和主義者だったからね。

それから大人の人達は奔走してた。
早く逃げ出したくてパニックになる人達。もう駄目だ、終わりだと諦める人達。冷静な人達。兵隊さんと一緒になって戦うと言い出す人達。
漁師さんも多かったからね、人情も血の気も多かったのよ。いや、笑い事じゃなくてさ。

実はこの時から既に、南の港町・大泊から北海道の稚内へ疎開船は引き揚げ住民をね、一〜二往復は輸送してたみたいだったのよ。

後から知った話だよ。その事を最初はお金持ちは違うなぁと思ったけど、でもけしてそればかりという訳ではなかったんだ。
お金持ちなんてあの時代、本当に一握りよ。戦時中も穏やかで心のいい人達ばかりの土地だったけど、みんな生きるのに精一杯だった事は樺太も本土と変わらない。
要はお金持ちより情報持ち。そして準備をしていて、その時が来たらすぐ動ける人達だね。

危機感は日増しに増えてった。住民の動きもね。鉄道会社の父は休む事なく働きづくめ。母は家の事をまとめて、みえちゃんやお兄ちゃんもサポートしてた。私やひろちゃんも出来る手伝いは何でもしたよ。
人の動きを除いては街も海も、炎天下から見上げる夏空も、普段と何も変わらなかった。
つい不安をひろちゃんに打ち明けもしたんだ。ひろちゃん以外には、頑張ってる大人達には言えなかった。

「ひろちゃん、本当に樺太も戦争になるのかな」

「わからないよ。でもね、ともちゃん、私達家族はいつまでもみんな一緒だからね。頑張って乗り越えようね」

ありがたかったよ…

そうこうしてる内にね、家にも人の訪問がポツリポツリと増えてきた。最初は大人達から…みえちゃんやお兄ちゃんを、そして私やひろちゃんの同級生達も。
みんな、「樺太は終わりだ、樺太庁の大津長官からも全島民の避難指示が出るのも時間の問題だ」そんな空気の中、島から引き揚げて本土で世話になる実家や親戚宅の連絡先を交換しに来たんだ。

あの頃はもちろん携帯電話などない。遠くの人に会うにももっぱら手紙さ。手紙で何日に会いに行っていいか? そして先方から「いいよ」の返事が来てやっと会いに行く…そんな時代だよ。
いつの時代も人との繋がりはありがたいもんさ。

ちなみに…私が永介からFacebookを教わったのはね、もし当時の樺太を知ってる人でFacebookをやってる人がいたら繋がりたかったからなんだよ。出来る事なら…その頃の友達とかね。
そんな連絡先の交換をした所でさ…みんな離れ離れになってしまったからね。
そう、永介。実はばぁちゃんがFacebookをやりたかったのは、そういう訳だったんだ。
本当に便利な時代になったものだよ。あの時代に携帯電話やそんな物があれば良かったのに…

でも何せ高齢だろ?私がFacebookを使えるだけでも奇跡なんだ。なかなか当時を知ってる人とは繋がらないね。遺族とか戦争の歴史を研究してる人ばかりだったよ。

だけど一人だけ…本当に一人だけ。札幌に住んでいるという、当時を知る人と繋がったんだ。あの樺太を共有する人と。
聞けば樺太で住んでいた町も隣だった。浜茄子の花咲く浜辺も知っていた。何よりも…本土へ引き揚げる同じ船に乗っていたんだ。後で聞かせるけどね、その事に大きな意味があったんだ。
嬉しかったねぇ。パソコンの画面、その人の文字を見ているだけで涙が止まらなかった。

生きててくれてありがとう。
Facebookを使えるくらい元気でいてありがとう。
私と…繋がってくれてありがとう。

だけどね、それは束の間だった。

その人の投稿も個別の通信も、ほどなく途絶えたんだ。
渡辺さんって人だったんだけどね、気になり出して数日後。渡辺さんのタイムラインには、誰かからの
「渡辺さん、ご冥福をお祈りします。安らかにお眠り下さい」
という投稿があった。
また一人…戦争を知る人が去っていったんだ。

〜◆〜

話は戻るよ。
休校中だったんだけど、大事な話があるから島に残る全生徒は午前中に学校に集まるように、と連絡が来た。保護者も集まれるなら集まるようにと。いつもの様に、暑い夏だった。
八月十五日だ。もう何の日かわかるね?

正午前には校庭にみんな整列していた。天皇陛下からの直々の玉音放送だよ。正面にはラジオが置かれ、誰一人言葉を発する者はいなかった。

「朕 深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ノ収拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」

みんな声を忍ばせ泣いていたよ。
日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏の意思を国民に示された瞬間だった。アメリカ、イギリスなどの連合軍との戦争が終結したのさ。日本の敗戦をもってね。

二人とも、解せない顔をしてるね。そう、その通り。話はこれで終わらない。
アメリカやイギリスとの戦争が終わっただけさ。満州や樺太にとっては、つい数日前、ソ連との戦争が始まったばかりだったんだよ。

二人にはどういう事か、もう少し背景を知る必要があるね。

太平洋戦争末期、日本は関東軍も中国配置の軍も、ほとんどの戦力は南海戦線に引き抜かれていたんだ。
ところがその南方もことごとく撃破され、本土への空襲も激化し、そして八月六日、九日と立て続けに原爆を落とされた。
確かにそれは、日本に降伏を決意させた決定的な理由だろうよ。

八月九日までソ連軍は満州も樺太も侵攻してこなかっただろ?それまでソ連は日本に対して中立国だったんだ。ヨーロッパ戦線ではドイツ軍と戦っていたけどね。

私の学校には居なかったが、樺太にゃ日本人、ロシア人、朝鮮人の子供達も通ってた学校があったくらいだからね。だから私だってロシア人を見かけたこと事がないわけじゃない。
そういえば、例の浜茄子の浜辺で、よそから来てたロシア人の親子を見かけた事もあったね。あの子供も覚えているよ。綺麗な銀色の瞳、透き通る肌…天使みたいだなぁと思ってた。

あぁ、話がつい脱線しちゃうね。ばぁちゃんだからあれこれ話したくなるのは許しておくれよ。

とにかく日本は…むしろ和平交渉の仲介をソ連に期待してたのが本音だよ。
それが戦争も本当に末期の末期になって、ソ連は日ソ中立条約を破って日本に宣戦布告し、攻めてきたんだ。兵力の手薄になった満州や樺太に。
日本軍にもうまともにソ連軍と戦う力もないだろう?

南方の陥落、原爆の投下、本土はもはやまる裸。
それら決定的な降伏理由に加え、ソ連軍侵攻は仲介の期待が瓦解したトドメ。
ボクシングで倒した相手にね、馬乗りになって殴り続ける様なもんだと言えばわかるかい。

八月十九日。ついにソ連軍は日本領土・南樺太の西側に位置する真岡町に上陸目前と言われてたんだよ。
当時、子供だった私やひろちゃんには難しい事はさっぱりわからない。でも日本はもうこの時は降伏し、それを受けてアメリカやイギリスの連合軍も停戦したし、もう二度と日本軍も攻撃を仕掛ける事は出来なくなった。「降伏」と言ってから攻撃するのは後出しジャンケンと同じだろ?

