最期のおにぎり
紫陽花がお花屋さんの店先に並び始めましたね。
紫陽花を見ると、どうしても
母のことを思い出してしまいます。
紫陽花は、母が一番好きな花だったから。
母は7年前の夏、長男が3歳の時に亡くなりました。
鬱病でした。
若いころから鬱病を患っており
自律神経の不調から眠れないことも多かった母。
でも、私が大人になってからは
比較的安定していてそんなことも忘れて過ごした時期も
長かったんです。
それが…いろんなことがきっかけで再発し
亡くなる半年ほど前から症状が酷くなっていきました。
私は大阪に家族と住んでいて
母は香川の実家で父と2人暮らし。
当時、父は仕事が忙しかったこともあり
私も、当時横浜に住んでいた妹も、伯母や母の友人も
毎日のように母と電話して、何とか病状を保てていると思ってたんですが
その日は突然でした。
母は子どもが大好きで大好きで、
子どもを見てたくて、子どもを抱っこしたくて、
それで保育士になったくらいでした。
スーパーで小さい子を見かけると
ちょっと怪しまれるんじゃないか?とおもうくらいに
じーーーっと観察してたっけ。
「あの子、あんなことしよる♥可愛いなぁ」と呟いて。
そんな母は第3子となる妹を出産後に鬱病を発症し
保育士の仕事は引退したのですが
子どもが発表会で
歌やお遊戯をするところを見るのが
やっぱり大好きだったんですよね。
ほら、テレビの番組で
「おもしろビデオ投稿」みたいなの、
あるじゃないですか。
幼稚園のお遊戯会の映像になると
画面の中でお遊戯したり歌う子どもたちを
嬉しそうに見ていました。
特に、張り切って前に出ている優等生タイプの子より
後ろの方に引っ込んでまったくやる気がなかったり
他の子と全然違う動きをしている子が
なぜか気になるようで(笑)
「あの子、全然歌っとらん
不貞腐れて・・・
子どもらしいなあ(^^)」
そう言って、異端児を見つけては
その子の肩を持ち「子どもらしい」と喜んでいました。
今年5歳になる次男を見ることなく
母は亡くなりました。
もし今生きていたら、わんぱくでお調子者の次男のこと
さぞ可愛がってくれただろうな…なんて
ふと思ってしまったり。
母のことを思い出すと、
どうしてもこんな想いに駆られる時があります。
晩年、病気で苦しんでいた母に
もっといろんなことをしてあげたかった
私が、助けてあげられたはずなのに…
仕事をしていたとはいえ
子どもが小さかったからとはいえ
母の調子が良くないのに
大阪から香川になかなか帰らなかったこと、
大きな大きな後悔となって
心に残っています。
亡くなる前、最後に電話で話したときに
どうしてもっと寄り添ってあげられなかったのか?
どうしてあんなことを、言ってしまったのか?
(良かれと思って言った言葉でしたが、亡くなった後、母を苦しめていたことが判明しました。)
母が亡くなる前の日、どうして電話しなかったのか?
電話しようかな?って、思ったんです。
だけど、翌日妹が帰ることになってたこともあり
今日は大丈夫かな…?って、
電話、しなかったんですよね。
何もできなかった自分への落胆と
母を救ってあげられなかった後悔は
一生無くなることは無いんでしょうね…。
でも、たった一つだけ
「救われた」こと。
亡くなる2週間ほど前、
お盆だったので家族で実家に帰省したんです。
母は食欲も無かったようで、
あまり調子が良いわけではなかったけれど
それでも可愛い孫が帰ってきたこともあり
嬉しそうな姿も、少しは見られた気がします。
ある日、朝食のご飯が余ったので
長男のおやつに…と、
ふりかけおにぎりを握って、
ラップをして置いておきました。
後でそのおにぎりを母が見つけて
ふと食欲を感じたのか、食べてくれたようでした。
「おにぎり食べたよ、美味しかった」
そう伝えてくれたので。
「ああ、そうなんや。
食べれてよかったね!」
何気なくそんな風に答えた記憶はあるのですが
私にとってはそれほど印象に残る出来事ではありませんでした。
でも、母が亡くなった後
初七日が終わって、皆でお茶を飲んでいた時だったかな。
母の姉である伯母が教えてくれたんです。
「お母さんな、
あんたが作ったおにぎりがほんまに美味しかったって、
ずーっと言いよったんで。
久しぶりにモノ食べて、美味しいと思ったんやて。」
ぶわーーーっと溢れてくる涙を
止めることができませんでした。
当時、食欲もどんどん落ちていて
食べられない日が続いていた母が、
あの日、たまたま見つけて
食べたおにぎり。
「美味しかった。
潤子が作って置いてあったおにぎりが
久しぶりに美味しかったんや」
母は、
何度も伯母にそう話してくれたそうです。
小さいころからひねくれていた私を
誰よりも理解してくれていた母。
長男が生まれたときは大阪まで来てくれて
美味しいご飯を作ってくれた母。
私たち兄妹3人の子育てをしたのだから、
てっきり育児のベテランだと思っていたら
「お父さんが入れてくれたから」と
赤ちゃんをお風呂に入れたことが無かったらしく(!)
キャーキャー言いながら長男の沐浴を手伝ってくれた母。
そんな、世界で一番大切な母を
私は助けてあげることができなかったけど
「おにぎりを美味しい」と思える瞬間
作って上げられたのかな?
私の作ったおにぎりが、ほんのわずかな時間でも
母の生きるエネルギーになったのかな?
母が遺してくれた
「おにぎり、美味しかったよ」という言葉と
自分の両手で
“キュっ”と握った小さなおにぎりの
果てしなく大きな可能性に
私は今も、救われているような気がします。
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