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''推し"がいる心情をシェアしたい

''推し''
この言葉が日常に馴染んでから
どれくらい月日が経つでしょうか

言葉は生きている
嘗ては使われていた言い回しが
時と共にお目見えする機会が減ると
「死語」だなんてレッテルを貼られてしまいます
レッテルを貼られた言葉は登場頻度が
低くなっていくことが多いでしょう

この言葉を使うと恥ずかしい
場の雰囲気が白けちゃう
世の中についていけてないのかな

時代とともに飛び交う語彙も
変化するのが面白い言葉の文化

たとえば
韓国発のアイドル
BTSはかつて防弾少年団という名で
活動していました。吉本新喜劇に出演した当時はまだ世界的ブレイクする前で初々しい姿が楽しめます

ぼうだんしょうねんだん?
...名前ダサい

当時はそう思っていました。今でもこの名前はナイだろうと意見は変わりません。しかし、今のBTSの活躍と地位を知ると「この名前の頃から応援している自分は見る目がある」という自信と愛が湧き上がるアミ(BTSのファン)がいることでしょう。今ではすっかり根付いた自己肯定感という言葉は、推しの出世により益々プラスの感情が加算されていくのです。

私は''ニワカ''に加えてファンクラブにも入っていない、ライトにBTSを楽しく辿っている下層階級です。そんな私にとって、深いファンが巻き起こす炎は羨ましくもあり時には身が焼かれそうになる存在

''推し''がいる
''推し"をどれだけ愛してる?
それは推しじゃないよ
軽い趣味

振り返ると、"推し''は趣味が膨らんだ進化系のポジション
"推し"と宣言することによって
自分自身にやる気スイッチが入り
元気が湧いてきます

そういう意味で''推し"は今後も生き残る言葉かもしれないと勝手にメをつけています

推すのは「人」だけにあらず

"推し"=趣味の進化系はフィクションの主人公だったり、その世界観だったり...旅行先の国とか毎日食べたくなる食品だって''推し''

自分がそう思えたら推し活している

"推し''てる温度が違えども
違うモノを''推し''ていても
好きな気持ちをシェアできた

それでいいじゃないの

noteには沢山の推し記事が
溢れています

その中の一つを以下に引用させていただきます↓

フィクションとノンフィクションが入り混じる世界に現れた

ただの、美人

この美人がどんな容姿なのか
気になるばかりです


自分の推しには
極上の首飾りをかけたい
Junko Summer


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