でも最低限、自衛の戦闘だけはしなきゃならない。最低限もいいとこさ。兵力が既に最低限なんだから。後出しジャンケンされたのは日本だよ。弱り目にたたり目さ。
あの天使の様なロシア人のご両親も、こんな卑怯な人達と同じ人種かと思うと、本当に悲しかった。

両親や年の離れたみえちゃんの前ではメソメソばかり出来ないからね。泣き言はひろちゃんの前でだけ、その時もこぼしてたよ。

「ひろちゃん、戦争は終わったんじゃないの?なんで樺太はいつまでも戦争が終わらないの?」

泣き続けてたよ。じわじわと近づいてくるソ連軍が怖かった。
ひろちゃんは、わからない、わからないと私の質問を躱してたけど、あまりに私がしつこくて最後には怒られたっけ。

「ともちゃん!うるさい!とにかく今はお父さんやお母さんの言う事聞いて、乗り切るしかないの!」

そう、泣いている場合じゃなかった。

樺太の女性全員と十六歳未満の男児、いわゆる婦女子さ。それと老人は全員、北海道へ避難する命令が出た。
お父さんとお兄ちゃんは樺太に残らねばならず、家族は離ればなれになる事が決まったの。
それもとても寂しく悲しかったけど、お母さんはもっと悲しいはずなのに、とても気丈に頑張り続けた。だからこそ私もメソメソしてばかりはいられない。

大泊の港から二十日の早朝、出港が決まってた。
友達との本土へ引き揚げてからの連絡先の交換もいよいよ佳境よ。
学校の教師になりたいみよちゃん、お医者さんになりたいちぃちゃん。ひろちゃんと同級の二人が揃って私とひろちゃんに会いに来た。
二人は私達と乗る船は別々だった。私達家族は母の実家に行く事になっていて、その住所はひろちゃんが二人に渡してくれた。
みよちゃんが言った。

「ひろちゃん、ともちゃん、ちぃちゃん、絶対にまた会うべな!みんなバラバラになっちまうけど、必ず再会すんだからな!」

「うん、うん、みよちゃんもちぃちゃんも、元気でな!」

ひろちゃんも泣いてた。

「みよちゃん、ちぃちゃん、今まで面倒見てくれてありがと。次に会う時は、二人に負けないくらい私も背丈は大きくなってんかんね」

「うん、ともちゃん、楽しみにしてるべ!」

「したっけね〜」

「したっけ〜!」

北の言葉で「さよなら」って意味だよ。そう言って別れた。二人の背中を見送って私とひろちゃんは泣いた。あぁ、その時はみえちゃんが私達二人を慰めてくれたっけ。

そうして友達と別れたものの、まだ私は怯えてた。
十九日のソ連軍の南樺太上陸の秒読み開始。二十日の避難船の出港。どちらが先かと怯えてた。
この時間、何事もない事を祈った。

長い時間に思えたよ。

◆◆ 本章 ⑤ ◆◆

戦争ってゆうのは狂気だよ。人間の心を根っからぶっ壊してしまう。

そりゃそうだろ。味方も敵も、殺らなきゃ殺られるの極限の状態で戦ってるんだ。そんな状態で自分達が優勢になって、敵の砦のある市街地まで占領したらどうなると思う?

あんたらも、学校の歴史の授業では何年何月に関ヶ原の戦があったとか、桶狭間の戦があったとかしか習ってないだろ?

そうか、映画やドラマで観た事あるか。でもありゃぁ、戦ってる場面が殆どだろう?
私達ゃあね、市街地を攻められた後のその惨劇だけを、子供の頃から聞かされ続けてきたんだ。

何故かって、そりゃまさに現在進行形だからさ。
過去と同じ運命を辿りたくない。だから国は戦うんだという正当化の為さ。
だから自分達の本当にやりたい事も贅沢も我慢しなさい、というね…躾と意識をさせる為にね。

私もさ、今こうして七十五年前の事を話してる。

この七十五年は日本は戦争に巻き込まれる事もなく、平和で、豊かになって、文明も発展したね。そんな話を子供達に聞かせる必要はなくなった。でもその時代を生きた本人には鮮明に思い出せるものさ。

ところが奇しくもね…終戦の一九四五年も七十五年程前には戊辰戦争や西南戦争があった。日本人同士でさえ殺し合っていたんだよ。

樺太には北海道から渡った人も多かったんだよ。
新撰組の土方歳三は京都から甲府、江戸、会津若松、仙台、そして函館五稜郭。
やはり今の私と同じようにね、函館の当時の記憶が残る老人もいるわよね。
ましてや戊辰戦争以降の七十年は、あんたらの生きる七十年とは違い、日清・日露戦争、大戦も二度目でずっと戦争は続いてたのさ。
同じ民族同士の内戦と言えどもね、みんな同じさ。戊辰戦争の時の会津若松の市街戦も酷かったんだ。
戦争は狂気だよ。

ん?何の話だっけ?
ついまた老人の悪いクセで長くなってしまったね。
そうそう。極限の精神状態で戦ってきた兵士が敵国の市街地まで占領すればどんな行いをするかって話だったね。
殺らなきゃ殺られる。そんな戦場を進んで敵地を占領すれば、ずっと抑制されてきた「生きている歓喜」を現すんだよ。
どんな方法でって?それが狂気だよ。傍若無人さ。
破壊と殺戮、略奪と陵辱。
それを子供達にまで、具体的に想像できる位に刷り込ませてたんだ。

え?何だい?永介、お前「陵辱」を知らないのかい?言葉を知らないねぇ…ジャーナリストの端くれだろ?
ばぁちゃんはこれでも女だよ。女の口から言わせるんじゃないよ。強姦の事さ。
でもね、それが行き過ぎると何を意味するかわかるかい?美樹もわからないだろうね。
愛の結晶の子孫繁栄じゃない。その土地から、はけ口と暴力の末による民族の消滅だよ。

国を守る事、家族を守る事…それは同義語だったんだ。あの時代までは…。

勘違いされちゃやだよ。今を批判してるんじゃあないよ。あの時代が良くて、今がダメなんじゃない。
忘れた訳じゃないだろ。私は平和主義者さ。
子供達がそんな事を刷り込まれずに、それぞれのやりたい道に向かってゆける社会…それが当たり前な世の中、素敵じゃぁないか。
それが当たり前じゃなかった時代の住人なんだよ。私ゃね。

〜◆〜

お前まで何だい?美樹。あぁ、そうか。話の続きだね。
私の昔話は八月二十日まで…とうとう追いついてしまったんだね。私ゃ無意識にその話をしたくなくて、つい脱線してしまうかもしれないね。

