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R.I.P. ティエリーミュグレー  本人へ直接、花束を渡した思い出は人生の宝物。過去は古くなるが、感動は色あせない。どうぞ安らかに。

ファッションデザイナー・ティエリーミュグレーが23日、亡くなった。

80年代から90年代にかけて世界的な人気を博し、私の人生10代、20代、バブル時代に、夢を与えてくれたデザイナーの一人だ。

女性の体形を強調し、賛美する服をデザインしたデザイナーは、アライアをはじめ、他にもいたが、なかでもその奇抜さ(悪い意味ではなく)は群を抜いていた。

中央 私のジャケットはミュグレーのもの。

時代の元気さを、今、懐かしく思えるのも、彼の存在あってのことだ。

肩には大げさなパッド、胸元の深い切り込み、ウエストを締め付けて、ヒップを強調した。女性性の誇張には、どちらかといえば、あまり響かなかった私、響かないふりしていたのかも。?
ギャルソンと耀司に明け暮れ、そのダークなモード好きな箱から出してくれたデザイナーでもある。彼の出現まで「女性性」に関して、興味を封印していたところがあった。女性の体のラインを強調する服など、格好悪いと思うことの、かっこういいフリ。

ミュグレーはそんな私を解放、溶かしてもくれたデザイナーだ。
新しい価値観を拡げてくれた。
たぶん、異性に対する媚感のようなものが 勝手に嫌だったんでしょうな。
それも、若い。

私は、その頃、ファッションデザイナーだった。

ドレス(ワンピースブランド)部隊にいた私は、ミュグレーが作るドレスのパターンメイキングを研究したりしていた。立体的で、人体を美しく見せるラインは、日本人の体型には、かなり無理があった。その極端なフォルムを日本人向けに、と型紙を考えたりして、西洋人と日本人の体型の根本的な違いをあからさまに知るきっかけになったデザイナーのような気がする。

服飾専門学校の教師になった年、世の中はセクシーでモードなボンテージファッションが流行していた。

私も、学生以上に学生か!なボンテージルックで教壇に立つというアホな教師だった。若かったなー。
ミュグレーのセクシーなフォルムは、個人的に欠かせないものだった。

こんなかんじ

その時代、

東京でのミュグレーのファッションショーに招かれた。


宮沢りえちゃんがモデルで登場するなど、ショーの盛り上がりは言葉で表現するのが難しいほどの異次元。そう、このバイカーコルセット、りえちゃんが着たんだよね。

衝撃的であった。


演出のど派手もあるが、服を研究し倒していた自分にとって、間近で感じる、その作品の豪華さ、突き抜け感は、自分の中の常識を超えたものだった。これどこで着るのか?なんて現実的な感想などナンセンス。

最期に ミュグレー本人が登場の際に、会場から花束を渡す、という、とんでもない大役をなぜか引き受けることになった。確か、ミモザが沢山はいった、とてつもなく派手で大きい花束を。

その瞬間のミュグレーの笑顔とオーラ。・・・

過去は古くなるが、感動は色あせない。

感動はいつも新しい、そのことを今も感じさせてくれる経験は60歳が見える今になっても、色あせることはない。

何より人々を楽しませ、常に華々しいショーで世界を魅了してきたデザイナーは、21世紀のファッションショーの基礎をつくった人だと思う。

現代は、ショーも在り方も激変し、無駄を省く傾向がトレンドだ。リアルショー自体がなくなってしまったり、デジタルを駆使した、新たなフェーズに入ってきている。

パンデミックが、ファッション界を前進させているともいえるがあのころの元気な時代を知る自分にとっては、どこか寂しさがある。かといって
過去に そのまんま戻ればよいとは一ミリも思わない。

そんなことを思っていた矢先のティエリーミュグレーの悲報に私は泣いている。

2019年に復帰を果たした彼自身、思うところあってのことだったはずだ。だからこそ、私は彼がこれから何をやるのか、心から注目していたのに。

影響を受けた先人たちが、どんどんあっちの世界に行ってしまう現実と昨年から幾度も向き合っている。

それでも、遺され生かされているうちは、こうして経験させてきてもらった沢山の思いを形にして

ファッションを少しでも、盛り上げていこうと思います。

ありがとう。


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