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びょうきにっき

 この前あたしは「じんうえん」というビョーキになって、3日間入院した。ほんとは母が「1週間くらい入院させたい」と言っていたけれど、病院のベッドが満パイだって、3日間しか開かないというので、3日になった。

 まず、金曜日の午前中に病院にいって、「明日入院です」とゆわれた。お医者さんは目の下にくまのあるなんかサラリーマンみたいな人で、えらそうにしていたけれど、ちょっと似合ってなかった。

 それから髪が金パツで口のまっかな看護師さんと、高校生みたいな看護師さんがあたしに注射するというので別の部屋に行ったら、右の肩に「きんにくちゅうしゃ」をして、まぁまぁ痛かった。
 それから「こうせいぶしつ」のでっかくてたくさんの液の入ったやつを注射するといって高校生みたいな人が私の右うでにしたのだけれど、それがものすごく痛くて、うずくまって口がきけんくらい痛くて、金パツの人があわててぬいたけれど、あたしは体の血が全部かたまったみたいに痛くて、母が飛んできて、びっくりして看護師さんに「どうしたか」ときくと「ちょっともれたみたいです」と、しれっと言ったのであたしは声にも出せず心で(ゆるさん)といった。お医者さんも来たけれど、誰も「ごめんよ」とゆってくれんかった。仕方ないので帰りました。


 あたしはひとりで暮らしているので、久々の実家だけど、あたしの部屋もあたしの物もなんにもないので、面白いことはないです。ねまきに着替えてソファーベッドにねころんだ。

 「じんうえん」というのは、「ぼうこうえん」というのがひどくなったらなるもので、すいみん不足や過労からなるとお医者が言っていた。
 おしっこをするとき、ドクバリをさしたように痛くておしっこもちびちびしか出なくて、そのあとも、へんな歩き方になるくらいずっと痛くて、体がだるくて熱が出るという完ペキな病人になってしまうやつで、母はとにかくあたしのことを「エイヨウ失調」とか「アフリカの難民」とかなげきの顔と声で「あんたは1人じゃ無理やき帰ってきい」ということをおはようのあいさつくらいいう。でもあたしがヘラヘラしていると、母はすぐ忘れるので助かる。それから2人でベッドにねころんで、「愛を乞う人」という、母と娘の感動の映画を見た。

 夜になっておフロに入ったら、カベにゴキブリが止まっていて、目玉が飛び出そうになったけど、すぐに心を無にしててきぱき洗って出た。そしたら今度は白いネコのじゅんが足にまとわりついてきたので、又心を無にしててきぱき着替えていたら、とつぜん雨が降ってザーーーーーーーーーーーっとすごい音をたてたのでホッとした。
 ねむれなかった。


 土曜日の朝荷物を持って病院にいった。
 6人部屋のすみっこがあたしのベッド。あとの5人は全部おじいさん。それどころか、ここに入院している人はあたし以外全員おじいさん。
 看護師さんや母は「なんぎやね」とあたしのことを言ったけれどあたしは全然へっちゃらだ。だっておばさんやおばあさんよりも、おじいさんはデリカシーがあると思っていたし、あたしにいろいろ質問したりジロジロ見たりしないって知ってたから。

 さっそくとなりのおじいさんのつきそいのおばさんがニコニコしつつ、いろいろ説明してきた。母もニコニコしつつ「あいさつしなさいよ」とか「おぎょうぎよくね、特にねぞうに気をつけて」なんて言うから「寝てる時は責任持てんけど起きてる時は気をつける」と言ってあげた。

 それからてんてきをした。今度は色の黒い美人の看護師さんだったけど、やっぱり注射の時はきんちょうした。
「アレルギーや好きキライはある?ごはんの量はフツウでいい?」ときかれたので一応「好ききらいはないし、ごはんもフツウに食べられます」と言った。
 あたしはうどんとお好み焼きがキライだけど、まさか病院で出ないと思ったから言わなかった。そしたら第1回目の食事はそばだった。そばなんてふだん全然食べないので、いひょうをつかれた。
 たとえば、全然知らない人のことを好きか嫌いかと言われても、スキでもキライでもないし、どちかといえばキライかもしれんし、キスしてといわれたらしたくないなあ、といろいろ考えてけっきょくぜんぶ残して、看護師さんにみつからないように台のおくの方にかくした。あと8回のごはんは絶対全部のこさず食べようと心に決めた。