その日は早朝から島の住民…と言っても、さっきも言った通り 老人を除いた十六歳以上の男性は島に残り、女子供、老人達ばかりさ。もう樺太庁の大津長官の送還命令が出たからね。
何千人という人数が三隻の避難船に分乗して北海道へむけて出港する手筈だったんだ。

暗い内から、港は大勢の人混みで溢れていたよ。そして続々と集まり続けた。大勢の人間が、疎開列車やトラックを使ってね。

我が家も例外じゃぁなかった。先に出発する私達女四人、父とお兄ちゃんが見送りに来てくれた。
ソ連軍の侵攻は、もう樺太庁の役場のある豊原市まで迫ってきていると言う。今日にもまたソ連軍は進撃して来るだろう。そんな日だった。

父は力強く言った。

「春代 (母)。この子達をしっかり頼むぞ。
美恵子。妹達の面倒を見て、お母さんの力になってくれ。
浩子。勉強頑張れよ。いつもみんなの中心にいたんだ。お前なら立派な大人になれんぞ。
朋子。お母さんやお姉ちゃん達の言う事をよく聞いて、お前も人に優しい素敵な女性になりなさい。お前は誰よりも優しい子だ。
いいか。少しの間のお別れだ。お父さんと利夫も必ず生きてお前達の元へ向かうかんな」

みえちゃんも ひろちゃんも 本当は泣きたかったに違いない。いや、泣いていたかもしれない。でも父の声に、気丈に「はい」と返事していた。

私は…嫌だ嫌だ、お父さんとお兄ちゃんとも離れたくない、とダダをこねていたよ。もう二度と会えなくなる、そんな気がしてならなかった。
いつもなら「メソメソするな!」と叱責するひろちゃんも、その時ばかりは何も言わなかった。やはり泣いていたんだろう。私の瞳は止まらない涙と、夜明け前の薄暗がりの中で、周りの景色が歪んで見えていた。
代わりに私を優しく慰めてくれたのはお兄ちゃんだった。

「朋子。約束すっから。お兄ちゃんもお父さんも必ず元気に生きて帰る。だから…泣いてちゃダメだろ?」

そう言いながら、優しく頭を撫でてくれていた。
周りの家族も皆、残される男達との別れを惜しむ、似たような光景だった。
ひろちゃんが言った。

「お兄ちゃん。待ってっからね。ともちゃんの事は私に任せて。みえちゃんの事もお母さんの事も、みんな任せて!」

「さすがだな!浩子!頼むぞ!」

本当に離れたくなかった。それからまた時間は経過し、父はまた言った。

「春代、お前達。すまね。俺も鉄道の方へ戻らなければなんね。最後まで見送れずすまね…だが信じて待ってでくれ。これは今生の別れじゃねぇかんな」

「はい。あなた。先に行って待ってます」

こんな時まで仕事だなんて、男は大変だとつくづく思った。
私達は父とお兄ちゃんと別れ、足取り重く桟橋を歩いた。私達は何度も振り向いて二人に手を振った。
これは永遠の別れじゃない、そう思うようにしてた。
ソ連軍もまた鼻の先まで来ているという状況。本当に…本当に二人が無事で帰還する事を祈りながら。

「小笠原丸」という船が既に出港していた。その船には、お医者さんになりたいと言ってた ちぃちゃん家族が乗船しているはずだった。
学校の教師になりたい みよちゃん家族は「泰東丸」、私達は「第二号新興丸」という船だ。
本当は仲良しだった友達にも、もう一度会いたかったよ。でもこの大勢の人混みから探すのは困難だと諦めた。
父に兄に、樺太で共に過ごした多くの友人達。いつか必ずまた会える。そう信じて。

小笠原丸には約千五百人、次に出港予定の第二号新興丸は約三千五百人、泰東丸には約八百人の島民が乗船した。私達家族が乗船する第二号新興丸が一番多く乗船する。元々は商業用の船だったらしいけどね、武装改造して、そりゃもう軍艦さながらだったよ。

あぁ、もう面倒だから船の名前は新興丸でいいね。
船に家族で乗り込む時、私は半分怖さも覚えたね。
十二センチ単装砲、二十五mm機銃連装などなどの兵装が見えた。もちろんそれは後から調べた事だけどね。子供だった私には「人を殺す兵器」ただ、そう目に映っていたから怖かった。
それでも船首にある「新興丸」の文字に、どうか私たちを無事に稚内へ運んで下さい…と祈ったものさ。

あ、先にね、途中で行き先が変更になった事を教えておこう。
最初は行き先は稚内だった。途中で無線通信が入ったみたいでね。先に発って稚内に到着した小笠原丸が千五百人の搭乗者のうち、八百人を下船させたら、もうそれで稚内の受け入れ体制は限界だったみたいなんだよ。鉄道ももう対処し切れなくなったらしいよ。
小笠原丸に乗った ちぃちゃんを想ったよ。無事に渡ったかなぁって。
それで小笠原丸の残りの乗船者も新興丸も、私達の後に発つ泰東丸も小樽に向かう様、指示が出たみたいだ。
私にすれば生まれたのは北海道でも樺太育ち。北海道での記憶なんかないからね。祖父母が戦前に樺太まで会いに来てくれた事はあったけどね。
父と兄はいないけど…それが家族で初めての船旅だった。悲しいじゃないか。初めての船旅が避難の旅だなんて。

〜◆〜

出航前にはスクリューに網が絡まってるとかね、トラブルもあったみたいだけど、ようやくね、港で大勢の人だかりに見送られながら、船は出航したよ。

残る父とお兄ちゃんの無事を思いながら…だけど心の半分は、渡る北海道での新しい生活に平和の希望を感じもしながら。
お母さんやみえちゃんには、明日から何をすればいいかもわかんない、不安の方が大きかったかもしれん。
まるでさっきから「子供だった」事を言い訳にしてるよーに聞こえるかもしれないけど、やっぱり子供はいいね。無邪気に希望を感じてるんだから。

側に立ってたひろちゃんに言ったんだ。

「ひろちゃん、お父さんもお兄ちゃんも、大丈夫だべか」

「大丈夫だべ。次に会う時までともちゃんは泣き虫を治さねーとね」

また手を繋いでくれたよ。
母が声かけてきた。

「ほら、あんた達もお母さんからはぐれんでねーぞ」

私達は甲板にいたのよ。三千五百人乗った船は四つある船倉もギッシリで、甲板の上も人で溢れていた。
大勢の人で溢れる中を、私達も甲板の上で過ごす事になったの。
陸が離れてゆく。やがて船は、水平線だけに囲まれて、私は海の広さを思い知るんだ。

私達四人の隣りには、よしこちゃんという二〜三歳の幼児と、そのお母さんが二人で座り込んでいた。
お母さんの年齢はみえちゃんと同じくらいか、もう少し歳上に見えた。そんな訳もあってか、みえちゃんとそのお母さんはすぐ親しくなって話してたよ。

