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プチ連載小説「カニが浮く」最終回


 カニが死んだ。晴れそうなくもり。水槽の水はぬるくなっていた。カニは目を開けていたけれど、彼女がさわるといつか目をつむった。
 彼女はひとりぼっちになってしまった。そして自分のことを考えなければならなくなった。
 カニの体はゴムみたいにのびた。彼女はこわがった。水槽を持ってどこか遠くへ行きたがった。
 その次の日も。三ヶ月後もずっと、ザンザン降りの午前中。

「ごめんなさい」


 目が覚めたので、僕は夢というものを見ていたことに気がついた。もう夕方近くになっていた。ちょっと昼寝をしようと思ってそのままぐんぐんと眠ってしまったのだ。

 僕は今まで「夢」というものを見たことがなかった。
なんか変な気持ちだ。外が見たくなる。どんな夢だったかは思い出せない。多分、良い、と悪い、があるなら「悪い」方だったに違いない。ちょいとばかり運動しようと思う。

 僕は窓の方を向き向き、水槽の中をくるくると泳いだ。小石と小石と小石・・・。いくつ小石があるのか、わからなくなることはない。僕の小石はみどりの小石。よく知っている。窓の外は晴れていて、風がたくさん吹いているようだ。

 そういえば、彼女はどこかへ行っているようだ。もし、こんなにくるくる泳いでいる僕を見たなら、彼女はきっと大笑いしながら、僕をうっとりとながめて、僕をつかみあげて遊ぶだろう。僕は動かない。

 彼女はまったくろくな遊びをしない。そう時々彼女はろくな考えもしない。なぜなら彼女は夢見がちだからだ。

 僕はふと考えた。人間の「ゆめ」の種類は2つある。彼女も2つ持っている。起きている時の(漢字の夢としよう)と寝ている時の(カタカナのユメとしよう)と2つだ。この2つはほとんど全く違っている。違う所で造られているからだ。

 にもかかわらず、彼女は起きている時も寝ている時も、その互いの「夢」と「ユメ」の中で生きたがる。まったく欲ばりなことだと僕は思う。

 多くのものがそうなように、「ゆめ」もどっちかひとつじゃなくちゃいけない。体はひとつしかない。どっちを選ぶにしても、寝ている時のユメは、よく寝なくてはならないし、起きている時の夢を見たいのなら、きっととても現実的に生きてなくちゃいけないように思う。「現実的に生きる」というのはきっと、いつでも自分の手でちゃんと自分をさわることができるっていうことなんだ。ゆめはどちらもさわれないから。

 僕は運動したので頭がとてもはきりはきりしてきた。僕はなるべく起きていたい。窓の外を見る、小石を見る、彼女を見る。僕は、起きて、いきて、夢を見たいと思う。そして小石に書く。「ゆめはひとつ」忘れないように。
 僕の小石は書いても書いてもいっぱいになることはないし、消えてゆくこともない。「彼女」が見ることもできないけれど。
僕はあぶくをもらす。プカンと浮かぶ。外は風がたくさん吹いている。

 僕は彼女を愛してはいなかったけれど、彼女に選ばれてしまったのでこうして一緒に暮らしている。
 彼女が僕を選んだ理由は、僕が持ち運びに便利なとうめいのプラスチックケースに入っていたから。

僕はミドリガメ。
彼女は僕を「カニ」と呼ぶ。    

おしまい。


(1999著)




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