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自分という存在 | 役割 | 錯覚
こんな時間を過ごせるなんて、夢のよう!
特に待ち合わせをしたわけでもないのに、「偶然」「たまたま」… お互い近くにいたから、時間が空いていたから、という理由で、姉と、スターバックスへ行きました。
もう姉と離れて暮らすようになって20年近くて…
姉もフルタイムで働いているので、わたしの帰省時でも、なかなかゆっくり話す時間もなく。
(今日は姉の仕事はお休みだった)
自分、という存在が、娘、妹/姉、母親、妻、仕事の立場などなど、違う顔を持つようになると、その顔の自分が、自分の全部になったような錯覚を起こしてしまう。
絶対に、自分、という存在は変わらなくあるのに。
姉もわたしも、それぞれの家族を持ってから、違う顔を持つようになり、仕事もして… でも、姉妹の顔もあったんだ、っと再認識できる時間になりました。
こんなにも、姉との時間が嬉しい時間になるなんて、自分でも意外でした。それだけ、わたしは飢えていたのかな…。何に?笑
生まれた時に授かる先天的な家族も、生まれてから作りあげる後天的な家族も、全部が大切な家族。
なんだけれど、これまた距離的に離れて暮らしていると、変な錯覚を起こしてしまいがちで。
自分が思う以上に、姉の存在が、大切なものになっているようです😊
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アメリカのスタバよりおしゃれ!
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