「ご主人はどんなお仕事されてたんですか?」
「漁業関係です」
そんな他愛もない話さ。だけどみえちゃんも言ってた。二人の会話が聞こえてきたんだ。
「このお子さん達が成長する未来には、みんな平和で明るく暮らせる世の中になれるといいですね」
などとね。
あぁ、やはりみえちゃんも、私の姉だな…嬉しかったよ。

そうか。ははは、みえちゃん、久しぶりに話題に登場したってかい。ひろちゃんの話ばかりだったからね。
でもあんた達もみえちゃんがどんな人だったかはわかるだろ。あんたらには、ひろちゃんがどんな人となりか知らせたいと思ってね、ひろちゃんの話を中心に聞かせてあげてるのさ。

私とひろちゃんは、よしこちゃんの遊び相手になってたよ。可愛いかったよ。

「とーもーちゃ!ひーろーちゃ!」
と、私達の名前を覚えて呼ぶんだ。

子供にすれば長い船旅は退屈そのものだろ。
ジャンケン遊びをしたり、人混みの合間をぬって狭い範囲で追いかけっこをしたり、私達二人が交代で抱っこして水平線の彼方を見せてたりしたよ。すごく私達に懐いてくれた。
樺太で今、何が起きてるか知る由もなく、ただ無邪気に遊んでいる。その姿を見ているだけで、私達家族のささくれ立ちそうな心も癒された。

母は言った。
「ひろちゃんも ともちゃんも、もちろん みえちゃん、あんたにも。あんな時期があったんだよ」

ひろちゃんは冗談交じりに言った。
「私、妹を泣き虫のともちゃんより、よしこちゃんと交換しよっかなぁ!」

私は「やだ!」と言ってたね。ただ、私にも妹が欲しいなと思った。
みえちゃんが言った。
「私もね、十二歳の頃にともちゃんが産まれて、ひろちゃんも二歳で、今のあなた達みたいに可愛いがってたもんだよ」

よく考えるとそうだ。みえちゃんに私やひろちゃんみたいな歳の差の妹が出来た時、こんな感じで遊んでくれてたんだろなと想像した。何せ本人の私にはそんな記憶はないからさ。
私達は、みえちゃんの十二歳の模擬体験をしてるのだ。

やがて日が暮れ、よしこちゃんは遊び疲れてうたた寝を始めた。
雲行きは怪しかった。そして雨が降り出してきたんだ。みんな雨を避けられる所へ移動しようとしたけど、そんな場所は限られて狭い。よしこちゃん親子は優先させた。あとはみんな、毛布を頭から被ったりして凌いだ。
そう、船内はもう人が一杯だったしね。三千五百人の乗り合う船。

もちろんね。雨もいつかは止む。
でもね…その雨が止んでから、私の【やまね雨】が始まるのさ。

◆◆ 本章 ⑥ ◆◆

八月二十二日、まだ早朝。
雨上がりの空はまだ今にも降り出しそうで不安定だった。それよりも参ったのは海の時化だ。その揺れに耐えられずに酔って甲板に吐く人も多くいた。

私達家族もそうだった。私やひろちゃんもこんな長い船旅は初めてだし、母やみえちゃんも戦時中はずっと樺太から出ていない。久しぶりだったんだろね。私も出航前に炊き出しの人に頂いたご飯は全部吐いてしまったんじゃないかな。

よくさ、「気持ち悪くなったら、トイレで吐きなさい」と言うだろう?そんな余裕なんてあるもんか。船には三千五百人も乗っているんだ。行列でトイレ空きを待っている間に吐いてしまう。その行列に向かう途中で吐いてしまう。
甲板にいた人達は揺れだけでなく、雨に濡れた事や湿気にもすっかり弱ってたんだろね。

隣のよしこちゃん親子もすっかり参ってた。お母さんはよしこちゃんを抱きしめながら座りこんで、頑張ってねぇ、もうすぐだからねぇ、と声をかけ続けてたよ。

北海道北端の稚内であればもうとっくに着いてたであろう時間だったけどね、小樽に変更となったもんだからさ、移動は長引いた訳だろう。
おまけにこの海域は浮遊機雷もどこにあるかわからない。それは敵がまいた物かもしれないし、この新興丸も巻いてたってんだからね。慎重な航海を余儀なくされてたらしい。後から知った話だけどね。

そんなよしこちゃんのお母さんの「もうすぐだからねぇ」を聞いた心ない誰かが「んな事言ってもねぇ…今は留萌沖。まだまだだよ」と呟いてた。
みんなイライラしてたのさ。

そのうち何だかね、乗組員の兵隊さん達の動きが騒がしくなってきたんだ。
元々ね、右舷、左舷と浮遊機雷を注意深く警戒する見張り員はいたけど、その警戒ぶりのね、空気の張り詰め方が変わってきていた。

みえちゃんがコソリと聞いた話だとね、敵艦に警戒せよって話らしい。先を進む小笠原丸にも何かあったんじゃないかとね…甲板の上の人達もにわかにざわつき出した。

私もね、一気に緊張したよ。ひろちゃんがいつものように手を繋いでくれた。その手は一層力がこもってる様に感じた…ひろちゃんも緊張してたんだね。
そして私はその手の強さを一生忘れない…
そのうち、前方に船らしき影が見えてきたんだ。

永介。すまない。お茶のお代わりをくれないかい?
少し休憩させとくれ。

〜◆〜

前方の船らしき影…
敵?味方?
そして見張り員が何か叫ぶ声が響いたんだよ。
「らいせきー!!」

私達にその言葉の意味はわからなかった。

『ドガァァァァァーン!!』

とてつもない爆音と時化の揺れとは違う…そう、あれは震えだ。船の上なのに陸の上で感じる地震のような震えが足元を襲った。

「お母さん!何!?今のは!?」

みえちゃんも ひろちゃんも、母に詰め寄った。私はただ、訳もわからずにいたよ。だが母も何事かわからない。甲板の上はたちまちパニックさ。
誰かが叫んだ。

「魚雷攻撃だぁ!船倉にでっけぇ穴が開いたぁ!」

その叫びにもうね…戦慄だよ。全身を駆け巡ったよ。何が起きたのか訳もわからずにいたけど、直感は「この船は沈む!」と、危険信号を発してた。
「逃げなきゃ!」とも思った。思って「どこへ?ここは甲板の上だ」と思い直させられた。つまり思考も私達の身体も、もう行き場が無くなってたんだ。

後から調べたよ。見張り員が叫んだ「らいせき」とは魚雷の「雷」に史跡などの「跡」の文字で「雷跡」
魚雷が発射され、向かってくるのを確認した、という意味の言葉だったんだ。

二人とも いいかい?ここからはもう、私の実体験も、後で調べた内容も、混合して説明する事を容赦願うね。今みたいな「いちいちの説明」は省かせてもらう。
大事な事はそんな事じゃないからね。何があったかだけをその胸にとどめて欲しい。

