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さいたまに生き始めた~浦和コモン

結婚をきっかけにさいたまに越してきて13年になります。
さいたまに来たときはまだ仕事をしていて、朝旦那さんに駅まで送ってもらい、帰りはお店もしまっている時間帯に夜道を歩いて帰宅。休日は夫に車でどこかに連れて行ってもらい買い物をしていたので、埼玉の土地に生きている実感が全くありませんでした。

さいたまに住み始め一年弱で残業まみれの仕事を辞めたら息子を妊娠しました。すぐに安静になってしまい、たまに買い物に行く以外はさいたまに触れることはありませんでした。

息子が生まれ、公園デビュー、幼稚園入園、などを経て地元に友達ができ始め、さいたまに住んでいる感がでてきました。でも今思うとさいたまに住んでいるだけで、友達と会ったりすることはさいたま以外に住んでいてもできることであり、さいたまを泳ぐわけでも掘っているわけでもありませんでした。

さいたまを泳ぐ?掘る?
海なし県だし地中都市でもありませんが。

日本語音読指導者になって、地元さいたまに古典音読を広めることを掲げて活動を始めました。たださいたまに住み子どもをさいたまの学校に通わせ、さいたまの店で買い物をしさいたまのレストランで食事をしていただけのわたしがよくも「さいたまに広めたい」などと言ったものです。

今日はさいたま市でアロマの活動をしているお友達ケイティさんが浦和で一軒家の一階部分を住み開きしている「浦和コモン」でワークショップをするというので行ってきました。わたしも浦和コモンが気になっていたので、ケイティさんにつないでほしいとお願いしていました。

浦和コモンではいくつかのワークショップが開かれ、それぞれにお客さんが来ていました。ぶちょーと呼ばれている女性田中さんが仕切っています。
みなさんマルシェなどでつながっていて、場を共にしていました。わたしが古典音読を広める活動をしているといったら、いくつかアイディアを出してくれたり、「ここに行ってみたら?」とマルシェの案内をくれました。

「活動で手いっぱいになる前は貴重な時間なんだよ、身軽にどんどんいろんなところに行って自分のことを知ってもらう、いろんなつながりが出てくるし、自分と合うところ合わないところがわかってくるから」
一筋縄ではいかない活動をみな苦労しながらも協力し合い、明るく乗り切っている。そしてこの地に住んでいるからこそ、この地の人に何かを伝えようとしている。とにかく明るく笑うぶちょーとその仲間たち。

活動を始めて頑張ってきたつもりだけど、まだまだだな、と感じました。
「さいたまで」と言っていたことの意味が自分でもわかっていなかった。
たまたま住んでいるのがさいたま、と以前のノリで考えていました。
さいたまの土地だから、さいたまの人に合う、そういったことを考えていこう。日本人がゆえ日本語がいかに大事か伝えたいのだから、自分がさいたまに住んでいることを大切にしなくては。

さいたまを泳ごうぞ、さいたまを掘ろうぞ、
誰かに当たったら手を繋ごうぞ。

そんなことに気付かされた日でした。



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