 1日2本、朝.と夕にてんてきをするので、おしっこの時痛いのはなくなったけど、やっぱりぎこちないし体はだるだるだった。おまけにベッドに入ったとたん「入院生活」に慣れてしまった。心より体が勝っている状態。

 まず、ふだんの生活で考えなくちゃいけないことは考えられない(ライヴのこうせいとか)。すぐ頭が真っ白になる。それからヒマな時に遊ぼうとする気持ちもなくなってじっとしてる。
 一応たんけんしてみようとか、外に出てみようとか1回ずつ試みたけれど、そういうことは全て一瞬で終わってしまった。おもしろいこととかも考えたりせずに、じっと寝て、ずっと真顔で、体にてんてきが流れてゆくのを思ったり、このしんどさを音にしたらどんな音かと考えてみたり、ねむたり目覚めたりするのが1日の最大の変化だった。

 つまらないことはなんにもないけど多分このかんじは、老人なんだと思った。あたしは、母が看護師だし、いろんなしゅるいの病院にいくけど、どこの病院も、どこの科も、おじいさんとおばあさんでごったがえしてる。
 みんな毎日つまらないことはなんにもないけど安心したいから(と不安もほしいから)病院へ行くのかしらと思った。

 あたしは鏡を見て髪をきちんととかした。ごはんも残さず食べた。おみまいも来てくれて、あたしのひき出しはおかしでギュギュになった。となりのおばさんが「よかったねぇ」と何かいもいうので、ラムネをひとつあげた。

 おじいさんたちは、タバコを吸ったり、ほたるの話をしてくれた。タバコの場所で、みんなが「のどじまん」を楽しそうに見ながらはしゃいでいるのはとても面白かった。
 看護師さんはみんな若い女の人ばかりで、あたしは世界に男の人はおじいさんしかいないというじたいにもすっかり慣れていた。それで一生このままなら、この人のそばにいるという人もちゃんと決めておいた。


 フシギだったことがある。
 夜8時には消灯なのだけれど、それから夜中までずっとみんなひっきりなしにトイレへ行くし、いびきもかくし、寝言もいうので、あたしはちっとも眠れなくて、暑くってどうしようもなくて困っていた。

 でもどうしても寝たかったので、ガバっと起きて、ナースステーションの前まで薬をもらいに行った。けど頭の中で
 (でもどうせ昼も朝もベッドにいるから夜ねむらなくちゃいけないということはないし・・・)
 と考えてナースステーションの窓の閉じたカーテンを見ながらしばらくつっ立っていた。
 そのつっ立ったあたしの横をかわるがわる、いろんなおじいさんが一人ずつトイレに行ったりきたりするのだ。私がそこに居ないかのように、誰も声を出さず、話をせず、ゆっくりゆっくり音もたてずに歩くのだ。私も彼らがいないかのようにナースステーションを見つめて静かにつっ立っている。
 なんだかとてもフシギな光景だと思った。劇のぶたいの上に立っている様だった。


 月曜日の朝、お医者さんがきて「よくなったでしょう」といった。あたしは、痛いのはないけれど、体のしんどいのはいっこうに変わってなかったのだけれど「ちょっとマシかもしれん」というとお医者さんは「まあ大丈夫」といって退院の手続きをした。あたしはまたもや仕方なく荷物をまとめた。それから部屋のおじいさん全員にアメをあげてお別れをした。

 シャバに出ると、さっそく練習が待っていた。自分の家に帰って荷物のせいりとそうじをした。3日間の病院での日常もあわのごとく忘れて又おもしろいこととかを考えて、ゆっくりとあたしの毎日が元通り流れ始めた。

 とにかく体が病気になって、いうことをきかなくなったら、あっというまに世界中おじいさんだらけになるくらい変わってしまうということ。あたしのいきがいや好きなものとかも、夢のようにもろく遠くなってしまう。だから心ばっかりえこひいきせずに体のこともごひいきしなくちゃいけない。

やっぱりお家のベッドがいちばんいいもの。


(2000年著)


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