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50年という月日


とある作家の写真集を探す。1970年代より活躍する作家の初期の著作がほしいと思ったからだ。しかしその作家の初期の著作はほとんどがすでに絶版となっていた。 この世の中で永遠ということはない。いつか廃れる、あるいはいつか伝説になるかもしれない。ただ、伝説になるということは困難なことであり、やはり廃れる方が圧倒的に多いということは事実だと思う。 ただ、昔の作品を蘇らせることもできる。 私自身が蘇らせるのは祖父の俳句。 高野素十先生、倉田紘文先生を師として昭和20年代より創作した俳句が400首くらい遺っている。 俳号を一芝といった。 祖父から芝のように真っ直ぐに生えていきたいという想いが込められていると聞いたことがある。 祖父が遺してくれたものは私には宝物でずっと向き合いたいと思っていたけれど、なかなか向き合えなかった作品だ。 これらの作品と向き合いながら私は前に進みたい。 亡くなってから30年以上の時が経ち、60年以上前に作られた祖父の俳句を今一度、この世に蘇らせたい。私が記憶している限りは祖父は死なない。 だけど私が死んでしまったら祖父は消えてしまう。自転車の後ろに乗せてもらって東富山の駅で飲んだ缶コーヒーの味も「じゅんちゃん」とは発音しづらかったのかいつも「じんちゃん」と呼ばれていたことも全部なくなってしまうようで… 私が生まれる前の年、昭和56年歌会始の儀で祖父の短歌が入選し、皇居へ参内した。 俳句を専門としていたけれどたまに和歌も詠んでいたらしい。 お題「音」 山葵田の 葉陰をもるる 水の音 七戸となりし 村のしじまに おじいちゃん、また出逢うことができるよね? たくさんの作品と心を遺してくれてありがとう。 これからしばらく祖父と出逢うための旅をしたいと思う。

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