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お母ちゃんの味

「疲れちゃったから、今夜は手抜きしてもいい?焼きそばだけなんだけど。」と私。
「焼きそばは、オレの最近の好きなごはんベスト3に入ってるんだよね。いいよ。」と息子。

「お!じゃあ張り切って作るね!」

なんのヘンテツもない焼きそばだ。
だけど愛情だけはタップリ入っている。(つもり。)
普通の焼きそば麺に、自己流の味付けをプラスして親子二人でモリモリ食べた。
「ごちそうさまー。美味しかった。」
その言葉が聞けるのが最高に嬉しいし、幸せだ。

・・・・・

私の母は料理上手だった。
手際も、味も、盛り付けも天下一品だった。
母が魔法のような手つきで料理を作っているのを見ているのが楽しくて楽しくて、子供の頃は飼っていた犬と一緒にいつも隣で見ていると、「はい、味見。」と、一口食べさせてくれたりして嬉しかった。

その母は事情があり、私が中1の時に家を出て行った。

父と兄と私の3人家族となり、必然的に料理を始めとする家事は私の担当になった。
母の料理を見てはいたが、キチンと教わってはいなかったので、
私の当時の料理の先生は、レタスクラブやオレンジページなどの雑誌と、料理番組しかなかった。

中学の帰り道に制服のままスーパーに寄り、食材を買い、帰宅し、洗濯を終えたら料理を始める。
 最初は、鶏もも肉と鶏むね肉の違いや、豚バラと豚ロースの違いも買い物の仕方も調理法も分からなくて手探りだった。

ただ、野菜の切り方や、炒め方、茹で加減などは母のやり方を薄っすら覚えていた。

当時は学校に手作り弁当を持参せずに、買い弁の子は殆どいなくて、同級生に「お前、弁当ないの?お母さんいないの?」と聞かれるのが嫌で、朝6時起きで兄と私の分のお弁当を意地で作っていた。

そのうち楽しくなってきて、高校生の兄の弁当に焼き海苔をハサミでひよこ型などに切り、ごはんの上に乗せ、タコさんウインナーを作ったり、星型のポテトフライなど、今で言うキャラ弁の様な可愛らしいお弁当を作っていた。
兄は「いつもありがとう!」と残さず食べてくれたが、数年後に兄の友達に「お兄さんはカワイイお弁当で同級生にからかわれていたんだよ。でも、何も言わず全部食べていた。妹さんが作っていたんだね。」と言われた。
お兄ちゃん、恥ずかしかっただろうな。ごめんね。でも、いつも喜んでくれて嬉しかったな。

高校生になり、学校で調理の授業があり、3年間で和、洋、中の初歩から、フルコースまで教わった。

その頃私は、居酒屋でアルバイトもしていて、営業前の賄いをスタッフ皆で食べる時、マスターや、板前さん、出稼ぎに来ていた外国人さんにいろんな料理を教えてもらった。

就職して、先輩や上司に行ったこともない、食べたこともない料理屋さんに連れて行って貰い、こんな美味しいものがあるのか!ステキな盛り付けだな!と感動し、店員さんに作り方を聞きレパートリーを増やしていった。

その後は、変なこだわりで、市販のルーや麻婆豆腐の素みたいな便利なものなどは使わずに作っていた。

子供ができ、仕事と育児に追われそんなこだわりはあっという間に飛んでいった。

美味しくて、楽しくて、喜んでくれれば何でもよし!

いかに予算内で、時短しつつ、美味しいごはんを作れるか。味だけでなく見た目や香りも大切に、温かいものは温かいうちに、冷たいのもは冷たいうちに食べてもらえるか。

そして喜ぶ家族の顔が見れたら幸せ!

そう思うようになった。

・・・・・

私が就職して、お給料をもらうようになり毎年母の日に花束を届けるようになった。
母は、長い間私を拒絶(私は軽いDVもされていた。このことは父にも兄にも言ってない。後で母が謝っていた。それでも母を恨めなかったし、母のことが好きだった)していたが、受け入れてくれ、年に数回母の家に行き手料理を食べるようになった。

(母と孫、よくケンカしていた。)

わずか数年後、母はガンになり気付いた時には末期であった。
私達は一緒に買い物したり、映画を見たり、お茶したりという普通の母娘らしいことをしたことがなかったので、それまでの時間を埋めるように通院の合間に二人で出掛けた。

母が在宅治療の頃は、テーブルいっぱいに様々な手料理を作り食べさせてくれた。
「ああ、懐かしい味だ。何を食べても美味しい。信州出身の祖母の濃いめの味付けに似てる。丁寧な野菜の飾り切りも懐かしいし、新鮮な魚を捌いて握り寿司にするのも本格的だ。」
子供の頃大好物だったバターのたっぷり入った、洋風の肉じゃがも絶品だった。
大人になってから一緒に料理したのは一回だけだった。
もっと教わっておけば良かったな。

みんなが美味しい!って喜んでくれたらお母さん幸せなの!と、母は言っていた。

入院し起き上がれなくなり、食事も食べれなくなり、残された時間が少ないのが寂しかった。
どんなに痛くても我慢し、お世話をしに来た看護師さんに冗談を言っては笑わせ、病室の空気を明るくしていた母の側にいたくて
仕事前、休憩時間、仕事終わりにバイクを飛ばしてお見舞いに行った。