甲板の上に呆然と立ち尽くしていると、グラッと船体が右に傾いてゆくのがわかったよ。
やがて阿鼻叫喚の呻き声が風に乗って聴こえてくる。どこから?
ゆっくりと首を海に向けると、大きな風穴の開いた船体から、船倉にいた多くの人が海に吸い込まれてゆく所だった。
キャーキャー、ワーワー、助けてくれー…何も出来ない自分が本当にもどかしかったよ。

ところが次の危機は雨や吐いた汚物で濡れた甲板の上よ。船首が前方に傾き、ここでもまた多くの前方にいた人達が多く滑り落ち、海へ飲み込まれてゆく。

キャーキャー、ワーワー。右も前も。

皆、何かに摑まり、海への落下を阻止せんと必死の形相だった。私達家族は傾く甲板の上で、私が怖がっていた砲門の影に身を保っていた。

今度は自分達の船からラッパの音が鳴り響くのが聞こえてきた。乗組員達に戦闘配置につけという合図だった。
私は両耳を塞ぎ目を閉じた。その片手をひろちゃんがまた取った。
「ともちゃん、手を離さないで!」

海の向こうから「トコーン」という音が鳴ったかと思うとヒュルヒュルヒュルという空を裂く音が近づいてくる。
次の瞬間。

『ザッパーーーーーーーーン!』

見下ろす近くの海に水柱が立った。怖くて怖くてたまらなかった。

遠くに潜水艦が浮上していたのが見えた。
ドコーーン!ヒュルヒュルヒュルヒュル…
ドコーーン!ヒュルヒュルヒュルヒュル…
ドカーーーン!ドカーーーン!
船に当たり出した。その音響の凄まじさたるや、腹の底まで揺るがし続けてた。

ベチャッ
近くに何かが吹き飛んできた。それが何なのか、ゆっくりと閉じていた目を開いて確かめた。
人間の腕だった。息を飲んだ。
ベチャッ ベチャッ
続け様に降ってくる肉片や体の一部。
たまらず私はギャーーーと声を上げた。ひろちゃーん!みえちゃーん!お母さーーん!と。

放たれた弾の一つは、船のデリック・クレーンに命中した。その爆音もまた大きくてね、私はバラバラの人の体から目を背けたかった事もあり、そちらを向き直ったの。
粉砕されたクレーンの鉄骨が甲板に降り注ぐ瞬間だった。その鉄骨は、海に投げ出されず甲板に踏みとどまった人達の上に落ちてゆく。
鉄骨にグシャリと圧し潰される者、串刺しになる者、半身を分断される者…あちこちで血しぶきが飛んでたよ。
どこを見ても地獄絵図だよ。

ヒュルヒュルヒュル…ドカーーーン!
ヒュルヒュルヒュル…ドカーーーン!

弾が降ってくる。
肉片が降ってくる。
鉄骨が降ってくる。
甲板の上は真っ赤な血の海と化していた。

「ひろちゃん!みえちゃーーーん!雨が!雨がやまね!やませて!このやまね雨をやませてーー!お母さーーん!」

「ともちゃん!手ェ離すなよ!」

みえちゃんもそばにいた。

「あんた達!こらえるんだよ!」

ようやくこちら側も反撃開始が始まった。
見ると弾薬庫から、兵隊さんも民間人も協力して弾薬をリレーで運んでいる。最初の魚雷攻撃で、弾薬庫の鍵を持つ兵隊さんが犠牲になったらしかった。
それで誰かが弾薬庫の扉をブチ破ったんだろうね。
反撃に時間を要したのは、そこからの運搬に手間取っていた事情もあったんだ。

新興丸も、十二センチ単装砲、二十五mm機銃連装、他にも積載されてるあらゆる武器が火を吹いた。
ドゴーーン!ドゴーーン!ドゴーーン!
ドカーーーン!ドカーーーン!ドカーーーン!
ザッパーーーーーーーーン!
ズッカーーーーーーーン!

爆音の雨は、新興丸からの発射音、敵の弾が命中し破壊する音との二重奏となり、ますます激しい土砂降りとなった。
そして新しい雨も加わる。

タタタタタタタタタタタタタタタタタタ!

敵艦からも、こちら側からも、機銃の一斉掃射の雨も始まった。

「伏せろーーーっ!」

甲板の上の人達に兵隊さんからも指示が飛んだ。
その指示が行き渡った様で、甲板にいる生き残りの民間人達も皆伏せた。
そう、船倉に退却した所でそちらも人で溢れているし、開いた穴から海水も多く流れ込んでいる。

「あなた達はここにいなさい!」

母は私達三姉妹にそのまま単装砲の台座の影だった。母もすぐそのそばで伏せていた。
少し離れた甲板の床には、よしこちゃんもお母さんにおぶられて親子で伏せている。

タタタタタタ!タタタタタタタタタ!

掃射も止まない。船に伝わる衝撃ももはや大砲なのか魚雷なのか判断はつかない。右に傾いたままの船体が震える度に、軽い私の体も放り出されそうになった。その都度、ひろちゃんの握る手に力が込められ、みえちゃんに抱き戻された。
私ももうその頃には泣いちゃいないよ。心はもう壊れてたんだ。

向こうの機銃の掃射が一瞬止んだ隙があった。

「今のうちに!船内へ移動出来る者は移動せよ!」

兵隊さんの声が響いた。
よしこちゃんのお母さんが立ち上がるのが見えた。私達も後を追った方がいいのか、母の判断を煽ろうと母の顔を覗いた。その直後だった。

タタタタタタタタ!

「ギャ!」

非情な叫び声が私達の耳にも届いた。

「よしこ!」

よしこちゃんのお母さんは、よしこちゃんを座り込んで床に下ろし、抱き直した。弾がよしこちゃんの背中に…

「よしこ!よしこ!よしこーーー!」

掃射がまた再開する中、お母さんの悲鳴が…

ごめん。
私まで泣いていたら、あなた達に全てを伝えると決心したのに…
役目を果たし切らないとね。

お母さんはずっとよしこちゃんに声をかけ続けてたよ。そして私達の場所からもよしこちゃんの顔がどんどんと蒼白になってゆくのがわかる。

「よしこ!ほら!もうすぐお父さんに会えるよ!もうすぐみんなでご飯よ!よしこ!ほら!頑張って!美味しいご飯が待ってるよ!貴方の好きなご飯の時間よ!よしこ!よしこ!よしこ!」

私もひろちゃんも、母もみえちゃんも、その一部始終をただ見つめる事しか出来なかった。

「よしこ!よしこ!よしこ!
ごめんなさい!お母さんのせいよ!よしこ!よしこ!ごめん!ごめんなさい!よしこ!よしこ!
私が!私がぁぁぁ!よしこ!あなたをおぶってさえいなければ!いなければぁぁぁ!あぁぁぁ!よしこ!よしこーーー!」

慟哭の雨も、止む事がなかった。

◆◆ 本章 ⑦ 最終章 ◆◆

ドゴーーン!ドゴーーン!
ヒュルヒュルヒュル…ザッパーーーーーーーーン!

