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(前半)障害者福祉領域に想いを寄せ続ける理由:「出会い」とそこから生まれた「問い」

障害がキャリアを積む上で”障害”にならない社会を実現する会社、Connecting Pointの阿部潤子です。

私が、学生時代から障害児・者領域に関わり始めて約20年が経とうとしていますが、最近は、

「どうしてそれ程までに、この領域に想いを持ち続けられるのですか?」

と、有難いことに私のキャリアに興味をもって頂ける機会が増えてきました。

そこで、自分自身の道のりを振り返って考えてみると、
学生時代からターニングポイントとなる「出会い」があり、
その体験から「問い」を見出してきた自分がいました。
その「出会い」と「問い」について、前半/後半にわけて語ってみたいと思います。

■最初の出会い:「大学指導教授との出会い」
私が障害児・者領域に進むきっかけを与えてくれたのは、間違いなく、
「大学の指導教授」です。

私は、もともと福祉に強い興味・関心があった訳でもなく、
むしろスポーツ関連の仕事に携わりたいと第一志望の大学を目指して浪人生活を送りました。

しかし、志望していた大学には進学出来ず、特にやりたいことがないまま社会福祉学科での大学生活が始まりました。そんな大学1年の後期に、私のその後のキャリアを大きく変える1人の先生(指導教授)に出会いました。

先生は、大学で指導する前、知的障害のある人の入所施設で、職員として働く傍ら、イギリスの大学院に留学してPhDを取得するパワフルな先生でした。

そして、日本の福祉サービスが、真の意味で「利用者本位のサービス」になるように、最新の研究知見をもとに全国の福祉施設に飛び回り、研修・コンサルテーションを行いながら理論と実践のギャップを埋めようと邁進する、

まさに「実践的研究者」でした。

私は、その先生との出会いを通じて、

「どうやったら、こんなかっこいい大人になれるのだろう?」

と、やりたいことが分からない自分に対する「問い」を立て、
まずは単純な憧れを頂きました。

学生時代を過ごした場所(日本女子大学西生田キャンパス)

■「やりたいこと」を教えてくれた出会い:「知的障害のある子どもたちとの出会い」

特にやりたいことがなかった私は、憧れを抱かせてくれた指導教授が活躍する「福祉業界」を知るために、地域のボランティアセンターに出かけました。高齢者施設のイメージはありましたが、せっかくなのでイメージの薄かった知的障害のある人たちが暮らす世界観を体験してみようと情報を探し、運良く、学生アルバイトとして受け入れてくれる施設を見つけました。

そこで、私は初めて、知的障害のある子どもたちの遊び相手から、食事介助など日常生活の支援全般を経験しました。夏休みには、子どもたちと水族館に行ったり、施設で流しそうめんを楽しんだり、アルバイトでありながら、子どもに負けないくらい楽しい時間を過ごしました。

しかし、子どもたちと電車やバス、街の中を歩いていると、必ずしも周囲からの温かい視線ばかりではなく、席を離されたり、車両を変える人にも出会いました。

その時、私は初めて、障害のある人への差別・偏見が社会にあるのだという事実を身をもって実感しました。

そして、

「どうしたら、社会/地域の人たちは、子どもたちのことを理解してくれるのだろう?」

そんな「問い」を抱くようになりました。
この問いによって、私の大学生活は、入学当初とは全く異なる生活になりました。

そこで、当時の私は、障害のない人への偏見が生まれるのは、

障害のない人とある人が、同じ学校で学生生活を送れていないからではないか?

と仮説を立て、「インクルーシブ教育」をゼミ研究のテーマに掲げました。

2年生の春休みには、「インクルーシブ教育」を主流とするオーストラリアのスペシャルスクールにボランティア活動に出かけ、校長先生の自宅で1カ月間ホームステイをしました。

オーストラリア クイーンズランド州 にあるスペシャルスクールにて

幸運なことに、日本から遠く離れたオーストラリアで「インクルーシブ教育」のメリットデメリットを見聞きし、体験することで、一般的に”善し”とされるテーマを批判的に見つめ、探求することの楽しさを教えてもらいました。

ボランティア最終日に描いてくれたクラス全員の似顔絵

このように、日本とオーストラリアでの子どもたちとの出会いが、私のキャリアにもたらしたインパクトは大きく、

子どもたちが成長した時に、暮らしやすい社会を創っていきたい

と学生ながらに思うようになりました。

■私の探求心に火をつけた出会い:「福祉施設に通う知的障害のある人たちとの出会い」

大学1年から始めたアルバイトを通じて、すっかり知的障害のある子どもたちに魅せられた私は、社会福祉士の実習先として、18歳以上の知的障害のある人たちが通う福祉事業所(生活介護サービス事業所)を選びました。

その施設は、より多くの支援を必要とする利用者の皆さんが、日中活動を過ごす場であり、私は、知的障害のある人が高校を卒業した後の暮らしを知ることになりました。

当時、私は、ちょうど自分の進路選択(就職か、海外留学か)を考える、
人生の中での大きな転換点に立っていました。

しかし、その施設に通っている私と同年代の人たちは、

毎日決まった時間に、送迎バスで施設に来て、
午前中は、陶芸作業や紙すき作業をやり、
12時にはお昼を食べて、お昼寝をし、
午後は、近所の公園にお散歩。
その後、おやつを食べて、送迎バスで自宅に帰る

という、まるで、高齢者のデイサービスを彷彿させる毎日を送っていました。

そして、大学生の私が、その生活に触れた時に、

「同じ人として、同じ社会に生まれながら、なぜここまで、私の生活と知的障害のある人たちとの生活に、”違い”があるのだろう?」

「障害の有無に関わらず、どうしたら”年齢に見合った”生活を送ることが出来るのだろうか?」

と、私の探求心に火をつける「問い」が浮かび上がりました。

今思えば、大学の学部生時代に体験した
3つの「出会い」と、
そこで生まれた「問い」が、
その後のオーストラリアでの苦しい大学院生活と
その後の自分自身のキャリアを
支えてくれる礎になったと思います。

後半につづく。

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