同時期、父も入退院しており、両親の看病と、仕事と育児で駆け回り、私はいつ寝ていたのか記憶にないが、とにかく母娘の時間を取り戻したかった。

仕事の休憩時間、仕事の制服のままお昼に自分で作ったお弁当を持ってお見舞いにいくと、母は自分は食べれないのに「沢山食べなさい!」と私が食べるのを嬉しそうに見ていた。
末期なのを知らなかった母は、「元気になったらまた一緒に作ろうね。」とニコニコしていた。

お腹の中いっぱいに花の種状のガンが広がり、数カ月も何も食べていない母のお腹は腹水でパンパンだった。
鎮静剤が使われるようになり、母は殆どの時間を寝て過ごし、目が覚めても幻覚が見えるようになっていた。
短時間だけ覚醒し会話ができたある日、
「お母さん、食べたいものある?」と聞くと、
消えそうな小さな声で「イチゴとメロン。」と言った。
直ぐに担当のドクターチームに相談したら、主治医はミキサーでペースト状なら、と許可してくれたが若くて勢いのあるドクターは、誤嚥の可能性があるから絶対ダメです。と言い、暫く言い合いになった。
「食べることが大好きだったんです。残り少ない寿命が縮んでも良いので、どうか母に好きなものを食べさせてあげることを許してください!」と懇願した。若いドクターもついに折れ許可が出た。

自分では食べたことのないような高級なイチゴとメロンを購入し、ミキサーでペースト状にし、それぞれタッパに詰めた。

母の最後の食事。

ティースプーンに軽く一杯、イチゴを口に入れた。
「あー、大好きなイチゴ、甘酸っぱくて美味しいね。」
メロンも一口
「甘ーい、これは美味しいメロンね。」
一口ずつ食べると
「お腹いっぱい、美味しかったー。ありがとう。」
と寝てしまった。
残りのイチゴとメロンを私が食べる。
「一緒に食べると美味しいね。」
私は寝ている母に話しかけた。

・・・・・

息子が中学生になると息子とその友達が「お腹空いたー!」と帰って来る。
お母さんのお仕事が終わるのが遅くて待ちきれない子も多かったので「ちゃんとお家で晩ごはんも食べるって約束だよ!」と言いながらいろんな料理を作ってみんなでニコニコ食べた。

学校が休みの日は、たこ焼きパーティーをしたり、餃子をみんなで包んで焼いて食べたり、お菓子を作ったり、なんてことない料理でも、美味しい!美味しい!とみんなで食べてくれる。

「旨いだろう!食え食え!」と張り切ってなんでも作った。

ちょうど病気で休職中だった私の楽しみだった。

息子が高校生になるとめでたく?反抗期に突入した。
私が夜勤明けにヘロヘロで帰宅すると、作り置きしておいた夕飯が、作ったそのままで手をつけられておらず、反抗期だからしかたないよね、成長の証だし。どこかで友達と食べてきたんだろな。と、涙を浮かべながら自分で処分する日も増えた。

息子が浪人中、目指す大学の学費のための貯金と、ガンの闘病中で休職していた私の代わりに生活費を稼ぐため、コンビニの夜勤のバイトをしていた息子が「夜勤てキツイんだね」と言い、私の体調が悪いときは料理をしてくれるようになった。

中でもサバとトマトのパスタは絶品で、今でも作ってもらうことがある。

(小学生の時、友達の誕生日のためにアイスケーキを作る息子。)

・・・・・

「○○さんて、本当に料理が好きだよね。」
息子は私のことを「お母さん」ではなく、名前に「さん」付けで呼ぶ。

最近は私の作った料理で気に入った時は、息子が私にレシピを聞くようになった。

元旦那のお母さん(息子にとっては父方のおばあちゃん)の家に手伝いに行くと、おばあちゃんを労って息子が料理をしたりするようだ。

おばあちゃんは私に
「あの子の料理はホントに美味しいのよ〜、あなたに似て料理が好きよね!」と言う。

暫くおばあちゃんの家に行き、帰宅すると「ニンニクの効いた料理が食べたいな。」とリクエストしたりするので、「いいよー。」と何品も作る。
「うめぇな。」
私はお酒をチビチビ飲みながら、息子はお酒が弱いのでお茶を飲みながら食べる。
たまに「一口ちょうだい。」とビールを飲み、「合うねー。」と大人っぽい口ぶりをし思わず笑う。

・・・・・

お母ちゃんの味、覚えていてくれるかな?

その先の孫たちにも受け継がれるのかな?

なんて楽しい夢を思い浮かべながら、今日もお母ちゃんはごはんを作る。


 (ある日のたこ焼き。いろんな具を入れて。)

(中学生の頃、我が家に通っていた子達が数年振りにお昼ごはんを食べに来た。)

(私の仕事の時のお弁当。夕飯の残り物で全体的に茶色くてキャラ弁とは程遠い。)

「お母ちゃんの味」の続編「おばあちゃんの味」です。
良かったらこちらも読んでみてください。

読んでくださりありがとうございます! 嬉しくて飛び上がります♪ 私の心の中の言葉や絵を見て何か感じてくださればいいなと願いつつ。