そばでよしこちゃんの亡骸を抱きしめて、泣きわめくお母さん。

「ワァァァァァァァ!ワァァァァ!」

おびただしい血で赤い甲板。クレーンの残骸。数えきれぬ程の遺体の山。それも船首の傾きと戦闘の衝撃で何体も海に飲み込まれてゆく。

兵隊さん達はそれでも残された命を守る為に砲撃を続けていた。

私達家族は抱き合ったまま、目の前で二歳のよしこちゃんが犠牲になったのを目の当たりにして、すっかり身体が固まっていた。
その時、甲板で知らない誰かが一人、立ち上がって歌を歌い出したのさ。

「きぃみぃがぁぁよぉはぁ…」

次の小節を続く人もいた。自分達の闘志を奮い立たせようとしたのか、恐怖を間際らせたかったのか。そのどちらともなんだろうね。
私はまた目を閉じて、その歌声を聴きながら、学校の音楽の授業を思い浮かべようとしたよ。そして囁く様な小さな声で、私も合わせて「君が代」を歌った。
ひろちゃんも歌い出した。続いてみえちゃんも。
歌い終えて…目を開けばあの学校の教室だろう。教台に先生が立ち、周りにはクラスメイトに囲まれて、そして新興丸の出来事はすべて夢なんだ…
そう思いたかった。
目を開けた。やはりその惨劇は夢ではなかった。

私は母、みえちゃん、ひろちゃんに尋ねた。
「この雨…いつ止むの?」

「雨…止まないね…」

雨なんかじゃない。この戦闘は現実で、けして雨なんかじゃない。誰の目にも明らかなのに、みえちゃんが私に合わせて答えてくれた。

「死なないよ!死んでたまるか!お父さんとお兄ちゃんと約束したんだ!」

ひろちゃんが叫んだ。

「ここにいても危険なだけよ!船内に避難しよう!ね!お母さん!」

「そうだね。ここは危ね。まずひろちゃん、ともちゃんを連れて、体を低くして先に階段の入り口まで行って。みえちゃんとお母さんも後から必ず行くから」

ひろちゃんはまだけして「生」を諦めてなかった。私は…あの時の私はどうだったんだろう。
もうダメだ、ここで船も沈み、私達は父やお兄ちゃんに再会する事も出来ずに死ぬんだ…そう思っていたのかもしれない。とにかく自失呆然だった。現にその数分前に、よしこちゃんが息絶えてゆくのを見ていたばかりだ。足元がすくんでいた。

「ほら、次に攻撃が弱まった合間に階段の所まで行くよ!ともちゃん!」

そんな私の背中を押してくれたのは、やはりひろちゃんだった。

「ともちゃん。ひろちゃんが付いてくれれば大丈夫でしょ?ひろちゃん、私もすぐ後を追うよ。本当に気をつけて」

みえちゃんも言ってくれた。私はもう一度、枯れかけた勇気を出そうと思った。
ひろちゃんは勇敢だった。有言した通り、次の掃射が止んだ合間に、私の手を強く引き、体を屈めて駆け出した。
泣き続けるよしこちゃんのお母さんの横も走り抜けた。

船倉へ降りてゆく階段までは三十メートル程なのに、やけに遠く感じた。船体が傾いているせいもあるかもしれない。とにかく無我夢中だった。

タタタタタタ!

また機銃掃射の音が鳴り出した。撃たれるかもしれない…どうにでもなれ!そんな考えもよぎりながら、ひろちゃんに手をグイグイと引かれ、振り向かず走った。無我夢中で走った。もう…ただひたすらにね。何体も横たわる亡骸につまずきながら…踏みつけながら。
そうして出入り口の鉄の扉を開け、階段までたどり着いた。
それから一〜ニ分くらい経ったろうか。とても長い時間にも思えたけどね、次の機銃掃射の合間にみえちゃんとお母さんもたどり着いたの。
扉を閉めると、外の戦闘の音量が少し遠のいた様に感じた。

四人、また無事に揃った事を確認して、ひろちゃんは言った。

「さぁ、船倉に降りよ!」

四人で階段を降り出し、三段目にさしかかった所で私は…安心感からか、腰から崩れ出し、階段に座り込んでしまったの。ひろちゃんも、もう油断してたね。繋いだ手が離れたよ。

「どうしたの!?ともちゃん!」

「やだ、もうここでいい」

「何言ってるの!こんなトコじゃ、大きな大砲打たれて吹き飛ぶかもしれないんだよ!」

「もう、私、走りたくないよ」

頭の上から母とみえちゃんも私に声をかけた。

「ともちゃん、ひろちゃんの言う通りよ。多分、船首の方の船倉は水浸し。船尾の方へ進めば大丈夫よ」

「やだやだ!」

「ともちゃん!」

ひろちゃんが手を振り上げた。叩く前ふりだ。本気で叩かれた事はないけどね、ともちゃんが私を怒る時、いつもこの仕草をする。
でもこの時、私は叩かれようと何をされようと、本当にヘトヘトだった。
みえちゃんが、本当に私を叩くのかと思って声を張り上げた。

「やめなさい!ひろちゃん!」

でもね、その時のひろちゃんは、そんなみえちゃんの懸念もよそに、私の顔の前に手を差し出しただけだったの。そう、握手を求める感じよね。

「さぁ、ともちゃん、もう一度、この手を繋いで!」

そのまま私は、その手を受けずに座り続けてたよ。
何十秒くらいかな。外の戦闘の音はまだ止まぬ中、私達四人はその場で動かずにそうしていた…

「あっそ」

ひろちゃんは手を下げた。そして背を向けて階段を降りて行ったの。割と長い階段よ。

「あとはみえちゃん、ともちゃんの面倒を見てね」
拗ねた様にそう言った。

階段の下は広い吹き抜けになってて、船首の方と船尾の方へ繋がる通路が。そして互いの方向にはまた鉄の扉も見えたよ。
船尾へ向けて避難で走ってゆく人達もいた。みんな急いでた。
ひろちゃんは階段を降り切って振り向いたよ。

「お母さん!みえちゃん!早く!」

その直後だった。

ベキベキ!ガッシャーーン!
ドドドドドドドーーーーッ!

