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「きれいごと」を言い抜く勇気
障害がキャリアを積む上で”障害”にならない社会を実現するConnectingPointの阿部潤子です。
私には、いま、大きな野望があります。
しかし、その野望を発信したときの相手の反応は様々です。
幸いなことに、嫌な反応をされることはないですが、
「それはきれいごと。現実は、そんな生易しいものではない。」
そういう吹き出しが、相手の頭上に浮かんでいるな。
そのように感じる出来事に遭遇します。
私の野望については、また別の機会でしっかりと書き記したいと思っていますが、こうした”静かな”向かい風は、野望を発信したからこそ感じられる感覚で、前へ前へと船を進めている証であると私は解釈しています。
(たまに疲れますが…笑)
では、この静かな向かい風が起こる背景には、何があるのでしょうか?
■”静かな”向かい風の正体
それは、一人ひとりがひっそりと抱いている
社会(現状)に対する”あきらめ”
にあるのではないか、と思っています。
どうせ社会の人たちは、障害のある人たちに興味・関心がないから、
自分事として、障害者の生活や雇用について考えてくれないだろう
そんな社会に対する期待の低さ、社会への信用の薄さ
があるのではないかと思っています。
共生社会・インクルーシブな社会・DE&I
さまざまな綺麗な言葉が社会にはあふれているけど、実際、そんな社会を築くことは難しい。
だって、みんな自分はマジョリティであると思っているし、
生きづらさを抱えるマイノリティの人の生活や働きづらさを知る機会も限られているから。
結局は、きれいな言葉だけが独り歩きして、現実との乖離が生まれていく。
私は、大学時代から福祉を学んできていますが、
「福祉」が目指す世界は、往々にして、
高尚な世界観で、「きれいごと」が多い世界
なのかもしれません。
だから、福祉業界で働く人たちが、想いを持ち続けて、その心に灯った火を燃やし続けることが難しい。
でも、そんな今だからこそ、
「きれいごと」を言い抜く勇気
が必要なのだと思います。
私は、以前の記事でも記した通り、さまざまな「出会い」とそこから生まれた「問い」によって、これまで障害者福祉領域でキャリアを重ねてきました。私は、
当事者性(障害当事者でもなく、当事者の家族でもない)が薄い
ですが、この領域を学問として学び、支援者という立場で実践をし、
経営者というマクロの視点で障害者領域に向き合う中で、
当事者ではないことの「強み」
を同時に探してきました。
そして、今ようやく、その「強み」に出会えた感覚をもっています。
「きれいごと」を言い抜ける強さ
これが、私にしかできない「強み」であると思います。
大学に進学するまでの私のように、社会の中で、
自分は、”マジョリティ”であると思い込んでいる人たちに、
「長い人生で、いつか、誰しもが障害者になるし、誰しもが、マイノリティの一面を持っているんだよ。」
平均余命70歳以上の国の国民は、平均で約8年間、すなわち人生の11.5%を障害とともに過ごすことになる。
その事実を社会に分かりやすく伝え、
障害のある人の暮らしや働きを”特別視”するのではなく、
”一般化”して考えてもらうきっかけを提供していく。
そのためには、何を目指すのか、どんな社会を目指す必要があるのか、
究極の「きれいごと」を言い抜く勇気
が必要なのではないかと思っています。
そして、それを出来るのが、Connecting Pointなのだと思います。
障害の「社会モデル」にアプローチして、
社会に根強く残る「障害」に対する「固定観念」をひっくり返す。
そして、社会の中で、ポジティブなドミノ倒しを起こしていく。
それが、当事者の人たちの日々の体験に良い変化をもたらしていく。
この変化を起こすことが私の野望であり、
どうやって始めようか、いまはその入り口に立っているのだと思います。
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