船首側のその扉をぶち抜いて、もの凄い轟音と共に大量の水が流れ込んできた。恐ろしい、津波の様な…暴れ狂う巨大な龍みたいに。
ひろちゃんが驚いたよな表情を見せたのも一瞬で、たちまちその水に飲み込まれた。

「ひろちゃん!」

私ゃすかさず立ち上がったよ。そして階段を降りようとした。

「あぶない!」

母とみえちゃんが私の体を止めたの。でも私は必死に振り解こうとした。
そして今度は私を止めた母も「浩子!」と叫んで階段を降りようとした。みえちゃんはそんな母の体も抑えた。

水は真っ黒で、そして凄い勢いでその吹き抜けになってる空間でゴウゴウと渦を巻き出した。水面から時折、人の体の一部が見え隠れする。何人か飲み込まれていたはずだ。

私はまだ諦めたくはなかった。そのどれかの手を繋いで引き上げれば ひろちゃんが…ひろちゃんが…
水位はどんどん上がっていった。

「ひろちゃん…ひろちゃん!ひろちゃーん!」
「浩子!浩子ーー!」

水流の流れの轟音にかき消されながらも、私と母は叫び続けた。みえちゃんは…本当はみえちゃんも叫びたかったに違いない。でも今にも後を追いそうな私と母を力一杯取り押さえている事で、声も出せなかったんだと思う。

そして一瞬。ひろちゃんの上体が水面から顔が出た。顔から血を流し、変形していたようにも見えるけど、私がひろちゃんを見間違える訳がない。もの凄い水流と渦の中で、船内のあちこちに体をぶつけているに違いないんだ。目はうつろだ。

「ひろちゃん!」
「浩子!」

私も母も同じ思いだったろう。今にも飛び込みたかった。みえちゃんの制止さえなければ。
グルグルと渦を巻く中で、もう一度、ひろちゃんの上体が出た。何か言った。口から水を噴き出しながら。

「生ぎろ!」

私にはそう聞こえた。ひろちゃんの最期の言葉は断末魔などではない。私達に「生きろ」そう言った。

「ひろちゃん!ひろちゃん!やだやだ!ひろちゃん!やだー!死なないでー!」

力の限り叫んだ。
ひろちゃんの姿は二度と水面の上には現れなかった…

やがて渦は収まるも水位は上がり続け…私達の立つ階段の上から三段目。そのすぐ足元まで上がっていた。そこが九死に一生を得るボーダーラインだったんだ。

私達三人はそこに座り込んでいた。ついさっきまで四人でいたのに…三人だ。誰も口を開く者はいなかった。またしても私は…夢じゃないかと思った。夢なら覚めて…心からそう祈った。
外ではまだドカン、ドカンと戦闘の音が鳴り止まない。

「不条理」は、私から…大切な姉を奪い去っていった。

〜◆〜

何でもないような事が…幸せだったと思う…
何でもない夜の事…

〜◆〜

どれ程の時間が流れたろう。
ザッパーーーーンという大きな水柱が立つよな爆発音が聞こえ、暫くして甲板に歓声が湧いた。そしてそれ以降、砲撃の音は止んだ。

私達親子もフラフラと甲板にまた出た。
海上には黒い液体が広がっていた。おそらく重油だろう。乗組員の兵隊さん達が、敵の潜水艦を撃沈させたと言っていた。

どうやら…私達は助かったらしい。その事がわかった。

「終わったのね…」

みえちゃんがボソリと言った。それに対して母は黙って頷き、膝から崩れて、そして激しく泣き出した。
私もつられて母を抱きしめて泣き出した。
その上から、私達を包み込むようにしてみえちゃんがかぶさり、そしてみえちゃんも泣き出した。
涙が枯れるまで…三人で泣き続けた。

〜◆〜

機関を何とか損傷を免れた新興丸は、小樽行きを断念し、そこから一番近い留萌港へ向かう事になった。
だけどね、水もたっぷりと含んでしまい、船も元々の12ノットというスピードはもう出せなくなって5ノットという通常の半分以下のスピードで海を進んだ。
留萌に着岸すると一斉に乗員は下船させられた。
母はひろちゃんの捜索を申し出るけどね、それは叶わなかった。船首部分は沈んでいったんだよ。

生死を分けた階段の三段目。私に力があったなら…
ひろちゃんが差し伸べた手を取り、降りないと強く彼女を引き寄せていたなら…あんな事にはならなかったのに。
私は自分を責めた。いつも手を繋いで離さなかったひろちゃんの手を、私から離した。
母も別のタラレバを口にした。いや、私がそもそも船内へ行かせようとしなければ…と。
そして母は、みえちゃんをも責めた。何故、あの時行かせてくれなかったの?と。みえちゃんは泣きながら言った。

「お母さん、お母さんまでいなくなったら、お父さんも利夫も悲しむでしょ。あの時…お母さんまで逝ってしまえば…ともちゃんまで行こうとしてたじゃない。二人にまで逝かれたら…私一人ぼっちじゃない。私一人で…私一人で…」

そう言ってあの一番年長の姉のみえちゃんも激しく泣き出した。

悲しみはまだ続きがあったのよ。

新興丸が攻撃を受ける一時間前、朝の四時頃。
ちぃちゃんが乗っていた小笠原丸もやはり潜水艦の攻撃を受けて沈没。
更に九時頃、みよちゃんが乗ったはずの泰東丸も潜水艦の攻撃を受けて沈没。
ちぃちゃんはお医者さんに。みよちゃんは学校の先生に。ひろちゃんは女の政治家に。それぞれなりたいと願った夢は永遠に叶わなくなったんだ。
一日で枯れ落ちる浜茄子の花みたいにね、彼女達の花もあの夏…散ったんだ。

〜◆〜

それからというもの、私達家族は母の実家で世話になるんだ。母の弟…私とみえちゃんからすれば叔父だね。美樹も会った事はあったかなぁ。義雄叔父さんに、蔵を分け与えてもらうんだ。
そこで母も漁業手伝いで、みえちゃんはやはり裁縫の仕事で生活を繋いだよ。

あぁ、その時に、最初の方で教えた「デノミ」って事も日本では行われたのさ。あれも世の中を変えちゃう大変な事なのよ。
簡単に言うとね、国民全部の預金を封鎖して、その間に新しい通貨を出すんだよ。そしてね…新しいお金の価値をグンと上げちゃうんだ。合わせて物価も上がる。
そして旧通貨の金額は…新通貨に両替すると、グンと価値が下がってしまう事さ。わかりづらいかい?
例えばね、今の一万円が一円くらいに下がるのさ。
何故そんな事をしたかって?そりゃね、永介。戦争で日本はもの凄い借金が残ったからだよ。

二人ともこれでわかったかい?
最初に言った、これが平常時ではない、世の中を変える『異常時』の四つの条件だ。
おさらいするよ。

まず一つ目に今みたいな疫病のパンデミック。

二つ目に震災、台風、豪雨などの天災。

三つ目がクーデターやデノミ、社会の仕組みや構造を反転で変えてしまう事件や出来事。地下鉄サリンなんかもある意味じゃクーデターだ。

そして四つ目で一番地獄なのが戦争さ。

まだみえちゃんが生きてた頃…美樹にみえちゃんが言った事があるだろ。
「私達姉妹には、恐怖が欠落してる…怖いものが無い」ってね。
そりゃぁそうだろ。その四つの条件全てを経験してきた。そしてその中で戦争を一番最初に経験してる。
命さえ落とさなければ、感じる恐怖なんてね、全て幻想だよ。

あ、ちなみにね。
私達が留萌に着いてから二年の歳月が流れ、父とお兄ちゃんも樺太から引き揚げてきた。
樺太に残された人達の苦労も聞かされたよ。この戦闘を三船殉難事件と呼ぶんだけとね、それがあって結局、島内すべての婦女子・老人の送還は断念したからね。日常茶飯事の強奪、強姦…女性は男装したり、命を守る為に朝鮮人と結婚して生き延びていった。
そんな樺太から、二年で戻ってこれたのも奇跡さ。ありがたかったね。

家族は五人になったけど、父と母は新しい家を建てて引っ越し、私達はひろちゃんの供養を続けながら新しい出発をしたのさ。
それからは美樹もわかるだろ。今に至る、だ。

私も成長し、みえちゃんとも大人の会話が出来る様になってきた。そこで誓った事があるんだよ。

私はずっと、ひろちゃんに手を繋いできてもらった。そしてあの時、ひろちゃんの手を取らなかった。
これからは一人一人、浜茄子の花達が私が差し伸べる手を必要とするなら惜しみなく手を出してゆくよ…とね。みえちゃんも賛同したよ。
なんて事はない。私が若者を援助してきた理由なんてそんなもんさ。
ひろちゃん…みよちゃんやちぃちゃん…未来ある大勢の不条理な死…生き残ってしまった私の免罪符にしたかったのかもしれないね…

どうだい?スッキリしたかい?私はあんたらに話す事で、ひろちゃんの供養が出来たようですっかり心が浄化したよ。
ここまでで回収し切れてない疑問はあるかい?

え?何?一九九五年の私とみえちゃんの北海道旅行?あれから私が自叙伝執筆を止めたって?

美樹、よく覚えてたね。あんたもさすがにこの家の血を継いでるね。
察しの通り、あの年に私とみえちゃんの旅行の先は留萌だよ。ひろちゃんの供養の旅さ。
わからないのかい?一転して鈍いねぇ。
終戦が一九四五年。そしてその年、一九九五年は?
そうだろ?ひろちゃんの五十回忌だろ。さらに今年は終戦から七十五年だ。運命を感じるね。
幕末の戦争から七十五年ほどで太平洋戦争終戦、更に七十五年で今だよ。

あの時ね…自叙伝を書くよ、そしてこの樺太の話もひろちゃんの事も全て書くよ、と みえちゃんに伝えたんだ。留萌の沖を眺めながらね。
ところが みえちゃん、あの分からず屋め。反対しやがってさ。ひろちゃんの事は私達の胸の中に…墓場まで待ってゆこう…なんて言いやがったよ。
な〜に、口悪く言ったって構わないさ。時効だよ。
それでなのよ。みえちゃんが亡くなった後に永介にブログやらSNSやらコッソリと教わり出したのは。
もう私の好きにさせてもらうと思ってね。

え?何だい?永介。最後に今の人達に伝えたい事があるかって?

そうだね…

「人生、速いし儚いのよ。こうして不条理に幕を下ろす事もあるの。だから一瞬一瞬、やりたい事を一生懸命やらなきゃ。もっと生きたかったのに、不条理に犠牲になった人の分までね」

そう伝えたいね…
ところで東京オリンピックの話もしてくれと言ってたね。悪いけど私ゃもうこれで胸が一杯だよ。
もうこれで何も思い残す事はないよ…

あ…ごめん。思い残し…あんたらに一つずつ、まだあるわ…

〜◆〜

母は私達にすべてを語る事で、ブログもやめ自叙伝執筆を完全に断念した。
しかしこの戦闘…三船殉難事件(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸のソ連軍(と思われる)潜水艦による襲撃)と、ひろちゃんとの思い出を語り継ぐ事を諦めてはいない。
そう、あの話を私達に聞かせたのは、母の巧みな永介への扇動だった。

母の思い残しの一つ。

「どうだい、永介。あんたはただ、雑誌の記事を書くだけでいいのかい?私ゃ四年かけてわかった事がある。それはね…文章力がない事だよ。
あんたがここまでの話をレコーダーに録音したんだろ?あんたが私に代わって書きたくないかい?」

まさか、やりたい事をやれよ、のメッセージの後にそんな事を訊かれて、永介も断りようがないだろう。同情する。

思い残しの二つ目。それはみえちゃんと母から私に向けられた。

「みえちゃんの和裁の専門学校、今は人に任せてる。みえちゃんがとても信頼してた片腕存在だった人だよ。いや、私も信頼しているよ。
実はね、私はその専門学校の名ばかりの会長をやっててね。その人も承諾しているのさ。
私もその人も、あんたが経営をしたいと言い出したら、経営権をあんたに譲るという みえちゃんの遺言の条件をね。もちろん、公的な力がある遺言さ。

どうだい?やってみたくはないかい?お前もアパレルの店長をやっていたんだ。財務諸表くらい見れるだろう?それにその業界で積んできた経験は必ず役に立つはずだ。
これから四、五十代のリストラは拍車かかってゆくよ。再就職先だって簡単に見つからないだろ。A.I.化とか、難しい事は私はわからん。でもね…経営だけはA.I.なんかじゃダメさ。人がやらねば。

もちろん、条件はある。
お前がやりたいと言い出すまで、その人が留守番してくれてたようなもんだ。ただし、一年間はその人の元でしっかり経営を学ぶ事。そしてお前が社長…というか、校長か。そこに就いたらその人を会長、私は晴れて隠居だ。
どうだい?やりたいか?」

やれやれだ。母はコロナショック以前から、アパレル業界の衰退をメルカリなどの台頭や、若者の物欲減少などから予測していたらしい。
もちろん、アパレル業は必ず盛り返す。私は今もそう信じてはいる。でもその為の知恵も、ベテランの経験則より若手の自由で創造的な感性から生まれてゆくだろうと言っている。
そんな事、私にすれば遠回しに「もうお前じゃないよ」と言われているようなものではないか。

答える時間をもらって、私も永介も最終的には母の話を受けた。久しぶりに意欲に満ちている。
今日も私はキッチンでコーヒーを淹れ、自室に戻ってオンラインでその人から経営の講座を受けねばならない。来たるアフターコロナに向かって。

そう、母はコーヒーよりお茶が好きだ。たまにはお茶でも注いで、部屋に運んでやるか。

母の部屋をノックした。「はーい」と返事がする。

「入るわよ、お母さん」

ドアを開けると母はベッドで背中を向けて横になっていた。

「お母さん」

母はノソリと体を向け直し、私の顔を見つめてニコリと微笑んだ。そして私に向かって言った。

「ひろちゃん!手ェ繋ご!雨は止んだから、浜茄子さ見に行こう!」

ゆっくりと手を差し伸べて。

〜完〜


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